第43話『父への報告(後編)』
第43話『父への報告(後編)』
診察室には静かな時間が流れていた。
「……驚きはしたが、ゴンちゃんを見守ってくれる存在がいるなら幸せだな」
不器用ながらも優しく、茂夫はそう言った。
その言葉に、信吾と美沙は肩の力を抜いたように小さく息を吐き、安心した笑みを浮かべた。
二人の姿を見て、久方さんもほっとした表情を見せる。
「あと、信吾さんたちから聞きました。ゴンちゃんに予防接種をしようとしてくれたみたいで」
久方さんが少し遠慮がちに口を開いた。
「まぁ……結果は何にも出来ませんでしたが」
茂夫はどこか残念そうに答える。
「いえ、こういうのって結果じゃないと思うんです。なんとかしてあげたいっていう気持ちが大事なんだと思います。普段はあんまり私たちが何かをすることはないので……私たちにとっても勉強になりました。ただ見守るだけじゃダメなんだって思いました。ありがとうございます」
真っすぐな久方さんの言葉に、茂夫の口角がわずかに上がった。
その瞬間、机の端に置かれていた膿盆が「カラン」と音を立てて落ちた。ゴンちゃんはその音に驚いたように飛び起き、元気いっぱいに診察室を走り回り始めた。久方は目を丸くして戸惑うが、どこか微笑ましい光景だった。
*
──小さな騒ぎが一段落すると、自然と空気がやわらいでいた。
「この間ね、ちょっといろいろあって……お母さんに会いたくなっちゃった」
美沙がふと口にした言葉に、茂夫は少し黙った後で答えた。
「うーん。そうだな。昔からあいつには……迷惑かけたからな」
言葉は途切れがちで、どこか居心地の悪そうな声音。正直なところ、なんの答えも用意していなかったのだろう。
「前に来た時もそんな答えだったじゃん」
「まぁ、でも元気ならいいよ」
美沙は少し寂しそうに笑った。
「また、ふらっと帰ってくるよね。……ねぇ、父さん?」
信吾が言葉を重ねると、茂夫は短く「そうだな」と応えた。
帰り際、茂夫は三人に向かって、柔らかな声をかけた。
「信吾、美沙……そして久方さんも。本当にありがとう。お前たちが一緒にいてくれるなら、ゴンちゃんもきっと大丈夫だ」
そして一呼吸置いて、少しだけ照れくさそうに続けた。
「お前たちは、俺にとって一番の存在だ」
「……何それ? お父さん、普段そんなこと言わないじゃん」
美沙が目を丸くして笑う。
「……たまには言ってもいいだろ」
茂夫はぶっきらぼうに返し、ほんの少し顔を赤らめた。
そのとき、診察台の上で落ち着いたゴンちゃんを見やりながら、茂夫はさらに一言添えた。
「ほら、旅に出る時ってのは、誰かに背中を押してもらうもんだ。……ゴンちゃん、安心して行ってこい。お前にはこんな立派な仲間がついてるんだからな」
その言葉に、三人の胸の内がじんわりと温かくなった。
*
帰り道の車の中。窓の外には街灯が流れ、車内にはほのかな余韻が漂っていた。
「先程はすいませんでした。監視役って言ってたのに、出しゃばっちゃって……」
久方さんが控えめに口を開く。
「全然問題ないですよ。むしろ久方さんが言ってくれたおかげで、父さんも納得してくれたと思います」
信吾が笑って言うと、美沙も頷いた。
「うん。本当にそうだよ。でも、久方さんってこんなに積極的な子だったんだね。ちょっと大人しい子なんだと思ってた」
久方さんは嬉しそうに微笑んだ。
「お二人とゴンちゃんのおかげですよ!」
二人は思わず目を丸くする。
「いや、別にぼくらは何も……」
「いえ、私、普段“守護者”ってことを誰にも言えなかったので……。でも、こうやってみんなで何かできることが嬉しくて」
その言葉に、車内は不思議な安心感に包まれた。心が少しずつ近づいていくような静かな時間だった。
*
──この数日後、茂夫から信吾と美沙に手紙が届く。送り主は母からだった。
封筒には旅先で撮られたらしい笑顔の写真が同封されており、便箋にはたった一言、こう書かれていた。
「迷惑をかけました。もうすぐ帰ります」
その文が茂夫に宛てたものなのか、信吾と美沙に宛てたものなのかは分からない。
ただ二人は顔を見合わせ、そっと優しく微笑んだ。
---




