第35話『敵じゃねぇ』
第35話『敵じゃねぇ』
信吾は息を呑み、胸の奥に熱いものが広がるのを感じた。
(……敵じゃない。だったら、今までの全部は……ゴンちゃんを守ろうとしてたからってことなのか?
でも、ずっと監視してた人を信用するのも……正直、簡単じゃないな)
安心にも似た感覚と、まだ解けない疑問が入り混じって、心臓が速く打ち始める。
赤荻さんの目はまっすぐで、そこに嘘や敵意はなかった。
信吾は小さくうなずくと、勇気を振り絞って口を開いた。
「……ありがとうございます。全然わからないばかりなんですけど、ひとつだけどうしても聞きたいことがありまして」
赤荻さんは視線を信吾に向け、眉を少しひそめる。
「何だ?」
「ゴンちゃんのことです……いや、正確にはその前の、卵のことなんですけど」
信吾はポケットから久方さんのノートに挟まっていた写真を取り出して見せた。
赤荻さんは軽く息をつき、その視線を横にそらして久方さんを見た。
久方さんは気まずそうに肩をすくめ、小さく視線を落とす。
「どうして、あの卵は公園にあったんですか? それに……大切な存在なら、なんですぐにぼくらから取り戻さなかったんですか?」
赤荻さんは視線を遠くに向け、低くつぶやくように話した。
「もともと卵は別の場所で回収したものだ。だが輸送中にセンサーが故障してな……仕方なく、ほんの一時だけベンチに置いて次の車を待っていたんだ」
「その時に……美沙さんが拾ってしまった……?」
信吾は思わず言葉を呑む。
赤荻さんはゆっくりうなずいた。
「ああ。俺たちからすれば完全に想定外だった。だが――その偶然が今に繋がってる。お前らがあの卵を見つけ、育て、そして“真竜”を守ろうとしてることにな」
「……じゃあ、赤荻さん達の役割って……」
信吾はおそるおそる問いかける。
「俺たちの役割は単純だ。真竜の卵を見つけ、育て、やがて空へと帰す。
そうして何千年も続いてきた。真竜は守り神。けど、人の世界で放っておけばただの怪物扱いだ。だからこそ、俺たちが間に立たなきゃならねぇ」
その言葉は重く、信吾の胸に沈んだ。
真竜――ゴンちゃんが本当にそんな存在だとしたら、ぼくたちはとんでもないものを抱えていることになる。
「……それでも、なんでぼくらから取り戻さなかったんですか?」
震える声で信吾は問いかけた。
赤荻さんは一瞬黙り、やがて静かに答えた。
「坊が、お前らと一緒にいることを望んだからだ」
「ゴンちゃんが……望んだ?」
信吾は思わず聞き返す。
「あぁ。お前らがいない時に、何度か坊を連れ戻そうとした。だが、坊が拒んだ。
俺たちは“育てる者”だが……無理に引き離すことはできねぇ。坊自身の意志があるからな」
信吾は息を呑んだ。
ゴンちゃんの無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ。あの子は、ただ自分たちと一緒にいたいだけなんだ――。
赤荻さんは短く言葉を結んだ。
「だから言っただろ。俺たちは敵じゃねぇ。お前らと坊を引き裂くために動いてるわけじゃない。守るために――俺たちはここにいる」
「なぁ、かなえ」
久方さんも無言でうなずいた。
信吾は二人を見つめながら、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。
(……すごい。この人たちはずっと、ぼくたちには見えないところでゴンちゃんを守り続けてきたんだ。ぼくなんかより、ずっと大きな覚悟を持って……)
だが信吾の頭に、ふと別の疑問がよぎる。
「……あれ? ちょっと待ってください。赤荻さん、今“お前らがいない時に何度か連れ戻そうとした”って言いましたよね?」
赤荻さんは無言。
信吾はじりじり詰め寄る。
「……ってことは……ぼくらの部屋に、何回か勝手に入ってるってことですよね?」
沈黙。
次の瞬間、久方さんが咳払いしながら小声で「……靴、ちゃんと脱いでましたよ」とつぶやいた。
「いやそういう問題じゃないでしょ!?」
思わず信吾が叫ぶと、緊張に張り詰めていた空気が一瞬だけほどけた。
その瞬間、背後から小さな声がした。
「信吾ー!」
振り向くと、美沙がゴンちゃんを抱えて駆けてきた。
「えっ……美沙さん? なんでここに!?」
信吾は思わず声を上げる。
「ゴンちゃんがね、どうしても虎之介に会いたいってきかなくて! だから連れてきたんだけど……」
美沙は息を切らせながら言葉を続ける。
「えっ……ちょっと待って、赤荻さん? 久方さん? どういうこと?」
赤荻さんは顔をしかめ、低く言った。
「坊がここにいるところを他人に見られたらまずい。それに今日はもう遅い。お前らは部屋に戻れ」
信吾に視線を向ける。
「後日に話せることは話す」
「山之内、今日はそれでいいな?」
信吾は一瞬迷い、そして深くうなずいた。
「……分かりました。美沙さんには、ぼくからお二人のことを説明しておきます。ありがとうございました」
赤荻さんは短くうなずくと、視線を外した。
緊張と安堵、疑問と感謝が入り混じる。
(敵じゃない……。でも、まだ全然わからないことだらけだ。
それでも――ゴンちゃんが一緒にいたいと願ってくれてる。それだけは確かだ)
信吾はゴンちゃんを抱く美沙を見つめ、胸の奥で強くそう感じていた。




