金持ちの心理
ユイは今、目の前に停車する一台の新車を前に度肝を抜かれている。
「ラウルの見繕ったクルマって、まさかこれ…?」
「おまえが気に入らないならばすぐに買い替える」
ラウルは背にしたピカピカのベタベタのスポーツカーを振り返って言う。
「ユイは赤が好きだったから、気に入ってもらえると思ったのだが…」
「赤は好きですっ、だけどね、これフェラーリ!ドライブの車じゃない!レースするヤツでしょーがっ」
小首を傾げるだけのラウルに、同意は得られないと判断したユイは開き直る。
「でも。買い替えはもう少し後にしない?せっかくだから運転してみたい!」
「?」
――気に入らないのに運転はしたいのか――
返事が返って来ず、ユイは不安になる。
「あの、ラウル、…私が運転したらダメ?」
やはり一度事故を起こしている身としては、許可が出るか心配だ。ユイはあれ以来一度も運転していない。たまたま機会がなかっただけではあるが。
「なぜだ。構わないよ、ユイが楽しめるようにと買ったのだから」
「そう?良かった!」
その後ユイはラウルの賢さに舌を巻く事になる。
この車に一人で乗る勇気はユイにはない。それはつまり、ドライブには必ず隣りにラウルがいるという事なのだ。
ダンはいち早くそれに気づき、一人ほくそ笑む。
――さすがはラウル様だ、ユイ様の心情を把握した上でのこのチョイス。聞くまでもなかった!これならばユイ様も、お一人で出かける事はないだろう――
こんな計算がラウルの中でされている訳がない。
ドライブするからには爽快に走れなければ意味がない。爽快イコール高性能、最上級はスーパーカー。こんな理由で選ばれたフェラーリ。決してこの手の車に興味があった訳ではない。
早速フェラーリでドライブに出かけた二人。
「きゃ~っ!!最高だわ、この加速、未体験っ!」
「楽しんでもらえて良かった」
ハンドルを握るユイは、走り出しからずっとこんな調子だ。
対して興奮のこの字もないラウル。至っていつも通りの涼やかな顔で助手席で寛いでいる。現在時速200キロオーバーという中にも関わらず!
「ここが日本だったら、すぐさま後ろからパトカーがやって来るわね」
「レースがしたいなら、レース場を貸し切ろう」
「しなくていいです…」
暗にスピード超過を指摘された気がして、ユイは速度を緩める。
「どうした?もういいのか」
「だって…こっちの警察だってさすがに見逃さないでしょ、こんな暴走車!」
「この辺り一帯はフォルディス家の私有地だ。呼ばなければ警察は来ない」
「え?!そうなの!知らなかった…」
かなり屋敷から遠ざかっていて、あの大きな建物も目視できない。
「でも、もういい。十分堪能したわ、ありがとう。今度はラウルが運転してみて」
「ではそうしよう」
ポジションを入れ替わって再び走り出す。
「なかなかだな」
「でしょっ!」
「だが…。私はおまえほど運転が得意ではないから、こうしよう」
「こうって、どう?」
不意に全く振動を感じなくなった。タイヤがアスファルトを進む音も消えて、エンジン音だけが響いている。
「ん?何か変なカンジ…って、もしかしてっ!!」
ラウルの能力によって車体がリニアモーターカー張りに浮いた訳だが、恐らく気づけるのは乗っている人間だけだろう。
「もっと浮かせられたらいいのだが、さすがに一人では難しいな」
「…一人ではって、親戚にエスパーがもっといるとか」
「昔はいたようだ。だが今は私以上に強力な力を持つ者はいない。多少の事は出来るという程度だ」
話しているうちに、再びタイヤの接地感覚が戻って来た。
「浮いていた方がハンドルを取られずに済むのだ」
「それはそうでしょうが…何て言うか…」ユイはまだ動揺が収まらない。
「ユイ?大丈夫か?」
「え、…ええ、まあ」
「良かった」
返事をもらえたラウルは安心してシートに身を沈め、ハンドルから手を離してしまう。
今も相当のスピードが出ているにも関わらず、である。
「ああっ…!危な!くないのか…、」
――慣れない、こんな事に慣れる訳な~い!――
頭を抱えてしまったユイに、体を起こして再びラウルが問いかける。
「ユイ、本当に大丈夫か?」
「ええもちろん。だからやっぱり私に運転させて!」
こうしてラウルの運転は束の間で終了し、その後はユイが最後までハンドルを握ったのだった。
屋敷に戻ったユイを見て、ダンが不思議そうに首を傾げる。
――やけに疲れているご様子。事故後初のドライブとあって、さすがに気を遣われたのだろう――
勝手にこんな事を思って一人感慨深げに頷いた。
ようやく一人になったユイは半ば放心状態だ。
「ドライブがこんなに疲れるなんて…、どうしたっていうの、朝霧ユイ?ううっ、ダメよ、こんな事では!」
ラウルの粋な演出(?)のせいで、後半せっかくのフェラーリを堪能できなかった。
「でも待ってよ、リニアが浮くんだから、車だって極限までスピード上げれば浮くかも?って、浮くか~い!」
一人ボケ突っ込みまでしてしまう取り乱しようだ。
地に足がつかない感覚というのは、何とも落ち着かないもの。自分が操縦するヘリならばともかく、得体の知れない力によるものとあってはなおさらだ。
ソファに身を投げたままジタバタしているところに、ノックの音が響く。
「ユイ様、よろしいでしょうか」
「ちょっと待って!」
ドアノブが回りそうな気がして、すぐさまストップをかけてから起き上がる。今ではユイもそのくらいのマナーは弁えている。
スカートの裾を軽く直してから応じる。「どうぞ」
入って来たのはユイ付の若いメイドだった。
――…何だ、焦った。この人なら勝手に入って来る事はなかったな――
「お帰りなさいませ。旦那様とのドライブは楽しめましたか?」
「そうね…」
「ユイ様、何か困った事があったら、どんな些細な事でも構いませんので、私にお申し付けくださいね」
「ありがとう。ねえあなた、いつからここに?」
「もう一年半になります」
答えに驚いたユイだが、すぐに察する。記憶のない間も、こうして世話をしてくれていたのだと。
「ずっと、身の回りの事してくれてたのね。ありがとう」
「いいえ!私は別に特別な事は何も。主に旦那様がなさっていましたから」
そう言って、冷えた濡れタオルをユイに渡す。
「汗をかかれたんじゃないかと思いまして」
「ホント気が利くわ、あなた!かいたかいた、変な汗!…気持ちいい~」
タオルを頬に当てて目を閉じるユイを見守って、メイドが微笑む。
「こうして、ユイ様とお話しできるようになって、本当に嬉しいです。きっと、ステキな人なんだろうなって思っていたので。思った通りでした」
「ステキなんかじゃないわよ。いつまでも子供で、いろんな人に迷惑ばっかかけて!」
「そんな事ないです!明るくて行動力があって、皆が惹きつけられる魅力を持っていて、だからこそ旦那様が選ばれたのですよ。お屋敷の皆さんだって、皆ユイ様を慕ってらっしゃいますし。私だって!」
ユイは一言ありがと、と答えただけで、当てたタオルを静かにテーブルに置く。
そのまま俯き、左手のリングを見つめる。
「そうなの、選ばれた、のよね、私」
「はい!聡明な旦那様と良くお似合いです。もしかして、自信、失くされてたりしますか?」
こんな問いかけにふと顔を上げたユイは、今度は大胆にソファに仰け反って両腕を頭の上で組んだ。
「まあね~。私、こ~んなお金持ちとは縁がなかったから。節約節約で生きて来た方なので?」
「私もです。私は今も、ですけど…」
「大体さ、こうやってメイドさんがいる事自体があり得ないのよ。いろんな事に、いつになっても慣れない!未だにどこか他人事みたいな気がしてる」ユイは肩を竦める。
「大丈夫だと思います」不意にメイドが言い切った。
「へ?」
「ユイ様には、人を使う素質、あると思います。上に立つ方々には、そういう素質があるんです。旦那様のように」
「敵が襲って来た!とかの非常事態の時なら、いくらでも指示できるんだけどね~」
「それでいいんじゃないですか?」
「ん?」
「日常では、むしろ指摘される前に動くのが私共のモットーですもの」
「あなたは十分できてるわ。とても優秀よ」
話すうちに、ユイの中のわだかまりが少しずつ薄れて行く。同年代の話し相手はかなり助けになりそうだ。
「そっか!私とラウル、お似合いかぁ」
「はい。ノーと言う人間はこのお屋敷にはおりません。断言できます」
「ふふっ、ありがと。何か元気出たわ。時々、話聞いてね」
「いつでもお呼びください」
メイドは微笑んでタオルを回収して行った。
再び一人になったユイは、帰宅直後とは打って変わって爽やかな気持ちになっていた。
「旦那様、か~。それはとってもしっくり来るけど。で、私が奥様?何かなぁ…」
あのメイドはラウルの超能力を知っているのだろうか?さらにここがマフィアの屋敷だという事も…。
あまりに汚れなき乙女の姿に、ユイは心配になる。
「あの人、どうやって選ばれたんだろ。ダンさんって、使用人の面接もしてるのかな。まさか攫って来た訳じゃないよね?そんでもってラウルが洗脳…いやいや!どこまで悪なのよってハナシ!」
やはり悩みは尽きないユイなのであった。




