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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第三章 試される絆
43/99

敵か味方か(1)

「ユイ!その者は敵ではない、解放してやれ」


 今ラウルの目前で、一人の部下が瀕死の状態にある。もちろん裏切り行為をした訳でも、私情のもつれでもない。

 彼は単に同僚と、先日締め上げた敵の処遇について議論していただけ。白熱し過ぎてユイのセンサーに引っかかってしまった被害者だ。

 ここはマフィア一家の住まい。この屋敷にあってはそんな被害者続出である。


 ラウルの制止も聞かず、首に回した細腕を解く気配もない。


「う…ぐっ…オレもうダメ」

 部下が気を失う寸前、ラウルがついに超能力でユイの動きを止めた。力が緩んだ隙に、部下をユイから引き剥がす。

「ボ、ボス…助かり、ました、ゲホゲホっ」

「大丈夫か?今のユイは以前のユイではない。不用心に近づくなと言ってあったはずだぞ」

「そう、なんですが…」


 事情を知らされながらも、接近されてしまえば全て頭から吹き飛び、舞い上がってしまうのが、惚れた男の弱みというもの。これもまた毎度の被害者側の言い分である。

――まさかこんな目に遭うなんて思わないだろ!ユイ様の目が…別人のようだ、あああショック!――


 闘志冷めやらぬユイは、倒れ込んだ部下の懐から拳銃を奪い取る。


「っ!ユイ、それを返せ…」これにはさすがのラウルも焦る。

 再び超能力で拳銃を取り上げるも、それをジャンプして掴み取る強者ユイ。

「おおっ、何という身体能力!そしてバイタリティ!」

 今しがた殺されそうになった部下までが称賛の声を漏らす程に、感情や記憶の一切を失った今もユイの身体能力は高い。


「今のおまえに、それを持たせる訳には行かない!」


 ラウルの強い感情を受けて、すぐ横の窓ガラスにピシッとひびが入る。

 この時ラウルから放たれた衝撃波のような強烈な圧は、その場にいた者全員の動きをも止めた。もちろんユイも例外ではない。

「ユイ、それをこちらに渡せ」

「…」もちろんユイは無言のままだ。


 呼吸を整えた後、ラウルがユイに向けて手を差し出す。ユイは一歩も動かず、拳銃を左手に握ったままラウルをじっと見つめている。

「渡すのだ!」意図せずしてラウルの口調が強まる。

――すぐに拳銃から遠ざけなければ、次の瞬間には何が起こるか分からない――


 いつもとは違うラウルの様子に気づいているのかいないのか、ユイは呼吸を乱す事もなく立っている。

 そしてふと、左手の鉄の塊をギュッと一度握り込んでから見下ろす。


――渡す気がないのならば、もう一度能力で…――

 ユイの動作を見てそう考えたラウルだが、ユイは拳銃を見下ろしながら仕切りに首を傾げている。


 ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、その銃をひたすら眺めた後、ポイっと放り投げたではないか。

――渡す気は、なかったのだな…だが手放してくれたならそれでいい――

 ラウルは少しだけ物悲しい気持ちになるも、前向きに捉えた。


 こんな騒動に気づかないはずもなく、新堂が興味本位でやって来た。

 それは当然ユイの姿を確認したからだ。単なるマフィアの内輪揉めになど絶対に首を突っ込んだりはしない。


「何だか賑やかですね」あえてのんびりとした声を響かせて登場する。

 途端に、その場の緊張感は一気に緩んだ。

「新堂。騒々しくて済まない」やや肩の力を抜いたラウルが答えた。

「いいえ。…おや、そこの窓、ひびが入ってますよ?」

 ガラスにひびが入った瞬間を、新堂は遠巻きながら目撃していた。


「ああ。すぐに入れ替えさせる」

「さては、ユイが石でも投げましたか!」

「ユイではない」

「え?まさかフォルディスさんが石を?」

「…」

――そんな訳がないだろう…答える気も失せる――


 新堂の検討違いな発言に若干の怒りを覚えたラウルだが、すぐに気を鎮める。自分がユイのターゲットになっては堪らない。

 ここ最近のユイは特に殺気やら怒りの感情に敏感だ。途端に攻撃的になり、誰彼構わず制圧しようとする。一瞬でも目が離せず、ラウルは苦戦を強いられている。


 エスパー・ラウルのイライラが増幅し続ければ、被害はガラスだけに留まらなくなる。こんな事象が頻繁に起きては、この屋敷はまたホラースポットに逆戻りだ。


 専門外の事は深く考えない新堂でも、さすがに何かを感じ始めた。

――今のはどうにも不可解だ――

 誰も触れていなかったし、飛び交っていた物もなかったはず。ユイが持っていた拳銃からは弾は発射されていない。亀裂が入った理由が分からない。

――あのリングといいこの件といい、超常現象が良く起こる家だ!――


 説明する気のないラウルに、新堂は気を取り直して問いかける。

「ケガ人は?」

「出ていない。いたとしてもお前に迷惑はかけない。ホームドクターが別にいる」

「ああ!そうですね、失礼しました」

 ラウルの嫌味に気づいた新堂は、軽く受け流して背を向けた。

――聞かなければ良かった!――


 新堂がほんの少しだけ怒りを覚えたその時、ユイとバチリと目が合った。

「ん?珍しいな、俺を認識するなんて」

「新堂、気を付けろ、お前の放った殺気に反応したのかもしれない」

「殺気?そんなもの放ってませんが」

――恐ろしい事を言うな、俺は殺気など立ててない!――


 ユイは真っ直ぐに新堂の元にやって来る。

 そして至近距離で見上げた。ラウル程でないが、身長差があるため急角度で見上げる必要がある。


「どうした?俺の顔に何か付いてるか」

 新堂がおどけて自分の頬に手を当てて笑う。その手をユイが掴んだ。

「おいおい、そんな積極的に何をしようって言うんだ。婚約者が見てるぞ?」

「ユイ、新堂の手を離せ。こちらに来い」

 ラウルが呼びかけても応じない。


 食い入るように新堂を見上げ続けるユイ。だが、すでに怒りの片鱗もない新堂からは、ユイの求めるものは何も得られない。


 対して新堂はこんな事を考える。

――このまま引き寄せて、抱きしめてしまうか――

 この場にラウルさえいなければそうしていたかもしれない。


 新堂を見上げるユイの瞳は、初めから殺し屋の目ではなかった。それに気づいてしまったラウルはこう考える。

――…ユイ、おまえはもしや新堂を…――

 自分には敵意剥き出しの視線を送って来るのに、新堂に対しては違う。そこに好意的な何かがあると考えるのは自然な事だ。


 だがしかし、これは単に新堂からマフィアのような殺気が感じられないというだけの理由である。

 ユイが本能的に医者を好きになる事はあり得ない。


 医者が放つ負の感情は、ユイに限っては大嫌いな注射を連想させる。新堂の右手を掴んだのも、その武器を所持していないか確認するためだ。

 今のユイは欲望に忠実な、至極単純な生き物でしかない。



 こんな日々が続いて、さすがのラウルも心身共に疲れ果てている。


 ユイの動向を微に入り細に入りチェックするのは、趣味になりつつあるくらい気に入ったが、ただ一点、ユイの奇行を止めるために使う超能力で体力が奪われている。

 身近な物を取り寄せたりするのとは違い、シールドしたり人の動きを制止させるのは、実際に動くよりも体力がいる行為なのだ。

 そして夜も、ユイが苦しんでいないかと心配で寝付けない事が多い。


「フォルディスさん。私がユイの事を見ていますから、少しの間だけでも休んでください」

「ドクターにケガをされては困る。お前ではユイは止められない。心配するな、私の日常は常に緊張感に包まれている。今と大して変わらない」

「しかし、そうは言ってもですね…」

 見兼ねた新堂が声を掛けるが、今回もラウルは断った。これまで幾度となく交わされてきた会話だ。


「全く強情な男だな!」

 新堂は側近のダンに訴える事にした。


「ダンさん、あなたからも言ってくださいよ。あれではフォルディスさんが過労で倒れますよ?」

「分かっていますっ!…ですが、自分にもどうしようもないのです」

 こう返したダンも表情は冴えない。

「何だかダンさんもお疲れですね。お仕事大変なんでしょう?それについても対策を練らないと…」

「分かっています!」


 唐突に声を荒げられて内心ビクリとした新堂だが、耳元で窘めるように告げる。

「怒りを抑えてください、ユイがやって来ますよ?」

「っ!」

 ダンは瞬間振り返って身構える。

――今度こそは投げ返す!…来ないな。なぜ警戒してる時に限って来ない!――

 ダンは大いに落胆した。


 その頃ユイはこんな人々の気も知らず、ネコのように陽だまりの中で気持ち良さそうに昼寝をしていた。


・・・


 穏やかな昼下がり、3台の黒光りするセダンがフォルディス邸にやって来た。

 先頭車両から降り立ったのは若い女性だ。淡い金髪に明るいグリーンの瞳はラウルに良く似ている。


 客人を目敏く察知したダンは、すぐさま玄関に向かった。


「ダン、久しぶり。変わりなさそうね」

 女性の後方には、明らかにカタギでない雰囲気ながら、男前ばかりの黒服達が勢揃いしている。

「これはルアナ様!どうも…ご無沙汰しております。突然のご来訪、どのようなご用件で?」

「あら。従兄にアポなしで会いに来たらいけない?」

「滅相もない!ですが、ラウル様は今手を離せない状況でして、お会いにはなれないかと」


 凄みを利かせて返すダンに、後方の男達だけが怯んだ。

 何人引き連れていようと、ダンただ一人の方が何倍も迫力がある。


「ああ良かった、なら屋敷にいるのね!ずっと公の場に顔を出してないって聞いて、具合でも悪いんじゃないかって心配してたのよ。それで?手を離せないって何をしてる訳?」

 ダンの威圧も何のそので、横から屋敷内を覗き込もうとするルアナを、体の位置をずらして阻止するダン。


 ルアナはムッとして頬を膨らませ、表情だけで抗議する。


――何と言う顔を…レディにあるまじき姿!いつまでたっても小娘だ!全くこの女、こんな時に何をしに来た?それでなくても俺は手一杯だというのに!――

 ダンは心の中だけで大いに苦言を吐く。


「わざわざこのルアナ様が足を向けてるのよ?そこどいて。ラウルに会わないと帰らないんだから!」

「またそんな我がままを…お待ちください、ルアナ様」

 付き人達を玄関に残し、自分を押しやって屋敷に足を踏み入れたルアナに、ダンが言葉だけで制止を求める。ラウルの従妹に手を出す事はできない。


 聞く耳持たぬ様子で、ルアナは勝手知る屋敷内を歩いて行く。

 幼少期からよく遊びに来ていたため、ラウルの部屋は案内されなくても分かる。


――ああ!せめて今のご様子を確かめてからお連れしたかった。この時間は恐らくティータイムか…――

 日頃の状況を思い起こし、ダンは室内の様子を想像する。


 ユイとラウルのティータイム。だがしかし、今のユイは以前とは違う。何が起きているかは未知である。


 そしてついにラウルの部屋のドアが開かれた。


「ラ・ウ・ル!来ちゃっ、た…」

 穏やかな午後の日差しが降り注ぐ室内で、あり得ない光景が広がっていた。

 一番に目を引いたのが、横倒しのテーブルに置かれていたと思われる、プカプカと宙に浮いた食器達だ。

 ラウルは椅子に座っているユイを、中腰の姿勢で抱きしめている。


「…ルアナ」

 ドアが開いた事に気づき、ラウルに続いてユイも緩慢とした動きながらそちらに目を向ける。


「人払いまでして、何してるのよ。まさか新手のプレイ!そうすると、その女があなたの新しい恋人?」

「誰が入っていいと言った?ダン、どういう事だ」

「もっ、申し訳ございません…」

「ラウル!私が話してるんだけど?昼間からイチャついてて手が離せないって事かしら?」

「ルアナ様。さすがにそれは失礼ですぞ、訂正してください」


 ラウルがユイに声をかける。

「ユイ、何も心配いらない。前に話した私の従妹だ、会うのは初めてだったな」

 そんなラウルの声は耳に入っているのかいないのか、ユイは新たな登場人物を食い入るように見つめている。

「何よ。私の顔に何か付いてる?何か言ったら!」

「ルアナ、ユイはルーマニア語はできない。…今はそんな事は関係ないが、一応、英語で話してくれ」


「何?関係ないって。ないならいいじゃない。私、英語得意じゃないのよ」

 ツカツカと部屋に入って来たルアナは、椅子に座ったままのユイに近づいて行く。

「ルアナ様、あまり近づかれない方がご自身のためかと」

「は?何それ!」


 鼻で笑い飛ばし、ユイの目と鼻の先でルアナが続ける。

「ねえあなた。さっきから人形みたいに固まってるけど、私の事が怖いとか?…ああ、私の美しさに怖気づいたのね!それなら仕方ないわ。ほら、私の顔、ラウルにそっくりでしょ!ラウルのお母様はそれは美しかったのよ。ああ私ね、母方の従妹なの。そんな美貌の血を継いだ私こそ、本当はこの家に相応しいのに…」

 ルーマニア語でまくし立てるルアナ。


「美貌はフォルディス家とは関係ない」素っ気なくラウルがルーマニア語で返した。


 少しだけ膨れっ面になったルアナだが、肘掛けに乗ったユイの左手に目が行って表情を変える。そこにエメラルドのリングが光っていたからだ。


「ちょっとそれ!もしかしてフォルディス家の?でもデザインが違うわ…」

「ユイのためにリフォームをしたのだ。美しく生まれ変わっただろう?」

「ホントにっ…て、そうじゃなくて!何であなたが着けてるのよ?ねえラウル!酷いじゃない、私には一度だって着けさせてくれなかったのに!」


 ルアナの怒りが強まる。それに反応するユイ。


「ラウル様、これ以上は危険かと」ダンが耳打ちする。

「分かっている。ルアナ、どうか落ち着いてくれ」

「何よ!ちゃんと説明してよ!」


 その時、大人しく座っていたユイがスクッと立ち上がった。驚いたルアナは一歩後退る。ユイは表情一つ崩さずルアナを見つめる。その瞳が鋭くなる。


「なっ、何よ急に。やる気?」

「ユイ!彼女は敵ではない、私の従妹だ、手を出すな」

「な…何よ、本当にやる気?」やや怖気づくルアナ。

「ルアナ様、おケガをされたくなければ、ここは一旦お引き取りを」

「何なのよっ、頭おかしいの?この女!」


 この言葉に、ラウルが反応した。

「ルアナ。ユイは事故の後遺症で、このような状態になったのだ。二度とそういう言い方をするな」

 それは、ルアナがこれまでに耳にしたどのラウルの言葉よりも重いものだった。


「…何よそれ。その女の世話で手が離せないって事?」

「ああそうだ。私の大切な人なのだ。どうか静かに過ごさせてくれないか」

「っ!もう、何なのよっ!気分悪い。帰る!」


 ルアナは来た時と同じように、忙しなく帰って行った。


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