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エメラルドグリーンの誘惑  作者: 氷室ユリ
第二章 降りかかる試練
35/99

束の間の相思相愛(1)

 フォルディス家に殺し屋集団が送り込まれてから、半月が過ぎた。屋敷はすっかり元の日常に戻ったのだが、一つだけ変化があった。


「んもう、しつこいっ!何度断れば分かってくれるワケ?言葉通じてないのかしら」

「ユイ様、今のご依頼先はどちらの国からで?」

 携帯電話をソファに投げつけ、頬を膨らませて怒るユイにダンが尋ねる。


 あの騒動以来、ユイ・アサギリに裏世界から依頼の電話が殺到しているのだ。


「コロンビア」

「でしたらスペイン語ですね。話されていたのは英語のようでしたが…」どこか勝ち誇った顔でダンが視線を送る。

「そうよ、スペイン語はできません!何よ、ダンさんはできるの?」

「はい。嗜む程度ですが」


「またまたぁ~、ご謙遜を!どうせベラベラなんでしょ、日本語の時みたいに?」

 わざとらしく肩を竦めているダンにイラ立ちながらもこう続ける。

「なら今度、またかかって来たらお願いするわ。私の秘書って事で断っといて」

「かしこまりました。ちなみに先方はどのような筋のお方ですか」

「言っとくけどマフィアじゃないわよ?」

「でしたら麻薬王ですか」


「違うっ!どこまでも私を犯罪集団と関わらせたいみたいね」

「滅相もない!」ダンはここぞとばかりに面白がる。


 それを指摘しようとした時、不意にダンの顔に緊張が走った。これが何を意味するのか、今のユイには理解できる。


「楽しそうだな。私も混ぜてくれ」

「ラウル!楽しくなんてないわよ」

「ではっ、自分はこれで失礼します!」

 ラウルの姿を見るや、ダンはビシッと姿勢を正してユイの部屋から出て行った。


 そんな態度があらぬ誤解を招いた。ラウルにはやましい事があって逃げたように見えたのだ。

「…」

 無言になるラウルにユイが尋ねる。「どうしたの?」


「ダンと何をしていた」

「別に何も。強いて言うなら、ダンさんの自慢話を聞かされてた、かしら」

「自慢話?」

「ええ!自分はスペイン語もできるぞ~、お前はできないのか、ははは~ざまーみろ!ってカンジ?」

 棒読み口調で低音を出し、ベンの声音を真似る。笑い声の後は日本語で。英語にするとニュアンスが変わってしまうためだ。


 笑って済ませてほしかったユイだが、ラウルは思案顔のまま沈黙している。

――しまった…、冗談通じないんだった!ゴメン、ダンさん――

 怒り心頭でダンの元に向かうのだろうと考えた。が、ラウルは立ち上がる気配はない。


「ざまー、みろ、とは?」

「ああ…そこを考えてたのね」

 少しだけホッとして答える。「当然の報いだ、ここで言うなら勉強不足だってとこかしら」

「つまりダンはおまえを罵ったのだな」

「直接言われた訳じゃないのよ?口じゃなくて、顔でね」


 最後の言葉にラウルは目を丸くした。

「顔でものが言えるとは、大したヤツだ!」


「ラウルはできないもんね~」

「…」

「あっ、落ち込まないで、そんなの求めてないから!」

「私も学ばねばな」

「だからいいってばっ」

 どこまでも生真面目なラウルにユイは苦笑するしかない。


「それでどうしたの?こんな時間に。私に何か話?」

「ああ。仕事が一段落したら、旅行に行かないか。婚前旅行だ」

「いいわね、賛成!あれ以来忙しそうだったけど、時間作れそうなの?」

「ああ。前回のロシア観光もお預けだっただろう」

「ええ…その節は本当に、申し訳ありませんでした…」


 ユイは途端にうな垂れる。例え命の恩人のためと言えど、あの時の自分の行動は今も悔やまれる。


「何とも思っていない。ユイ、顔を上げてくれ」

「…ラウル」

 おずおずと視線を合わせたユイに、優しくラウルが微笑む。その肩に手が乗り、引き寄せられる。そして唇が合わさった。

「んっ…、ラウル」

「ユイ、愛しているよ」

「私も…」


 キスを交わしながら愛の言葉をかけ合う。ユイの左手中指には、フォルディス家のリングが光る。まるで二人を見守るように。


 そしてこの美しい光景を見守る者がまた一人、二人、いや三人。中庭から部下達が目撃していた。

「おお…見ろよ、まるで映画のワンシーン!…ボスとユイ様は本当にお似合いだ」

「こらぁ!お前ら、何をボーっと突っ立ってる?仕事に戻れ、バカ者共めが!」

「ゲッ、ダンだ!クソ、もう少し見ていたかったのにっ」

「目敏いぜ、全く恐れ入る!急げ、持ち場に戻るぞ」


 ダンの姿に、部下達は慌てて四方に散った。


 彼等がいた場所まで来ると、ダンはため息をつきながら屋敷の窓に目を向ける。

「全くすぐに気を抜く。緊張感を持てといつも言っているのに!困った奴ら、だ…」

 その目に二人の仲睦まじい姿が映ると、御多分に漏れず見惚れてしまう。


――美しい…、お二人とも神々しい美しさだ!この世のものとは思えん…っ――

 目にできただけで有り難い、誰もがそう思ってしまう程に、ラウルとユイの美しさは格別である。

「ようやくラウル様にお相手が現れた。これでフォルディス、いや、フォルディシュティ家も安泰だ」

 ダンの表情は未だかつてなく柔らかい。


 だがこんな時は長くは続かないもの。

 この二人に不幸が襲いかかろうとしている事に、まだ誰も気づいてはいない。


・・・


「きゃーステキ!現実世界にも、こんなに素敵な場所があるのね」

「気に入ってもらえて嬉しいよ」


 二人は今、フォルディス家のプライベートジェットで南の島にやって来ている。

 一年中常夏の小さな島。世話係と称してダンが付いて来ているが、二人の他には誰も住んでいない。

 まさに二人だけの楽園だ。


「さすがはお金持ち。こんなに贅沢していいのかしら…」

「ユイ様。そういった感想はどうか、ラウル様の前では口にされませんように」

「うわぁっ!ダンさん、いきなり現れないでよ、ビックリするってば!」

「いきなりではありません、先程からいました」

「って、あのさ~、もっとバカンスっぽい服はなかったの?」

 黒スーツをビシッと着こなすダンを見て、ユイは不満でいっぱいだ。


「自分はバカンスに来たのではありませんので」

「それは知ってるけど!そうじゃなくて、私達のテンションの話」

「達、というと、よもやラウル様のご意見ですか!」

 少し離れたところにいるラウルに目を向け、ダンはあからさまに慌て出す。

「そうじゃないけど…そんな格好じゃラウルだって仕事を忘れられないでしょってハナシ!察してよ」


「ああ…」

――確かにその通りだ。ならばアロハシャツでも入手してくるか――


 ラウルに負けず劣らず生真面目な男は、思い立ったら即行動派だ。


「ラウル様!少々席を外してよろしいでしょうか!」

「勝手にしろ」

――別に同行も頼んでいない――

「ありがとうございます!何かございましたらご連絡ください、すぐさま引き返して参ります」

 早く行けという意味で手を掲げて制したラウルだが、ダンは〝気にするな〟と取る。


――何と懐の広いお方だ!速攻で戻るぞぉ!――

 鼻息荒くジェット機に乗り込むや、あっという間に消え去った。



「ねえラウル。ダンさんにちょっと冷たくない?…って私が言うのも何だけど!」

――私も散々冷たくあしらってるし?でもそれ言ったら、あっちだって私の扱い結構ザツよねっ!――

 白い砂浜を素足で蹴りながら進み、ラウルの隣りに立ったユイはほぼ真上を見上げながら言う。二人の身長差がこうさせるのだ。


「そうか?いつもと変わらないと思うが」

「う~ん、それは知ってる。だからそうじゃなくって」

 なかなかに説明が難しい。

「何かさ、いつもダンさんに怒ってる、みたいな?」

「実際に今は怒っているかもな」


「そうなの?どうして?」

「私の業務を代行できるのはダンだけだ。にも関わらず、共に休暇に出ては仕事に支障が出る」

「そうなのね。でも、あのダンさんが仕事を放り出すとは思えないけど」

「ああ。本人はどちらも完璧にこなすと言っている」


「ならいいんじゃない?」楽観主義のユイはあっさり答えを出す。

 そしてラウルもなかなかの楽観主義者だ。

「そうだな。問題が起きたら責任を取ってもらうだけだ」

「そうそう!そんな事分かってるわよ、あの人なら」

 二人は見つめ合って微笑む。


 バックには低い木々が生い茂った丘が見える。そして抜けるような青空。ぐるりと見渡せば、どこまでも広がる青い海。水平線の近くに浮かぶ軽やかな雲。

 もうダンの事などすっかり忘れて、二人はそのまま手を繋いで寄り添いながらコテージへ向かった。


 白を基調とした開放感たっぷりの室内には、ガラス張りの天井から明るい陽射しが降り注いでいる。インテリアはどれも凝っていて、まさに南国リゾートそのものだ。


「もうステキの一言!ラウルが好みそうなものばかり…ホントいい趣味してるわ、あなたは」

「今のは褒め言葉か?」

 ユイの肩を抱いていたラウルが、首を折って顔を覗き込みながら尋ねる。

「ええ。このワンピースも。ラウルに選んでもらって正解」

「とても似合っている。ユイは何を着ても似合う」

「ありがと!うふふっ」


 ユイが今着ているのはシンプルな麻のワンピースだが、素朴な中にもセンスの光る一品だ。


 よく二人でショッピングに行く。そこでユイはラウルの見立てで服を買う。ラウルの着ているもののセンスが良すぎて、それに見合うものが選べないから。

 屋敷に来た当初、クローゼットに収められていた服のジャンルを見て愕然としたユイだったが、あれがダンの趣味と分かってどんなに安堵したか!


 ユイは思い出し笑いを始める。


――さっきは嬉しくて笑ったのは分かるが、今は…何の笑いだ?――

 笑いの種類が変わった事は理解したラウルだが、その理由が分からない。


「ユイ?何かおかしいか」

「ふふっ!思い出しちゃって…、ダンさんの趣味」

「ダンの趣味?」

 その後打ち明けられた、フリフリのロリータファッション紛いのドレスが揃えられていた件。ラウルは改まって頷く。

「…ああ、あれは私も失敗だと思った」


「でっしょ~?あんなんじゃテラスの柵も乗り越えられな…、何でもないです…」

「フっ…全くおまえは、令嬢らしからぬ勇姿だった」

「あ、あははっ…」返す言葉がない。もうユイは笑うしかない。

 そんな彼女の頬にラウルが優しく指を這わせる。「どこまでも興味が尽きなかったよ」

「呆れてただけでしょ?」

「まあ…初めは」

「本当に嘘がつけないのね、ラウルって!」


 ユイが顔を背けたせいで、頬に当てていたラウルの手が宙に浮く。


「今は、嘘をつくべきだったか?」

「つかなくていい!ラウルはそのままでいて。ね?」

「そうは行かない。お互いに納得の行く状態でいたい。そのために、不足している部分を補う必要がある」

「ラウルは何も不足してないから」


――私がもっと大人になりさえすれば…何の問題もないんだから――

 ユイは思う。だがラウルも思う。

――私がもっと普通の人間的感情を知れば、ユイを傷つけなくて済む――


「大好きよ、ラウル。こんなに素敵なバカンスに招待してくれて、ありがとう」

「ユイが喜んでくれたなら嬉しいよ」

 抱き合う二人。天井から差し込む光が、まるでスポットライトのように降り注ぐ。


 この後すぐに、この絶好のシーンをぶち壊すような轟音が迫る。

 やがて二人の頭上に影が落ちた。


「…戻って来たか」

「これはヘリの音ね。乗り換えたのかしら」

「この島にジェット機は置いておけないからな」

「そっか」

――ヘリなら、いざという時私も扱えるから好都合ね!――


 ラウルもダンも、ユイがヘリを操縦できる事をまだ知らない。

 ちなみにフォルディス家には専属パイロットが常駐しており、双方とも操縦免許は持っていない。

 これが明かされた折には、再びダンとの自慢大会が繰り広げられる事だろう。


「また随分と派手な装いだな。何を考えているのか…」

 奥の窓にチラリと映ったダンの姿に、ラウルが気分を害している。

 気づいたユイが説明する。「あ、あれね、私がお願いしたの!」

「?」

「ほら、せっかくのバカンスに黒服でうろつかれたら気分がぶち壊しでしょ?」

――だからってあんなド派手なシャツを選ばなくても!――


「ああ…そうか」

――ユイはああいうのが好きなのか。ならば私も白のシャツでは…――

 口数少なのラウルの考えている事が薄々分かり、ユイは慌てて否定する。

「言っとくけど私の趣味じゃないわよ?あれはダンさんのチョイスだからね?」

 ラウルはハッとした顔で視線を戻すと、どこか安心したように頷いた。


 その後ユイがダンと言い争いを始めたのは言うまでもない。


「全くあの二人、羨ましいくらいに仲がいいな…」

 ラウルがこう呟いて一瞬だけ殺気立った事は、幸い誰も知らない。



 夜になると、満天の星が空を埋め尽くした。島にはコテージの他に明かりがないため、海のど真ん中にいるのと変わらない闇の世界だ。

「吸い込まれそう…!ずっと見てると、空を飛んでるみたいになる」

「…ああ。宇宙は広いな」

 浜辺に並んで腰を下ろし、砂浜に付いた二人の手は重ねられている。


 ラウルはさり気なくユイの嵌めたリングに手を添え、喜びを再確認する。

――これを身に着けられる女性と出逢えた事に、心から感謝する…――


 ここにいる間中、片時も離れる事無く二人はお互いを感じ合って過ごす。

 それはいつも以上に濃密な時間だ。


「幸せすぎて、日常に戻るのがイヤになりそう!」

「…ああ」

「ラウルったら、さっきからああ、ばっかりよ?」

「ユイと同じ気持ちでいるという事だ」

「ああ、そっか」

「ああ」

 同じ言葉を言い合い、どちらからともなく笑い出す。そしてこの日何度目かも分からないキスを交わす。


「これを幸せというのだな。…心が満たされているのが良く分かる」

「ええ」

「今また一つ学んだよ」

「幸せを?」

 ユイには、恵まれた生活を送って来たラウルが、これまで幸せを実感できていなかった事が不思議でならない。


――生まれた時からお金持ちだと、こうなるんだなぁ――


 住む世界の違いを目の当たりにした気がして、ちょっぴり疎外感を味わうのだった。


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