第6章のちょっと前「千客万来で嬉しいけど、今はちょっとそっとしておいてほしい勇者」⑤
「香澄様! 香澄様はいらっしゃいますかっ!?」
せっかく寝付けそうだったときに、まだわたしの部屋の扉が開かれる。
部屋に入ってきたのは、ヴィルという名の新入りの兵士だった。
ヴィルは慌てた様子で、勢いよく扉が開かれる。
「あ、そんなに乱暴に開けると……」
バコッ! バタン! ドッカーン!
「あぁっ、すみません、すみませんっ! 扉を壊してしまったみたいで……」
「……いいのよ、それは元々壊れてたから」
それよりも気になったのはヴィルの慌てぶりだった。
尋常じゃない様子だったので無碍に扱うこともできず、わたしは軋む頭と重い身体を無理矢理起こして「どうしたの?」と聞く。
「人間です! 人間が前庭で、魔王様か幹部の方に会わせろと言っていまして。それで指示を仰ごうかと……」
「そっか……でも、ごめん。それってミハエルとかガルムとかに聞いたほうがいいんじゃないの?」
「それが……ミハエル様はスレリカに、ガルム様はマッスルボブ様と共にクファミナの視察に出ておりまして」
「じゃぁジョンとゲフィニカは?」
「ジョン様とゲフィニカ様は、共に北方の地質調査に向かわれました」
「えっ、じゃぁシモンは?」
「魔王様は最近飼い始めたペットのお散歩……ではなくて、魔獣の調教するために近くの森へ……」
「今『お散歩』って言った? 魔王が新しいペットを飼い始めて一緒にお散歩してるって言った!?」
「いいえ、調教です……香澄様、睨まないでください。僕もそう伝えろと言われただけですので」
「……まぁいいや。でもまだクリスはいるでしょ?」
「それが、クリスティ様も本日は非番で、近くの街へ金平糖を買いに行ってしまってまして……」
「………………」
ガルムとゲフィニカは、そういえば出掛けるって言っていた気もしたけど、まさかジョンやクリスまでもとは……
「で、ほかにこの城に残ってる幹部は?」
「おりません」
「………………えっ?」
「現在、城内に残っている幹部は香澄様だけなのです!」
「有り得ないし!! この城の連中、揃いも揃って馬っ鹿じゃないの!?」
まぁでも、そんなことを言っても始まらない。
わたしはヴィルに「準備をするから五分だけ待つように伝えて」と言うと、急いで服を着替えて前庭へと向かった。
だけど、そこでわたしは、事の重大さを目の当たりにした。
あまりにも、相手が悪すぎたのだ。
「なによ、これ……」
そこでは、金色の髪と青い瞳をした、騎士のような格好の女性が剣を振るっていた。
彼女の周りには大剣で斬られた魔族の兵士達が三十人以上倒れていて、集まっていた他の兵士達も一斉に女性へと向かって走り出す。
女は剣を再び構えると、それを横薙ぎに払おうとする。
けれど、剣を普通に振るったのでは、これだけの魔族を相手に押し負けるだけのはずだ。
それなのに、躊躇わず振り抜かれようとしている一撃。
だからこそ、あの一撃だけは絶対に防がなくてはいけないと感じた。
「クソっ……間に合えぇぇぇぇっ!」
わたしは両足に光の粒を集めると、走る魔族達を飛び越える。
キン、という甲高い音。
振るわれた大剣は、最初の一人を斬るよりも早く、左手に展開した盾が受け止めていた。
「全員、負傷者を連れて後退っ! 急いでっ!」
「そんなっ! 俺達だって戦えますっ!」
「いいからわたしの言う通りにしなさいっ!」
余裕が無いせいか、いつもより口調が乱暴になっているのは自覚していた。
頭痛がする。立っているのがやっとだった。
少し落ち着いてきたはずの鼓動は、先ほどの跳躍でまだ暴れだしている。
それでもわたしは、光の粒子を通わせて全身を無理矢理動かしながら、剣を構える女を睨んだ。
歳は二十台半ばほどに見える。
金髪碧眼の美人だが、優しげに微笑む口元と反して、目の奥が全く笑っていない。
「私はスピカ・ストラディバリといいます。お目通り願えて嬉しく思います」
スピカと名乗った女性は丁寧な仕草で頭を下げ、
そしてその直後、剣が振るわれた。
「えっ……」
女性が振るうには大きな剣。
それがわたしの首元の紙一重の位置でピタリと止まっている。
警戒していた。
いつ剣が振られても良いように構えてたつもりだった。
けれどもわたしはその速さに、全く反応ができなかったのだ。
「……あなた、人間ですわね? 何の冗談でこの場にいらっしゃるのかしら?」
スピカが言う。
もしもわたしが魔族なら、もしもスピカがその気なら、既にわたしの首は落とされていたことだろう。
おっとりとした笑顔の奥に、ゾッとするほどの、魔族に対する冷たい感情を垣間見た気がした。
でも、だからこそ本当に今回だけは、わたしが引くわけには行かなくなってしまった。
冷や汗も流れた。恐怖で寒気さえ感じた。
それでも震える拳を握り締めて、そしてわたしはスピカに言った。
「わたしは香澄。魔王軍の幹部よ。そしてわたしは、自分の意思で今の立場にいるつもりよ!」
「そう? じゃぁもう切り刻んで構いませんわね?」
「やれるもんならやってみなさいよっ!」
そんなことを言いながら、勝てる見込みなんてあるはずがなかった。
ただ魔族のみんなから注意をこっちに逸らしたくて必死だったのだ。
振り上げられる右手。わたしは左手に盾を展開すると、振り下ろされる大剣を受け止める。しかし剣を弾いたと思った瞬間、第二撃、第三撃と、まるで木の棒でも振り回しているかのような速さで、ずっしりと重い衝撃が襲ってきた。
第八撃、第九撃……そしてちょうど十回目の攻撃を大きく押し返して反撃に転じようとしたところで、頭が割れそうなほどの頭痛に襲われる。
「――――――っ、」
「隙あり、ですわ!」
横薙ぎに、大振りの一撃。
わたしは自分の足が地面から浮いたのを感じた。
熱のせいで鈍っている思考が、落下の衝撃と痛みで目を覚ます。
「香澄様っ、大丈夫ですか!?」
「戦うなんて無理です、そんなお身体で!」
「ここは俺達が追い返しますから、部屋に戻っていてください!」
離れて待機していた兵士達が、わたしの方へと駆け寄ってきてくれている。
その気持ちはとても嬉しく感じた。
人間であるわたしにそんなことを言ってくれるのがどれほど難しいことなのか、どれほどありがたいことなのか、この二ヶ月で嫌と言うほど見てきたからだ。
だけどそれでも、
「来るんじゃないわよ! 命令よっ!」
わたしは叫んだ。
そう言わなくてはいけなかった。
「香澄様! 俺達にも戦わせてください!」
「馬鹿言わないで! そんなことをしたら全滅よ!」
「全滅って、そんな……」
「この女は聖波動を使うのよ! 伊達や酔狂で言ってるんじゃないの! もしわたしが負けたときは、城を放棄して全力で逃げ延びなさいっ!」
わたしは盾を剣の形に変形させると、右足に力を込めて地面を蹴る。斬りかかる刃は大剣で軌道を塞がれ、しかしそれは阻まれることのないまま、まるで豆腐を切るように大剣の半分を斬り飛ばす。
「そんなっ!」
ジョンと同じ、次元を斬る刃。
初めてスピカの焦った顔を見る。
辛うじて刃を回避したスピカを追いながら、わたしは再び刃を振るった。
「あなた、未熟ですわね。動きがまるでなってないですよ」
「そんなのは……わたしが一番よく分かってるっ!」
わたしの刃はスピカに簡単にかわされる。それもそのはずで、戦闘経験の差はわたしが一番感じているところだった。
それでも隙を作ってしまえば、一気に形勢は逆転してしまう。スピカに余裕を与えないためにも、わたしは攻撃の手を緩めるわけにはいかなかった。
しかしそれでも、スピカが使い物にならなくなった大剣を捨てると、そこからわたしは押され始める。
スピカは両手に聖波動を集めると、それを剣の形に変えて反撃に出たのだ。
スピカの持つ光の剣は、斬っても斬っても作り直されてしまう。手数が圧倒的に多いスピカの攻撃に押されて、わたしは左手の刃を盾に戻して凌がざるをえなくされてしまったのだ。
それでも、次第にその速い剣撃に目が慣れてくる。
もう少しで、突破する糸口が見つけられそうだと思った、そのときだった。
「――――――えっ?」
ふと、目の前が真っ白になる。
足に力が入らなくなって、ずっしりと身体が重くなる。
咳き込んで肺が潰され、息苦しさと頭痛が思い出したように襲ってきた。
盾はまだ作れる。光の粒を通して自分の全身の感覚を感じることもできる。
それでも倒れたわたしの身体は、もう指一本動かすことさえできなかった。
わたしはまだ戦えるはずなのに、それでも身体の方が限界のようだった。
「体調が優れないようでしたが、それでも私を相手によく頑張ったと思いますわよ? ですがそれでも、勝ちは勝ち、負けは負けですわ」
そしてスピカが「一つお尋ねしたいのですが……」と、光の剣をわたしの喉下に突きつけたときだった。
「ふっざけんなぁぁぁっ!」
そう叫んだ声は、『香澄様を勝手に後援会』副会長のクルスのものだった。
そしてその声は、倒れたわたしを飛び越えて、スピカに斬りかかっていったのだ。
「聖波動が何だ! 幹部の命令が何だってんだ! 人間に、それも年下の女の子に命張って守られて、それで本当にいいのかよっ!
俺達は誇り高き魔族だ! その胸に誇りのある奴は、俺に続けぇぇぇぇっ!」
「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」」
スピカがクルスの剣撃を回避して一歩飛び退く。
そして地に足を着けたときにはもう、わたしの前には魔族たちの身体で分厚い壁が出来上がっていた。
「ちょっと! あんたたち死ぬわよ!?」
「討ち死に上等っ! 香澄様は俺達のために命を張ってくれたんだ。どんな手を使ってでも、死んでも香澄様は守ります! だよな、テメェらぁっ!」
「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」」
魔族達は剣を構え、槍を構え、瓶を構え、魔力を手に集め、スピカと睨み合う。
緊迫した空気の中、
「参りましたわ。降参です。これでは私が悪者みたいじゃないですの」
先に剣を納めたのは、スピカのほうだった。
「人間を守ろうとする魔族なんて、初めて見ましたわよ。香澄さん、あなたがこのバケモノたちの心を変えたんですの?」
いいや、それは違うと思う。
この魔族達は、もともとそうだったのだ。
人間と魔族ではなく、ただ人として普通に話ができれば、魔族も人間も互いにバケモノではなくなるんだ。
だから、もっときちんとお互いのことを理解し合えれば……
「怯むな、こちらを油断させる作戦だ! 『香澄様を勝手に後援会』全員、呪いの芋虫投擲っ!」
「ちょっ、何よその気持ち悪いのは……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
雲ひとつ無い晴れた空を、体長十センチの芋虫が翔んでいく。
そしてわたしは、人間と魔族の間の溝が再び深まった瞬間を見たような気がした。






