第4章のちょっと前『医務室と勇者』①
「廊下を右に曲がった突き当たりだから……っと」
歩いたり身体を傾けたりするたびに、全身がずきずきと痛む。
背に腹は代えられず、わたしは陰湿な上司に言われたとおり、医務室の扉の前に立っていた。
うん。たぶんここであってるはず……
そしてわたしが、扉をノックしようとしたときだった。
「イチゴちゃん、お手」
「にゃんっ!」
「ミルクちゃん、伏せ」
「にゃんっ!」
「はーい。よくできましたー」
「………………」
わたしが扉を開けると、普段のメイド服にネコミミカチューシャと猫のしっぽをつけたイチゴとミルクが、金髪少女から金平糖のようなお菓子を貰って嬉しそうにしていた。
わたしに気付くと、イチゴとミルクが幸せいっぱいな顔で「「にゃん?」」と振り向く。
「か、かわいぃ……」
仕事サボってなにしてるの?とか、そもそも何してるの?とか、言おうと思っていたことが全部フっとんだ。
そこの金髪の子、ぐっじょぶ!
「イチゴ、ミルク。なにしてるの?」
「師匠様。猫ですが、何か?」
「お師匠。おやつを貰っていたのだが、何か?」
「それ、語尾に『にゃん』つけて可愛く言ってみて」
「猫ですにゃん☆」
「餌付けだにゃん♪」
……餌付けされてる自覚はあるのね。
いつもなら『馬鹿でしょ』って言ってるところだけど、今日は可愛いから許しちゃう。
ふと、金髪の少女と目が合う。
おっとりとした表情というか、今にも眠ってしまいそうな顔だった。
「こんにちは。のほほんです」
金髪少女はそう言って微笑んだ。
「ええ、こんにちは……のほほん?」
「はい、のほほんです♪」
この国ではもしかして、『良い天気ですね』とか、『今日は日差しが温かくて過ごしやすい日ですね』とか、そんな意味で『のほほん』を使ったりするのだろうか?
まぁすっごい眠そうな顔をしてるしなぁ……
「えっと……もしかして人間さんですか? めずしいですね。お名前はなんというのですか?」
「香澄よ。よろしくね。あなた、名前は?」
わたしは右手を差し出す。
少女は笑顔でわたしの手を握り、そしてこう答えた。
「のほほんです」
一瞬、どう反応していいのか分からなかった。
「えっ? 今何て……」
「のほほんですよ?」
「いや、だから、名前……」
すると、少女は自分のポケットから一枚の紙を取り出して言う。
「ですから、のほほんですよ? 全部言うと、ノノ・ノホホン・ホノボノノホホンが、のほほんの名前です」
「………………偽名?」
「のほほんはのほほんですよ?」
偽名にしても酷い名前だ。
ましてやこの、ぽけーっとした少女は、偽名を使うほど賢そうにも見えないのだ。
「ごめんなさい。本当に名前なのね……ん?」
というかこの子、自分の名前を言うのにメモ見てなかったっけ?
ほとんど『ノ』と『ホ』で構成される名前なのに。
「ちょっとこれ没収」
「あら。のほほんのメモ……」
「はい、もう一回、自分の名前を言ってみて」
「のほほんですよ?」
「全部」
「えっと……のののののほほんのんびりぼのぼののほほんのほほんです」
「……十文字も多くなってるわよ、あなたの名前。それと、『ぼのぼの』はわたしの国の国民的に大人気なラッコだから」
とりあえず、この少女は『のほほん』以外の名前で呼ぶことにしようと決める。
最初は二文字で覚えやすい『ノノ』からにしようか。
「ねぇ、ノノ」
話しかけてみる。
ノノは自分の背後を振り返り、それから「だれもいないですよ?」と首を傾げる。
「いや、あんたよ、あんた! ほら、メモ見てメモっ!」
「あ、ほんとですねー」
メモを返すと、ノノはのんびりとした動作でメモを元あったように四つ折りにすると、ポケットの中に仕舞う。
「メモ返してくれてありがとうございます。香澄さんは優しいのですね」
「わたしの名前より先に、まず自分の名前覚えなさいよ……というわけで、ちょっと椅子に座りましょうね。机に向かって、それからペンと紙を出して……」
「ん、なにをするのですか?」
首を傾げるノノに、わたしは答える。
「書き取りよ! わたしの国に古来から伝わる伝統的学習法なの! これから毎日十回、自分の名前を紙に書いてもらうから」
「それをすると、いいことがあるのですか?」
「もちろんよ。今よりかっこいい自己紹介ができるようになるわ」
「そうなの? じゃぁがんばります。十回だから、のほほん、のほほん、のほほんのほほんのほほん……」
「全部っ! 覚えてる部分だけ書いても意味ないのよ!」
「なるほどです」
そのあとも、『ノ』を一回多く書いたり、途中で『ノホホン』さえ書き間違えるようになったりと、左に置いた手本どおりに書くだけの作業に四苦八苦しながらも、なんとかノノは自分の名前を十回書き終えることができた。
まぁそのせいで、今は机の上で両手を伸ばしてぐったりしてるけど。
「お疲れ様。じゃぁどこまで覚えたかテストするわね。ノノ、あなたの名前は?」
「………………」
「ノノ?」
「Zzzzzzz……」
「寝るなぁぁぁぁぁっ!」
「うきゅっ!」
ノノの顔が跳ね上がる。
口元にはよだれが垂れていて、それから数秒ぼーっとしたあと、あたりをキョロキョロ見回して、ようやくわたしの姿を発見したようだった。
「香澄ちゃん、おはよぉ……ふわぁぁぁ……」
ノノが大きなあくびをする。
どうやらわたしの名前は覚えているようだった。
「で、ノノ。あなたの名前は?」
「のほほんです」
「………………はぁ」
ため息が出た。
ずっしりと疲れが肩にのしかかってくる。
とりあえず続きは明日にしようと、わたしはそう思うのだった。
猫耳メイドです。遊ばれてます。
※IF物語※
香澄「お城の中で最も何も考えてない三人組ね……」
ノノ「そうですねー」
イチゴ「にゃぁ? 褒められているのでしょうか?」
ミルク「よく分からないけど任せておくにゃ!」
香澄「………………」
意味を理解しないで頷く三人組です。
内訳:医療班班長1名、四天王青龍の腹心の部下2名
香澄「本当に大丈夫なの、この城……」






