第1.6章「外伝・銀色の勇者」⑤
「ただいま。遅くなって済まないな。母さん、帰ったぞ」
部屋に入ってきたのは、優しげな顔の男性だった。
しかし男性の表情は、部屋の状況と気を失った瑠璃花を見るなり、引きつった険しいものになる。
「瑠璃花っ! 菫、これは一体……」
「あの変質者がいつの間にか家にいて、そのことに驚いて倒れちゃったの」
「何だってっ! 母さんに怪我は無いのか?」
「それよりお姉ちゃんよ。あたしが気付いたときには居間はもう血だらけで、お姉ちゃんが家のどこにもいなかったの。連れて行かれちゃったのよ!」
「それは何処にだ! 香澄の居場所はそこの変質者が知ってるのか?」
「うん、そう。そうなんだけど……お父さん、どうしよう。このままだとお姉ちゃんが殺されちゃう! 何とかしないといけないんだけど、あたしじゃどうしていいのか分かんなくて……」
「何だと! テメェ、俺の娘に何しやがったっ!」
クロウは菫の父に胸倉を掴まれて無理矢理に立たされ、そのまま足が宙に浮いた瞬間、再び床に叩きつけられる。
菫の父に腹の傷口を何度も蹴られ、息ができないほどの激痛に声さえ漏らすことができなかった。
「菫、こいつは一体何なんだ?」
「変態勇者よ。そいつのせいでお姉ちゃんが魔王に殺されちゃうの!」
「っざけんじゃねぇぞゴルァ! 俺の家族が何したってんだ! 何で香澄が殺されなきゃいけねぇんだテメェ、そんな馬鹿げた話があるわけねぇだろが!」
それからふと、クロウの腹を蹴る足が止まる。
「って……え? 勇者? 魔王?」
「うん」
「菫、今そう言ったか?」
「うん」
「そんな馬鹿げた話があるわけ……」
「でも、お母さんが本当かもしれないって」
「………………」
菫の父が「母さんはどうしたんだ?」と尋ねると、「びっくりして気絶しただけ。先週行った4D映画館と同じ感じ」と菫は答えた。
「えっと……勇者君でいいのかな。済まなかったね」
そう言って菫の父は、床に倒れているクロウを起こす。
「……いえ。俺も同じ立場ならそうしていましたから」
この人を敵に回してはまずいと本能的に感じたクロウは、そう答えることしかできなかった。
言い終わってから、自分がいつの間にか敬語を使っていたことに気付いたぐらいだ。
「あと、俺はクロウといいます。クロウ・ストラディバリ」
「僕は井上秋桜。菫の父であり、瑠璃花の夫だ。で、どういう状況かは説明してくれるのかな?」
「はい。実は……」
クロウは菫と瑠璃花に話した内容を、秋桜にも伝える。
秋桜はどこか納得したように頷き、話が終わるとすぐにクロウの拘束を解いてくれた。
「あの……信じていただけるんですか?」
「ああ。その腰にあるのは聖剣の鞘だね」
「えっ、どうしてそれを……」
「僕も同じなんだよ。もう二十年以上も前だが、そっちの世界に行ったことがある。そのときの勇者がスピカ・グァルネリウス。つまりは君のお母さんだ。彼女と入れ替わりで、僕は君達の世界に行ったことがあるんだ」
「なっ―――――― !」
クロウは驚きのあまり、開いた口が塞がらなくなる。
「つまり、秋桜さんも勇者だったことがあるということですか?」
「いや、僕は何もしていないよ。そのときは窮地の僕をスピカさんが救ってくれた。僕が死ぬと彼女も死んでしまうからね、本当の勇者はスピカさんのほうだったんだ」
それから秋桜は菫に振り返る。
「菫、ひとまず安心していい。クロウ君が生きているということは、香澄も無事だ。もっとも、こうやってクロウ君が拘束されていたから、香澄も捕まっているかもしれないけどね」
「それってつまり、そこの変態とお姉ちゃんに起こることがリンクしてるってこと?」
「あくまで傾向の話だ。完全に同じと言うわけではないよ」
「そっか……でも、よかった」
菫の口から言葉が漏れる。
クロウも同じ気持ちだった。
香澄という少女が自分と入れ替わりになって殺されたなんて、死んでも死にきれない。
だったら自分が死んでしまっていたほうがまだ良かったと、そう思ってしまうぐらいだ。
「さてと。それじゃぁここからは交渉だ、クロウ君」
そう言った秋桜から、クロウに雑巾とバケツを手渡される。
「君に悪意が無いことは分かった。香澄と一蓮托生なのだから、この家で面倒も見よう。けれど君の内臓から零れ落ちた生臭い汚物は自分で処理をしたまえ」
秋桜は優しい笑顔をしていた。
それでもこの父親が本気で怒っていることは、今日会ったばかりのクロウにも理解することができた。
井上秋桜は家族思いの優しい父です。
でもキレるとマジで怖いです。今見せてるのはその片鱗です。
家族の前では『僕』と言いますが、本当の一人称は『俺』です。
秋桜はクロウの置かれた状況に一番理解がある人物。
けれど家族第一なので、クロウの味方をしているわけではありません。
ただし、クロウに美味しいものを食べさせれば、香澄も向こうで美味いものを食べられるかな?ぐらいには、大切にしようと思っています。






