1-32 お迎え
もう、お昼ご飯を終えた昼下がり。村に一軒しかない食堂でエルーハン爺さんの御飯を頼んでおいたのだが、その後もエルーハン爺さんはやってきた。よほど、あの船に執着があるのだろう。
ブルーを待ちくたびれて眠ってしまったエルーハン爺さんを船で寝かしつけておきながら、網の修繕に精を出すエニスであった。
いびきが煩いと嫌だなとか思っていたのだが、実際にはあまりに気配が無いので死んでいるんじゃないかと気になって、様子を何度も伺う始末であった。こんなところで「お迎え」が来てしまったら、冗談ではない。
ブルーが来てくれて相手をしてやってくれると蘇生しそうな感じはするのだが、現れる気配がない。遠出しているのかもしれない。たまに遠くまで出かけていて、しばらく来ない時がある。時間の感覚は、明らかに人間よりも緩そうだ。
時折、エルーハン爺さんが、「ううっ!」とか言って体をピクっとさせると、エニスも思わずビクっとする。昔の海戦の夢でも見ているのだろうか?
「気が散るなあ。そんな時に限って網の傷みが激しいのよね。おまけに何かこんがらがっているわ。ブルーがいるとすぐに直してくれるんだけどなあ」
ブツブツと溢すエニス。
「呼んだあ?」
いきなりザバーっと姿を現すブルー。
◆◇◆◇◆
「うわ、ビックリした。保護色だから来てるのがわからなかったわ。もう脅かさないでよブルー。そうでなくても心臓に悪い展開なんだから」
息の根が半分止まりかけているのではないかと思える、エルーハン爺さんと同伴する羽目になっているので、大変心臓に悪い1日なのだ。
「あれ、そこにいるのは昨日の爺さんじゃないの。まだいたんだ」
「ブルーに会いたかったみたいよ。でもまだ起こさないでね。ちょっと、この網を何とかしてほしいんだ」
起こすと、網を直してもらうどころでなくなってしまうだろう。
「いいよー、貸してー」
俺は、ちょちょいのちょいで、こんがらがった網を直してあげた。
「相変わらず器用な鰭ねー」
「えっへん!」
こんな時くらいでないと、エニスのお手伝いはできないからね~。
「う、う~ん。お、ウミウシ帰ってきたのかあ!」
別に俺はここに住んでいるわけじゃないけどね。商人さんにも家はもらえなかったし。
「ん~。俺に何か用だった?」
「御願いだ。もう一度、栄光のマリエール号に乗せてくれー。あれはわしの生きがい、いや人生そのものじゃった」
大粒の涙を溢し、俺に哀願するエルーハン爺さん。
「いいけど、エニスは~」
「あたしは仕事よー。今日は残念ながら1日網と格闘ねー。お爺さんを連れて、遊びにいってらっしゃいよー」
エニスって妙に大人みたいなとこがあるんだよね。まあ親がいなくて弟がいるんだから無理ないけど。逆に、この爺さんは小さな子供みたいだ。歳を食うと子供に帰るとはいうけど、本当にそうだなあ。
「じゃあ、行こうか~」
もう面倒くさいので、割と近くにマリエール号を出して、爺さんを直接乗っけた。そのまま、船を押して深いところに持っていた。
ロープを繋いで、準備完了!
「じゃ行くよー。ねえ、なんて呼んであげたらいい?」
「そうじゃな。城の連中はわしの事を未だに提督と呼ぶな」
「じゃあ、提督。出発進行~」
「よーし行け、ウミウシ~!」
「ウミウシじゃなくてドラゴンですよ~」
こうして俺には、一緒に舟遊びを熱心にしてくれるお友達が出来たのだった。
◆◇◆◇◆
「さーて、お邪魔な爺さんは行っちゃったし。気合入れて仕事するぞー。今日は念入りにウミウシ糸で修繕しようかな」
そんな決意も覚めやらぬうちに、上等な馬車がやってくるのが見えた。あの紋章は!
「やあ久し振りだな、娘。ウミウシはどうした?」
「ブルーなら、お友達のお爺さんと一緒に海よ」
王子様は少し頭が痛そうな顔をして、海を眺め回した。
「やれやれ、提督め。いないと思ったら、こんなところにいたのか。よりによってウミウシと一緒とは。マリエール号の話などするのではなかったな」
また何かマズイ事になっているようだ。だがエニスは気にせず仕事に邁進する事にした。なんとしても夕方までには終わらせないといけないのだ。
「鋏は上手に使えているようだな」
「ええ、おかげさまで~。糸を作ったアドバイザーもいるものですから。頼むと、その仕様で最適な糸をその場で作ってくれるし」
「な、なるほどな。これが人間なら城で徴用したいくらいなのだが」
「王子様、自分で言ってて虚しくなりません?」
「た、確かにな。いや、今は提督だ」
王子様は海を睨みながら、しばし考え込んでいたが、王子様を悩ませたままで黙々と網の修繕に励むエニスに語りかけた。駄目元で、時間潰しも兼ねて、ふっと聞いてみただけなのだが。
「なあ娘。お前は、あのウミウシの友達なんだろう? あいつを呼んだりとかできる方法は何かないのか?」
「え? 出来ますけど?」
予想外な答に、王子様は口をあんぐりと開けて聞き返した。
「な、なに。それは本当か?」
「ええ、念話っていうんですって」
念話というか海の生き物だからこそ発達した、ただのテレパシーであった。高速で移動するブルードラゴンは、音波では通信が間に合わないし、海はあまりにも広大だ。もっともエニスはそんな事は知らないし、ブルーも通信相手はエニスとタコ魔人君くらいのもんなのだが。
「すまんが今すぐ呼んでくれ。どちらかというと、一緒に行った爺さんの方に用があるんだが」
「へえー。じゃ今から呼んでみますね」
まるでブルーのような軽い返事をして、安請け合いするエニス。もちろん、その間も手は一切緩めない。
(ブルー、ブルー。聞こえるー?)
(なあにー、エニス)
(あのねー、王子様がエルーハン爺さんに用ですってー)
(ふうん。王子様が? なんだかよくわからないけど、わかった。すぐ戻るよー)
ほどなくして沖合いに、猛然と突進してくるブルー達の姿が見えた。
「おお、本当に帰ってきたなあ」
王子様も呆れたような顔で眺めていた。
船上からご機嫌な提督こと、エルーハン爺さんが声をかけてきた。
「おや、そこにおられるのは王太子殿下ではありませんか。どうかなさいましたか」
「どうかなさいましたかではないです。探しましたよ、提督。お迎えにあがりました。もしやと思い、ここを調べさせたら。提督が来てくださらないと、式典が始まらないではないですか。各国から招いた要人もいるのですから。さあ、帰りますよ」
なんだか、えらい事になっていたようだ。だが老人は思いっきり駄々を捏ねた。
「わしは帰らんぞ。もはや老い先短いこの人生。お迎えが来るまで、ずっとわしのマリエール号と一緒にいるんじゃあ」
またしても頭を抱える王子。そして、密やかに頭痛薬の調合を始めるウミウシが1匹いたのであった。




