18:野獣が口を割りました。逃げときゃよかった。
大変お待たせいたしました!
「さて、じゃあ仕切り直しね。カレン、話してくれるかしら?」
ワインの瓶を傾けて、全員に新しい杯を注ぎ、ヨーク隊長が場を仕切る。ノーマン隊長はひとつこくりと頷くと、真面目な顔で口を開いた。
「ジャックの嫁はミレー。本名はエミリア・エル・マイヨール」
「!!?」
全員が息を呑んだ。バレンシア隊長ですら目を開き、私に至っては心臓が一瞬止まった。再び動き出してくれて良かったと安堵する余裕すら無い。
「マッママママイッ!マイヨールッ!?あの侯爵家の!?」
「……なんてことなの…冗談でしょ…」
「まさか…エミリア嬢が……」
「とんだ大物が出て来たねぇ」
愕然とする私達を尻目に、バレンシア隊長だけが優雅にワイングラスを傾けて、さらりと述べる。
エミリア・エル・マイヨール。
ノーマン隊長が告げたその名は、この国の5本の指に入る大貴族。マイヨール侯爵家の令嬢の名だ。
我がヴァルファチャータ王国は大きくみっつの機関で成り立っている。ひとつは内政院、ひとつは元老院、そして全国各地の領主でなる貴族院だ。貴族院を土台とし、その上に内政府と元老院が対等の関係で乗り、その頂点に王を戴くのがこの国の主要機関の大まかな力関係である。
内政院はその名の通り、国内の行政を担当する。宰相を頂点に、左大臣、右大臣がいて、そしてその2名の下に労働省や文部省など行政府と総称される省院が連なっている。因に国軍は軍部省の管轄で内政府扱いだが、騎士団は国王直轄の独立機関だ。
内政院と対を成して大事なのが元老院で、これは司法と、内政府が作る新法を国憲に照らして諮問するのが主な役割だ。新しい法案を作っても、元老院に所属する元老の8割の賛同が得られなければ国王陛下に奏上できないしくみになっている。膨大な貴族を抱えるが故に王家を越える力を蓄えかねない内政府のいわば御者である。
この元老院のトップが、マイヨール家の現当主。エミリア嬢の御祖父にあたる方であり、我が国の双璧の片割れだ。御尊父も元老院の下位機関である最高裁判所の最高裁判官であり、さらに言うなら御母堂は国王陛下の従姉妹であらせられる。確か何代か前にも王家から降嫁されているはずで、要するにマイヨール家は国の中枢にどっしりと根を張る超ド級の大物なのだ。
カララス団長を通さずに国王陛下に奏上し、傭遊士だったノーマン隊長を騎士団の隊長に推薦することも、マイヨール家なら容易だろう。
蛇足で記しておくとヒューリック・ヴル・バレンシア隊長の御生家である、バレンシア公爵家は初代国王の弟君の血筋と伝えられており、現在は学術研究の分野で多大な影響力を持っている。当然、五大貴族のうちのひとつだ。この場に置いて唯一、マイヨール家に対抗しうる家柄である。
とはいえ、学術家に生まれながら騎士になったバレンシア隊長は異端児だと聞く。そんな彼に家名を使う力があるのかと問われれば――お家の詳しいことは聞き及ばないが――なかなか厳しいのではないだろうか。
話を元に戻して考えてみる。貴族出身の騎士ですらマイヨール家は国王陛下と並んで雲の上の存在だ。いくら名前が売れようと傭遊士がおいそれと知り合える存在ではない。一体どんな接点があって根無し労働者であるジャック・ユノーはエミリア嬢と知り合ったというのだろう。
「ミレーとジャックが知り合ったのは2年くらい前だ。ミレーの馬車が盗賊団に襲われてるところを、ジャックとあたしで助けたのがいたくお気に召したらしくてな。くっついてきた」
「……あのエミリア嬢がそんなに情熱的だったなんて…頭が痛いにも程があるわ」
常の明るい笑顔をずどんと沈ませて、ヨーク隊長が片手で蟀谷を抑えながら、テーブルに肘をついて項垂れた。その隣でクリフ隊長は腕を組んで難しい顔で押し黙り、さらに逆隣りでは、バレンシア隊長が無表情ながらもどことなく思案顔でワイングラスを傾けている。
「あの…エ、エミリア嬢はどういった方なのですか…?」
話が進まないうちにと、恐る恐る尋ねた私に、ふっと苦笑しながらも遠い目をしたヨーク隊長。曰く、エミリア嬢とはまさに絵に描いたような深窓のご令嬢らしかった。慎ましく、社交界に出て来ても扇でほとんど顔を見せることは無く、それでも時折覗く若葉色の瞳とピンクブロンドの髪は儚げで、華奢な身体は本当に線が細く美しいらしい。出会った男はことごとく彼女を守らねばと手を差し出すのだという。
もともと社交界にはあまり顔を出さない方ではあったそうだが、2年前からぱったりと出て来なくなったらしい。これはノーマン隊長の話とも合致する。ただ、マイヨール家は『病に臥している』と告げ、誰もがそれをお労しいと言って信じていたのだそうだ。まぁ、大貴族の娘にそんな恋物語が起こっているとは誰も思うまい。加えて彼女の見た目が、嘘の理由に信憑性をあたえたのだという。「だってほんとに可愛いんだから!」と、ちょっと涙目になりながらヨーク隊長は熱弁をふるってくれた。
聴けば聴くほど、駆け落ちなんていう甘い話ではないと思い知らされる。ジャック・ユノーが拐かしたと言われる方がよほどしっくりくるし、それなら襲撃されたのだってユノーの自業自得だろうと思えるのだが……。ノーマン隊長の「くっついてきた」という言葉によって、ユノーは巻き込まれた形になるのだろう。
「びっくりはしたけど、ユノーの妻がマイヨール家のご令嬢だからと言って、侯爵家を犯人と考えるのは早計だね。ノーマン、もう少し詳しい話を聞かせてくれる?」
思わぬ大物の名前に沈みかけていた空気を、バレンシア隊長が掬い上げた。ノーマン隊長がバレンシア隊長を見遣ったのに、彼はひとつ頷く。
「まずは、ジャック・ユノーが襲われた時のことを詳しく話してくれるかな?あとね、僕のことは骸骨面じゃなくてヒューリックと呼んでくれると嬉しいんだけど」
さらりと挟み込んだ私事にノーマン隊長はぴくりと肩を跳ねさせ――さっと視線をそらした。
「……言い辛い」
「じゃあヒューでいいよ」
「……」
「ノーマン?」
「………気が向いたらな」
クリフ隊長が腕を組んだまま複雑な顔でバレンシア隊長を睨んでいる。ヨーク隊長はにやにやと片手で口元を上品に隠している。そして私は胃が痛い!ノーマン隊長の頬が艶やかに朱に染まって非常に色っぽいが、今はそんな面倒なことになりそうな態度は控えて欲しい。ほんとに。お願い。
「それで?ユノーを襲ったのはどんな連中だった?」
「……。暗殺者だと思うぜ。それもその道一本で長い奴だな。襲って来たのはひとりだけ。ふっつーの格好で酔っ払いのふりして近づいて来て、すれ違いざま斬りつけて即行逃げやがった。得物は毒を塗ったナイフだ。暗殺者の雇い主はお貴族様で間違いねぇだろ」
「そう言い切れる根拠を伺っても構いませんか?ヒューリックの見立てを否定するわけではありませんが、貴女かジャック・ユノーに恨みを持つ傭遊士が暗殺者を雇ったという可能性は?」
至極真面目な顔で問うたクリフ隊長に、ノーマン隊長はくいっと片方の口の端を持ち上げて挑戦的に笑んだ。彼女の暁色の瞳の奥で野獣が目を覚ましたような、視線の鋭さにどきりと心臓が跳ねる。
「クリフ。傭遊士にも誇りはあんだぜ?」
「?」
「傭遊士が暗殺者を雇うのは、騎士が剣を質に入れるのとおんなじ。って言やぁ解ってくれるか?」
『ああ…なるほど』
計らずも私とクリフ隊長の声が重なった。思わず顔を見合わせて苦笑する。それほどノーマン隊長の返事は的確で明解だった。もちろん、例外はあるだろう。だが、それを踏まえても傭遊士が犯人ではないと説明するには十分だ。『騎士が剣を質に入れる』とは、ヴァルファチャータ王国において『命の危機に瀕しても手放すべきでない尊厳を自ら捨てる恥ずべき行為』という意味のことわざであり、騎士がそれだけの誇りを持っていることの裏返しだ。
「お貴族様だって言うもうひとつの理由はな、あのレベルの暗殺者を雇えるのはお貴族様くらいだからだ。豪商でも雇える奴はいるだろうが、あたしらはほとんど政府や地方領主の依頼ばっかやってきたから、その可能性はないって言っていい。って訳でな、殺されるほど恨まれるような仕事はした覚えはねぇんだ。自分でそう思ってるだけかも知れねぇがな。だから犯人はお貴族様だろうとは思うが、逆恨みの可能性が高すぎて、心当たりばっかりだ」
「……そう」
ひとこと呟いて、バレンシア隊長は視線を伏せた。ふっと降りる沈黙。それはシクシクと私の胃を突ついた。
万事休すとはこのことをいうのかもしれないと私は腿の上で組んだ自身の指を見つめる。また何かしら犯人が動いて事件が起こらなければ、解決の切欠は掴めないのだろうか。後手後手に回って、取り返しのつかない事になるのではないのだろうかという不安ばかりが募る。
ジャック・ユノーの件からマイヨール家という大き過ぎる家名が登場した。騎士団の上層部にブレアム隊長という危険因子が見つかった。腐猪の件はどことどう繋がっているか解らぬまま。団長の動向も気がかり。
不穏な影はそこかしこ。しかし、こちらが掴んでいる情報はごくわずかだ。こんな状態で私はノーマン隊長を、引いては騎士団を、国を、妻を、守れるのだろうか。
ずるり、と椅子ごとオイルの沼に沈みそうになる。それを拾ってくれたのは、バレンシア隊長の変わらない口調だった。
「現状受け身しか取れないなら、宣誓式はチャンスかもしれないね」




