14:野獣はまだ休息中です。こんなの予想外です。
今回、ノーマンが拷問紛いのちょっとエグいこと言います。
苦手な方、ごめんなさい。
遠くで虫の音が聞こえる夜半。月明かりも乏しい寝台にいれば、目を開けても真っ暗だった。
「……?」
何か気配を感じるも、暗闇に目が慣れておらず、確認も出来ない。しばらくじっと息を潜めたがなんの気配も感じられない。気のせいかと結論付けて、浮かせかけていた背を再び寝台に倒そうとしたのだが――
「!?」
ばっと口を手で押さえられ、警戒心が振り切れた。起きていたのに反応出来なかったことに焦りが増す。枕代わりの外套の下に隠したナイフに手を伸ばそうとするも、その手も拘束され、いっきに緊迫感で全身が硬直した。
「しー。あたしだよ。ピエール」
無声と呼ばれる、声帯を振るわせずに音を発する吐息のような声に、相手の正体を確認して私はほっと力を抜いた。段々と慣れた目が、暗闇の中にぼんやりと光る短い銀髪を捉え、声の主が私の上司であることを裏付ける。掛け布の上から馬乗りされているが、騒ぐつもりが無いと視線で訴えれば、あっさりと離れて行った。というか、貴女一応今晩だけでも絶対安静を言い渡されたでしょうに、何をやっているんですか。じっとりと批難の目で訴えれば、手の付け様の無い悪戯小僧のような顔が返って来た。
「…ノーマン隊長…一応、聞きます。一体何を?」
「夜這い」
「……な、わけないですよね?」
「ノってこいよ。つまんねぇな」
これだから既婚者は。と笑って言いながらもノーマン隊長はすでに別のところを伺っている。それを見ながら私は周りを確認した。うん。寝た時のまま、ここは――処置室。ノーマン隊長のベッドの脇だ。
「……来ましたか」
「おう。たぶん、ふたり」
「私がベッドに潜ります」
「バカ言え。布詰めて目くらまししてある。このままじっとしてろ」
言われ、ひとつ頷いてベッドの影にふたりして身を潜めた。じっと待つことしばし。ざくっと土を踏みしめる音が響いた。
ざくっ。ざくっ。ざくっ。
心臓がうるさい。誰かが入ってくる音が聞き取り辛い。しかし、全神経を研ぎすませて、私はぎゅっとナイフを握った。
「赤斧の戦乙女……覚悟!」
唐突に声をあげた侵入者は、なんの躊躇いも無く、ノーマン隊長が眠っていたベッドに狩猟ナイフを突き立てた。
その瞬間、処置室内に明かりが灯り、私と第五部隊副隊長のダスティンで侵入者を拘束した。4人分の体重を受け止め、ベッドが悲鳴を上げる。
半信半疑だった。夕食をノーマン隊長に届け、彼女の詳しい話を今度こそ聞こうとした矢先、彼女は夜襲を警戒したいと私に申し出た。腐猪をけしかけられ、そのまま何も無いとは思えない、と。杞憂であれば良いと彼女は言った。だが、懸念を知らされてそれを流し、万一が事が起こっては目も当てられない。私はクリフ隊長とバレンシア隊長に取り次ぐと、彼らもまた、その警戒をする算段をしていたと聞かされ多いに驚いたのだ。そうして私達は処置室に潜み、警戒し――事は起こった。杞憂であれと願った夜襲は、杞憂で無くなってしまったのだ。
「下手な夜這いだな粗チン野郎。豚小屋で練習してから出直してきやがれ」
侵入者の顔布を引き下ろし、ノーマン隊長は不敵に笑んだ。ランプを持ったバレンシア隊長とクリフ隊長が近づいてくる。クリフ隊長はノーマン隊長の言葉が気に入らなかったのか非常に複雑な顔だ。
私は拘束している侵入者を見下ろす。暗い色のシャツにパンツ。心臓を守る簡易胸甲をしているようで、ジャケット越しにベルトのような手応えがある。きちんと鍛えた身体であり、目に見える肌や拘束した腕の張り、そして先程の声からまだ若いことが伺えた。着ているものは着古している感じも無いし、着こなしから推測しても育ちはよさそうだ。私は犯人の正体を察し――落胆した。
「見た顔だな。ふたりとも第七の見習い騎士か」
ランプに照らされた侵入者の顔を見るなりそう言ったノーマン隊長に、侵入者が硬直したのが解った。私も驚きで目を見開く。自隊ならまだしも、他隊の若手をノーマン隊長が把握しているとは夢にも思っていなかった。
「よく知ってたね。彼がイーサン・リマ・ターナー。こっちがブライアン・ロフ・サリス」
「へぇ。名前まで知ってるたぁ変態だなおまえ」
「お褒めに預かり光栄だよ」
バレンシア隊長と軽口を交わしながら、まじまじと襲撃犯を眺めるノーマン隊長。ふたりの襲撃犯は忌々しそうに彼女を睨む。
「何故…我らの襲撃を予見出来たのだ」
唸るように言った金髪――私に拘束されている方、イーサンだ――の呟きに、私達5人はそっと顔を見合わせた。どういうことだ?発酵パヴァルをノーマン隊長に投げつけたのはこいつらじゃないのか?
「てめぇらの質問に答えてやる義理はねぇな。それよりもおまえらだ。誰に言われて来た?」
「それにこそ答える義理はない」
「そうかい。じゃあてめぇはもう用なしだ」
言うなりノーマン隊長は、私がイーサンの首にあてていたナイフを奪い取ると、迷うこと無く彼の首に突き立て、引き抜いた。
「がぁっ!?」
「ノーマン隊長ッ!?」
「なんてことをッ!」
止める間も無かった。目の前で起こったことに皆が口々に悲鳴じみた批難の声を上げる。イーサンの首筋から真っ赤な血が流れ、ランプの光に照らされたオレンジ色に見えるシーツが黒く染まって行く。止血をしようと動いた隊長達を、ノーマン隊長が手で制した。
「イーサン!?イーサン!ああああッ!なんということを!」
ブライアンが叫び、私は咄嗟にイーサンから離れてブライアンの拘束に加わった。暴れるのを出入り口を張っていた第九部隊副隊長のマシューも加勢して三人掛かりで押さえつける。
通常であれば拘束されるなり、尋問されるなりする。その間に出来る逃亡の隙を伺っていただろうに、そんな間も与えられず殺された同胞をみて、ブライアンは涙を流し、怒り狂った。
「無慈悲な獣が!問答無用で殺すなど、悪魔の所業だ!やはり貴様は排除すべき魔女だッ!地獄へ堕ちろ外道めッ!!」
「うるせぇ」
ぞっと背筋の凍る冷たい声音が、恐慌状態のテントを沈黙の中へと押しつぶした。野生の獣よりも恐ろしい、ノーマン隊長の暁の瞳がブライアンを見据える。
「腐猪を使って無差別に襲った野郎がよくもそんな偉そうなことを言えんな」
「…何だと?どいうことだ?」
「すっとぼけてんじゃねぇ。だいたいな、名乗りも上げず、眠ってる手負いの人間を襲うのが外道じゃねぇってんなら、納得いく理由をあたしに言ってみろ」
「――ッ」
「黒幕は誰だ?」
「誰が、言うものか――あがッ」
血の気の引いた顔で、それでも強がってみせたブライアンの髪を、ノーマン隊長が勢いよく引っ張り上げた。ぶちぶちと髪が抜ける音が、静かな処置室という名のテントに響く。歯を食いしばり、痛みに耐えるブライアンが目を開けたと同時に、ノーマン隊長は彼の右目にナイフを据えた。
「ひとつ良いことを教えてやる。あたしは短気だ」
「――いぎッ!!」
ナイフが滑り、ブライアンの右耳を横切った。
「あーあ。手が滑っちまった。良かったな。次は外さねぇ。右目だ」
「ぐぅッ!……うぅッ!」
「手元が狂ったら、右目を貫いて奥の脳みそまで刺さっちまうかもな。知ってるか?脳みそってなぁ、ずいぶん繊細らしいぞ」
髪を引き、無理矢理視線をあわせたノーマン隊長がにんまりと嗤う。獲物を前にしてよだれを垂らし、いたぶって遊んで、苦しめた挙げ句、食うことも無く捨て去る野獣の笑みがブライアンの顔を真っ白にした。
「脳みそはちょっと血が出るだけでイカレっちまうんだってな。そうなったらおまえどうなるんだろうなぁ?手も脚もまともに動かせなくなって、自分で物を食うこともできなくなって、用を足すことも出来ずにクソにまみれていくんじゃねぇか?」
「――ッ、やめ」
「あははは。いい気味だぜ。そうなったら女も抱けねぇな。お貴族様なら親からも捨てられるんじゃねぇか?そしたら路地裏で野垂れ死ぬんだぜ」
「やめろ…」
「貧民街を見たことあんだろ?襤褸を着たあそこの乞食みたいになんだぜおまえ。あはは!いい気味だ!」
絶世の美女が嗤う。なまじ美しいだけに紡がれる言葉は強烈な毒の水となってブライアンを襲った。足下からじわじわと溜まり、想像がより深くなり、膝まで浸り、下腹を濡らし、鳩尾を越え、胸に迫り、毒の水がとうとう顎に触れて、今まさに溺れそうになっていることを否応なしに叩き付けた。逃げ場は無く、美しい顔がおぞましい未来を語る。もはやブライアンの顔に血の気は無く、怒りに濡れていた瞳はすでに敗北と怖気に捕われていた。
「いや…いやだ!やめろッ!助けて!誰か!」
半狂乱になったブライアンが首を振る。そこには最早、恥も外聞も無い。
「やなこった。おまえの人生がめちゃくちゃになるように刺してやる。右目にこいつを突き立てて、死なねぇように加減しながらぐりぐり抉るんだ。あはは面白ぇ!もうおまえの黒幕とかどうでもいいや。また襲われたとしてもあたしが全部返り討ちにすりゃすむもんなぁ?」
「やめてッやめてくれッ!!頼む!お願いだ!お願いします!」
「あばよクソまみれ。今度は地獄で会おうぜ!」
ノーマン隊長が腕を曲げ、ぐっとナイフを引き寄せる。勢い良く刺されるのだと悟ったブライアンは絶叫した。
「いやだぁあ!!ブレアム隊長です!ブレアム隊長に命じられたのです!穢れた根なし労働者は騎士隊長に相応しくないと!私じゃない!全部話す!話します!全部話しますからから助けてください!お願いしますッ!!」
「はい、ごくろーさん」
気が抜けるほど、気安い声でノーマン隊長はそう言うと、ブライアンの顎を殴って気絶させた。耳障りな命乞いが止み、私達は呆然と彼女を眺める。ぽかんとした空気が流れるなか、ノーマン隊長はぴょいとベッドから降りると、柄の方を私に向けてナイフをプラプラ揺らした。
「あ…あの……?」
「はぁー。お疲れ。これ返す。やっぱこういう演技って胸くそ悪ぃな。言いながら気持ち悪くなったぜ。おえ。あ、ピエール。そいつ、えーっと、イーサンだっけか?それ、伸びてるだけだから早めに拘束しといたほうがいいぞ」
「え……えッ!?」
「ほら。これ。血糊」
「あ!」
いったいいつの間に作ったのか、彼女の手には動物の腸で作ったと思しき小振りの袋が中身を失い、てろんとぶら下がっていた。
「お見事です。すっかり騙されました」
クリフ隊長が、私達にロープを渡しながらそう言った。ノーマン隊長は大仰に肩を上下させて何とも言えない苦笑を彼に向ける。ここにきて、私はやっとノーマン隊長のやったことを理解した。彼女は血糊を使い、私達をも欺いて、イーサンをいきなり殺したように見せかけたのだ。
実際はナイフを首に突き立てたように見せかけて血糊袋を突き刺し、その瞬間にナイフから手を離して手刀で首を打って気絶させ、もう一度柄を持って首からナイフを引き抜いたように持ち上げる。瞬きよりも速い一瞬のうちにこの一連の動作をやってのける早業、手品師なども使う手法の応用だと教えてくれた。事実、イーサンの背は今も呼吸によって上下しており、傷ひとつない。それに、ブライアンの耳も切れていなかった。どうやらナイフの嶺を使い、切ったと錯覚させたらしい。ここまで仕込み、あとは言葉で恐怖を呷って自白を促す。拷問官の手口だ。
「こいつらこのあとどうすんだ?」
「当然尋問するよ。今聞いただけの内容じゃ不十分だからね」
簀巻きにされ、地面に転がされたふたりを見て「ま、そうだよな」とノーマン隊長がふぅと息を吐いた。
「……それにしても、ブレアム殿か…嘆かわしいことだな」
ぽつりとクリフ隊長が呟いて、なんとも言えない気まずい空気が流れた。第七部隊のマンティン・ウル・ブレアム隊長は貴族血統至上主義のきらいのある、隊長としての経歴も長い騎士だ。やはり内部の者の犯行だったのだと今更ながらに実感する。ずっしりと重い空気を気にしたのか、ノーマン隊長がパンッとひとつ手を打った。
「ま、なんにしてもこれでひと段落だ。詳しい話は明日にして寝ようぜ」
「そうだね」
バレンシア隊長の同意を合図に、それぞれが腰を上げた。見張りを呼び、侵入者を引き渡し、簡単に打ち合せをしてテントを出ようとしたその時だった。ノーマン隊長が私達に声をかけた。
「なあ、おめぇら」
「?」
「ありがとな」
からりと笑われ、振り返った私達は思わずきょとんと彼女を眺めた。弱々しいランプの明かりで照らされた薄暗いテント。それが昼間のように感じるほど明るい笑顔が、私達に向けられている。私達は顔を見合わせ、ふっと笑んだ。
「当然のことをしたまでですよ。貴女は騎士団の一員なんですから」
お返しだとばかりににやりと笑んで言った私に、皆がそれぞれに頷いたり、笑みを深めている。ノーマン隊長は少しばかり驚いたように目を開き、そしてぽりぽりと頬を掻いて踵を返すと、ひらりと手を振ってさっさとベッドに横になった。私達は密やかに笑み交わし、それぞれに身体を休めにその場を後にした。
処置室のテントの外はしんと冷たい空気にさらされ、空には満天の星が散らばっていた。それらをしばらく眺め、ひとつゆっくりと息を吐く。山深い木々の間にかすかにフクロウの鳴く声が聞こえた。じん、と身体の奥に熱を感じる。
私はようやく実感した。
長い、長い、一日が、やっと終わりを告げたことを。




