見えない素顔
実際に学校に潜入を始めてみて感じたことがある。非常勤講師という立場はなかなかに都合がいい。
自分の受け持つ授業さえこなしていればとやかく言われることはないし、学校の内部をうろうろと歩いていても怪しまれることはない。
今日の最初の担当授業は、三時間目。それまでに確認をしておきたいことがあった。
三年G組の教室の前で、一人の生徒が出てくるのを待った。一時間目が終わり、短い休み時間に入る。数人の生徒が教室から出てきて、やがてその中に目的の姿を見つけた。
「田村」
「わ。なんですか」
田村が俺を認めると、あからさまに口を尖らせた。その表情に少し面食らう。昨日の夜に見た冷たい表情とは、また明らかに違っていた。
「一つ、確認しておくことを思い出して」
田村は怪訝にしながら、廊下の端へと避けて足を止めた。
少なくとも、すべてを拒絶するような雰囲気は感じられない。
「昨日、なにかおかしなものを見なかった?」
田村は少し目をしばたかせてから、不意にケラケラと笑った。
「え、なんですかそれ。もしかして霊的なものの話ですか?」
「別にそういう話をしてるわけじゃ……」
「先生って、クールな顔して意外に怖がりなんですね」
田村はまるで級友を揶揄うように笑う。それは生徒が教師に向ける表情としては不適切で、だからこそ、教師としては正しくない感情が生まれそうになる。
この生徒と話していると、どうにもペースを乱される。
「じゃあ、田村は何も見てないんだね?」
「見てたら、あそこでもっと騒いでますよ」
田村は小さく笑いながら言い切った。
「あ、五分休憩終わっちゃうから! 失礼します!」
それだけを残して、ぱたぱたと向こうの女子トイレに入って行った。
結局なにも分からずじまいだ。
塵霊は本来、普通の人間には見ることができない。見ることができるとしたら、霊感が強い人間か、あるいは、塵霊を潜在的に求めている人間か。
あの時、田村は確かに塵霊が見えていたはずなのに、どうしてそれを隠したんだろう。
この五年間、一人で塵霊と戦うことしかしてこなかった自分に、人間のことなんて分かるはずがない。ましてや、年頃の女の子のことなんて。
大事な人の異変にさえ、自分は気づくことができなかったのに――。
一度職員室に戻ろうとした時、「ダメですよ」と声をかけられた。振り向くと、教室に戻る途中の数人の生徒だった。
「気持ちは分かりますけどね」
「田村保乃科はダメですよ。今までに騙された男子は数知れませんから」
そう忠告してきたのは四人の男女グループで、ひそひそと笑い合っている。そういうつもりじゃないと否定をしたいが、そこに合わせるのも馬鹿らしい。
「やっぱり、そんなに厄介なタイプなの?」
この質問に四人はますます大きく笑う。それに答えたのは、少し派手な見た目をした女子生徒だ。
「もう厄介の詰め合わせですよ。メンヘラ、気分屋、地雷、男子殺し……。そりゃ、あの顔であの思わせぶりな態度なんだから、普通の男子は騙されるよね」
「男を引っ掛けて遊んでるってわけ?」
「似たようなもんですけど、ちょっと違いますかね」
今度は別の男子だ。
「釣った魚にエサをあげないタイプっていうのかな。最初はその気にさせて、こっちが近づくと逃げ出したり。あと、マジで日によって態度が違いますね」
「ふうん」
一瞬、田村に対しておかしな気持ちが生まれたことは否定しない。だけど、なにも本気でそういう気があるわけじゃない。田村がどこでどう思われていようと、俺には関係のないことのはずだった。
「ま、生徒指導の参考にするよ」
廊下の奥から急足で教室に戻ろうとする田村が見えた。それを合図に、四人は教室に帰っていく。教室に戻る田村はここでの話が嘘みたいに、アイドルのような笑顔を浮かべながらクラスメイトと談笑をしつつ、教室の中へと戻っていった。