名古屋嬢
夜、旧校舎の近くのベンチで座って、一人の男が来るのを待つ。
約束の時間を十分過ぎて、いよいよ焦ったくなってきた頃、やっと近づいてくる足音が聞こえてきた。
「やー、ごめん。お待たせお待たせ」
謝罪の気持ちの欠片も感じられない言葉で登場したのは、俺たちすべての除霊師のボスに当たる謎の男――リオだ。二〇代から三〇代に見えるが年齢は不詳。本名も分からなければ、除霊師としての実力も不明だ。
髪は派手な金髪で、いつも細身のスーツを着こなしている。繁華街でも歩いていれば、そういう職業の人間だと思われるような見た目だ。
「あと一分して来なかったら、放っておこうかと思ってました」
「なら間に合ってよかったよ。それより、犬塚ちゃんは?」
言いながらリオはベンチの隣に座ってくる。甘い香水の匂いがした。
「犬塚なら、初日の仕事で疲れ切って、二日目にして風邪でダウンしてます。……誰かさんの教育が甘いせいで」
しっかり「誰かさん」の部分でリオをひと睨みするのも忘れない。
リオの仕事は全国の除霊師たちを束ねて、それぞれに任務を与えること。そして、除霊師をスカウトし、仕事ができるように育てるのもリオの仕事だった。
「あんまり言わないでよ鴨ちゃん。こっちだって、全然人手のないカツカツの中でやってるんだから。あ、そうだこれ。名古屋嬢」
そう言って、リオは右手に持った紙袋を差し出してきた。全国を飛び回るリオは、会うたびにこうしてお土産をよこしてくる。
「これから仕事って人に、荷物を増やさせないでくださいよ」
「大丈夫大丈夫。名古屋嬢、美味しいから」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
お土産の入った紙袋を強引に渡される。リオと話していると、どうにもペースを狂わされる。
「どう? ちゃんと先生やれてるの?」
リオが訊いた。
「どうもこうもないですよ。学校に侵入するだけなら、他にも手段はありますよね?」
「いやあ、ちょうど一人休職になったって聞いたからさ。それに、鴨居ちゃんは警備員とかより教師が似合うと思って」
「そうかもしれませんけど、無駄な気苦労が多すぎるんですよ」
少し真剣に文句をぶつけてみても、「鴨ちゃんなら大丈夫」とケラケラ笑うだけだ。これ以上、この自由人に付き合っても話は進みそうにない。
「もうなんでもいいです。それより、頼んだものは?」
なにもお土産をもらって無駄話をするために呼んだわけじゃない。
「相変わらず鴨ちゃんはせっかちだなぁ。ちゃんと準備はできてるよ」
言いながら、リオはカバンから小刀を取り出した。柄の部分が全体の三割ほどを占めて、漆黒の鞘で覆われた刀身は、肘から先の腕の長さほどだ。
受け取って、さっそく抜刀をしてみる。銀色の刀身の刃は先端が丸い。生身の人間に対しては殺傷能力を持たない、対塵霊用の武器だ。
二つ前の任務まで使っていたが、メンテナンスのためにリオに預けていたものだった。
「もう返ってこないものかと思ってました」
「メンテ長くなっちゃってごめんね。その分、ちゃんと霊力を込めておいたから」
「助かります」
久しぶりに握った相棒は手に馴染む。
武器が増えれば、その分戦略の幅も広がる。これがあれば、旧校舎の強力な塵霊たちにも十分に対抗できる。
リオはさらにカバンを漁ると、紙袋を一つと、紐で括られた紙の束を鞄から取り出した。
「今回の仕事は大変になるだろうから。オレからのちょっとした餞別。こっちのお土産紙は犬塚ちゃんに渡しておいて」
リオが取り出した紙袋は、名古屋嬢が入っていたものだ。
「そんなお土産、自分で渡してくださいよ」
「まあまあ。中身はちゃんと犬塚ちゃんが喜んでくれるものだから」
そう言って強引に押し付けてくる圧に負けて、仕方なく受け取る。犬塚が喜ぶものってなんだろう。
「あと、最後にお札の補充ね」
渡された紙の束は、すべてが除霊のための札だった。リオはたいてい、百枚の束で支給をする。
「これを使って、いっぱい敵を倒してね」
「言われなくても、それが仕事ですから」
俺はそれを受け取って、ポーチの中にしまう。
この札や小刀のような武器を作ることができるのはリオだけだ。すべての除霊師はこの供給を受けながら戦っている。
用を終えたはずのリオだが、帰ろうとする素振りを見せない。いつもなら、忙しそうにすぐにどこかへ飛び出していってしまうのに。
「まだなにか?」
「いやね。鴨ちゃんは何か特別な感情とかないのかなって? この学校って、鴨ちゃんの母校だったよね」
心臓の辺りが、スッと冷えていく。あの頃の話は、たとえリオが相手でも触れられたい話題じゃない。
「たしかにそうですけど、だからって何もないですよ。少し懐かしい気持ちになるくらいで」
「そうなの? ここは、鴨ちゃんが今の鴨ちゃんになるきっかけの場所だったと思ったけど」
リオは、俺が塵霊を憎む理由を知っている。
この学校で五年前に一人の女子生徒が消えてしまったことも、この歴史のある進学校で優等生だった俺が、なぜ除霊師の道へ落ちてしまったのかも。
「今さら関係ないですよ。全部、もうどうしようもないことですから」
そうだ。今さらもうどうしようもない。
五年前のあの時、彼女を引き止めることができなかった時点で、全部が詰んだんだ。
「仕事行ってきます」
ベンチから立ち上がり、目の前の旧校舎を睨む。余計なことなんて考えずに、今はただ敵を倒すだけだ。
「うん、頑張ってね。一体残らず片付けておいで」
手を振るリオに見送られながら、俺は旧校舎の玄関の扉を開けた。
嫌でも、五年前のあの瞬間がよみがえる。
◇
五年前の俺は、きっと真っ青な顔になりながらこの旧校舎の扉を開けた。
あの日、この旧校舎の中へと、彼女が入っていった確証があったから。
上原莉菜――。
彼女のことを思い出すだけで、あの時の後悔や怒りが、今でも鮮明に思い起こされる。
莉菜と本格的に話すようになったのは、たぶん高二の冬くらいだったと思う。ずっと同じクラスだったのに、莉菜は男子と話すタイプじゃなかったから、まるで接点のない状況が続いていた。
だけど、お互いの模試の点数がほとんど同じだということ知って、そこからは一瞬だった。成績だけじゃなく考え方までそっくりで。いつの間にか、いつも一緒にいるのが当たり前になっていた。
莉菜はおとなしい真面目な女の子で、両親と同じ大学に行くんだと言って、いつも一生懸命に勉強をしていた。俺はいつしか、莉菜についていくために勉強をするようになっていった気がする。
大事な時期だったし、別に付き合ったりはしなかったけど、きっとお互いがお互いを好きだという確信があった。それはきっと俺の勘違いではなかったと思う。
お互いが目指す大学に受かって落ち着ける時が来たら、そうしたら想いを伝えよう。
そんなことを考えていた高校三年生の初夏のことだ。
あの日は、本格的な夏を先取りしたような、いやに暑い日だった。
完全下校時刻のギリギリまで、俺たちは二人で図書室にこもって勉強を続けていた。図書室が閉まって、そのまま帰ろうとした途中、莉菜は不意に立ち止まって言った。
『ごめんね。忘れ物しちゃった』
そう言って莉菜は、小走りで来た道を引き返す。あまりに急なことに、俺はとっさに追いかけられなかった。しばらくその場で待って、いっこうに戻ってこない莉菜を疑問に思って図書室へ向かった。
その途中、ふと窓から外を見ると、侵入禁止の旧校舎に向かって歩いていく莉菜の背中が見えた。
俺は急いで旧校舎を目指した。いくら夏の夜でも辺りはすでに真っ暗で、旧校舎の前に立つと、思わず圧倒されるほどの恐怖心に支配された。それでも立入禁止のロープを超えて校舎の中まで行けたのは、莉菜の姿が儚く見えてしまったから。
校舎の中に入った俺を待っていたのは、無数の塵霊たちだった。なにが起きたのか分からないまま塵霊の群れに襲われて、気づけば気絶して旧校舎の入り口に倒れていた。
そして、その日の夜を境にして、上原莉菜は姿を消した。
◇




