感謝。
「自分の積み重ねてきたことには、意味がないんじゃないのかって」
いままで自分のためていたものを一気に吐き出すように彼女は口を動かし続けた。
「そんなものが人生のあたりまえで、これから先もずっとこのどうしようもないことが続くのなら、前向きに生きていけるわけがないって。将来への不安とあきらめで押しつぶされちゃいそうだったよ」
でも、なんだか、その彼女の話し方は僕にというよりも、自分に向かって話しているというような自問めいたものに聞こえた。
自分で自分の未来を決められないもどかしさ。自らでなんでも決めていきたい彼女の性格では、自分の力でどうしようもないことで左右されてしまう環境は絶対にこたえたはずだ。
「でも、今はちゃんとここにいる。自分で未来を選択したことでね!」彼女は吹っ切れたようなさっぱりとした笑顔になる。
その顔で僕も胸の中がすっきりとする。彼女は乗り越えたのだ。成長で。自分の力で。なにか答えを出したことで。昔も、そして今も、僕となにもかもが違う生き物みたいに強くて、やっぱりすごいな、とあらためて感じられた。
彼女は、柔らかな笑みを僕に見せて言う。
「だから、けっきょく思えば、取り越し苦労だったね。そしてそう思えるようになったのは、あんたのおかげ」
え?
「だから、私にとってあんたはヒーローみたいなものなの!」
「……え、……なに?」僕に回ってくる話とは思っておらずうろたえてしまう。
なんだ? ……あの時の僕が何か彼女にしたのだろうか。でも、そんな覚えはまるでないぞ。彼女の悩みにだって、ついさっき、持っていた事にはじめて気づかされたくらいなのに……。
なにもしらなかった僕がどうして彼女の力になれる……?
僕にとって当然の反応は、しかし、彼女に向けるには適当ではなかったらしい。
嘆息される。
「はあっ、……私の中では一番大事なことなんだけどね。だからおぼえてないのがちょっと許せなかったんだけど。まあ、怒りつかれたし、もういいかな」
『人に聞く』
『人を助ける』
彼女はわかりきった常識のようにその言葉を口にする。僕はわからず混乱する。
「……なに? それ……」
「あんたが私にアドバイスしてくれたことっ、あの日の私を、救ってくれた言葉」
アドバイス……?
「そして今でも、私の大事な目標」
目標?
ということは……。……僕がどこかで彼女に送ったアドバイスだったのか? それを今でも目標にしている? でも、昔の彼女にゲームのアドバイスなんてしたら、怒られなかったか? 自分で攻略したんだとか言って。
いや、たしか‐
当時の様子をまたも思い出す。
彼女はゲームの中でも迷ってばかりだった。RPGをしているのに、まったく人に頼らず、ひとりで目的地に行こうとしていた。話しかけるとか、そういう基本がまったく身についていなかった。
なんだか頭に記憶が流れ込んでくる。たしか、今のような夏ごろだった気がする。彼女のRPGはさっそく序盤で詰まっていた。僕のそのゲームのプレイを後ろから見ていたはずなのに。どうしようもなくなった彼女が話しかけたのは村人じゃなかった。僕だった。
『なんかコツとかある?』
僕はあきれながらも、はじめて頼ってきた彼女に、やや得意げに‐
『まあRPGの基本なんだけど、』
僕は‐‐
『困ったら人に聞く』
『困っている人を助ける』
はっとして息を呑む。
たしかに言った。思い出した……けれど、いまだに信じられない気持ちだった。
彼女がそんな嘘をつくような人じゃないことはわかっているのに、ありえないと思ってしまう。彼女がすごい人だということを知っている。彼女のほうがよっぽど、僕なんかとは比べ物にならないくらいにしっかりしている。なのに、そんな言葉を目標にしていたのか? 僕の言った、なんでもないRPGの基本で、彼女は当時の追い詰められた状態を脱した? そんなことって……
僕の思い出したその様子に、再びため息をついた彼女は、やっとか、とつぶやく。
その様子で、彼女にとって本当にこのアドバイスが大切なことだとわかった。この言葉は特別なのだと感じられた。
ただ僕が思い出しただけのことに、彼女が今日いちばん嬉しそうしているように見えたから。たぶん、僕が思い出に帰ったから。そのためだけに、当時の悩みを話してくれたのだから。
「この言葉を目標にしてから、後悔することが少なくなったよ。どうしようもなさそうなことでも、自分なりの答えを出してこられたから」
言葉を紡げない僕に彼女は真剣なまなざしで伝える。
「親のこととかそういう困ったことは、勇気を出せば、勇気を出した私自身を肯定できる過去になるのよ、だから後悔が少なくなる……のかな?」
自己を肯定すること……につながる? それができたきっかけが、僕の言葉?
「あんたにとっては特別なことじゃないのかもしれないけれど、やっぱりすごいよ。この基本は。今日、こうやってゲーム買うことも出来たし」
『困ったら人に聞く』『困っている人を助ける』
たしかにこんなの、別に特別なことじゃない。こんなことは人として当然のことだとも思う。
でも、やってきたか? いままでそんなことはまったく意識せずに生きてきた。彼女はこれまでやってきた。僕の言葉を目標にすることで。
今日の出来事を思い出す。
『すみません、ゲーム、奥の方にもないんですか?』『すみません、ここどこですか?』
さっきも、訊くことでゲームを見つけていた。すごいと思った
たしかに、僕の命を救ってくれた。勇気があるなと感心した。
『あの日の私を、救ってくれた言葉』
そして、それで救われたのは、当時の彼女も同じだった。
思い出なんていらないものばかりだと、そう思っていた今の僕自身を、なくしていた自分の言葉が救ってくれていた。
「ありがとう」僕は感謝する。
「え?」今度は彼女が驚く番だった。
「……えっと、まだ、助けてくれたお礼、言ってなかったよね? ほんとに、ほんとにさっきはありがとう」
たぶん、今日しか言うチャンスはない。僕はおもいきり頭を下げる。
「いや、チャラだよ、わたしも助かったし」
さっぱりと言って、彼女は持っている袋を目の前でぶらぶらと振ってみせる。そして続けて言う。
「ううん、ちがう、こうしてわたしがあるのも多分、きみのおかげだから、私のほうが大きなありがとう、かな?」
そうだ。チャラなんかじゃない。だって、僕は彼女以上に……。
だから、あらためて、と彼女はかみ締めるように付け加える。
「わたしの大事な時期に、あんたの家に行っててよかった」
それから、帰り道が違う彼女とは別れた。
今日ほんと助かったよ、ありがとう、と言って彼女は帰りに乗る駅の方へと歩いていった。別れた場所から見える彼女は、僕の人生にどうしても消せないものを残し、夕日色と人ごみとで満ちたかなたの中に消えていった。
僕は感謝の気持ちで見送った。
気づけた。いままで無駄と思った過去は、いちばん大事な思い出だった。
その日はそのまま家には戻らず、中古のゲームを買うためにソフトショップに足を運んだ。帰ってきてからの僕は採るものも採らずテレビの前で夢中になり、買ったソフトで夜を潰した。
そのソフトは、僕にとって『あの日の二人のRPG』だったから。
ほんの少しあのころが、戻ってきたような気がした。




