第三十五章 “中央特別区”観光巡り 模擬戦と胡蝶館 中
「木刀の調子はどうだ?」
「うん、しっかりした造りだね。流石にクローフィズさんの作品と比べると見劣りするけど模擬戦程度なら問題ないかな」
そう言いながら木刀を携える姿に違和感は無く、ごく自然に思えた。
そんな彼女の相手は、冒険者として一ヶ月先輩のアルフィードだ。
胸当てを着けた彼は、右手に木剣、左腕に小盾を装備していた。
「僕の準備は完了だ。そっちはどう?」
「ボクも大丈夫。いつでも始められるよ」
「よし、なら両者指定位置に着いてくれ」
地面に足で引かれた四角い枠の中、両者は対峙する。
「胴に防具は付けなくていいのかい?」
「ウチの流派では半端な物だと逆に邪魔になるからね。手と足を守れればそれで十分なんだ」
そう告げる鴉弥が付ける防具は手甲と足甲のみ。
木剣とはいえ些か守りが不安に思えるが、当の本人はリラックスした自然体であった。
「打ち合えば分かるさ」
それ以上の言葉は無用とばかりに口を閉ざす。
木刀の切っ先を相手の喉元に向け、正眼の構えをとる。
すると先ほどまで緩んでいた空気は肌を刺す様なピリピリしたものに変わる。
直接対峙するアルフィードは誰よりもその空気を感じ取っていた。
……普段の立ち振る舞いからある程度の実力があるってのは分かっていたけど……これ程とはね。
もはや表情を作る余裕は無い。
口は堅く食い縛られ、冷たい汗が背中を落ちる。
腰を軽く落とし、小盾を前に構える。
対する鴉弥は触れれば折れてしまいそうな体格だが、まず自分が触れる姿を想像できない。
「準備はできたか。では――始め!」
『…………』
シューヴァラの宣言が発せられるも、両者共に動かない。
お互いに隙を探り合う僅かな間。
一呼吸置いて動いたのは鴉弥であった。
「――ヤァ!!」
鋭い叫び声を上げ、瞬く間に距離を詰める。
「……ッ」
上段から木刀を振り下ろされた木刀を小盾を僅かに傾斜をつけて受け止める。
……速い! 構えてなかったら危なかった!
傾いた盾の表面を勢いの乗った刃が滑る。
更に振り払うように盾を動かす事で、木刀に籠められた勢いを明後日の方向へ向ける。
そうして体勢が崩れた隙に木剣の一撃を叩き込むのが狙いだ。
「ダァッ!!」
体幹を駒の様に回し、木剣を突き出す。
模擬戦であるため、威力よりも速度を重視した突き。
確実に捉えたと思った一撃。
しかし、切っ先にあったのは一枚の白い羽。
……消えっ!? いや、上か!
直感のままに見上げれば、自身を飛び越す鴉弥の姿。
捻りを加えた前方宙返りはそのままアルフィードの背後を取る。
「しま――っ」
「はい、お終い」
慌てて振り返るが、眼前に突きつけられた刃が敗北を告げていた。
●
「参った。まさかあんな動きをするなんてね」
「ボクのちょっとした特技の一つさ。それに少し試したい事もあったしね」
180センチ近い身長の自身を、ああもあっさり飛び越すのは予想外ではあった。
「相手が魔獣や魔物じゃないからって油断したな? ある程度鍛えた近接戦闘者は自身の身長程度なら軽く超えるぞ。その年でそこまで動ける人間は少ないが、居ないわけじゃない。しっかり覚えて置くんだな」
「はい、肝に銘じておきます」
先達者であるシューヴァラの忠告を受け止め反省する。
「今のスッゴイ跳んだよねー。ピョーンって!」
「そうですね。まるで体が何かに持ち上げられたかのようでしたね」
「お二人とも凄く速かったです。もう、何が何だか」
今の模擬戦について、仲間達が各々が感想を話し合う。
「それじゃ、次はユウトとパールの模擬戦だ。位置に着いてくれ」
「はーい」
「わかりました」
次の模擬戦の為に枠の中から退場する。
「次は頼んだよパール」
「うん、アルくんもお疲れ様ー。後は任せてー」
入れ替わりに枠内に向かうパールの背中を見送る。
向かい合う2人の姿を眺めてふと思う。
……そういえば、さっきの模擬戦中に羽の様な物を見たような……。
周囲を見渡すが、風に飛ばされたのか羽は見当たらなかった。
●
プロテクターの位置を調整する。
プラスチックの様な素材で作られたそれは、簡単に壊れない程度に硬くて軽い。
手の甲や膝だけでなく、肘や膝などの可動部にも取り付ける。
叢雲があるが、あれは硬過ぎて鈍器代わりとなるために常備された物を使う。
幸い腕輪自体は小さく、プロテクターの装着に支障はない。
「んー? ユウも胸当ては着けない派ー?」
「え? ああ、本当は鎖帷子みたいなものがあれば良かったんだけどね。無いからこのままで。ていうか、そっちは一つも着けてないじゃん」
手足の筋を伸ばして準備する。
対するパールは自然体のまま、その場に立っていた。
「わたしは単に邪魔だから。そう簡単に当てられるとは思わないでねー」
「お手柔らかにお願いしたいなーって思うんだけど」
せめてものお願いであるが、彼女はにっこりと笑みを浮かべ、
「だーめ」
そう告げた彼女の両手には小振りのナイフが握られていた。
木製であるそれは施設の備品であるが、この瞬間までどこに仕舞っていたかは分からなかった。
「あ、始める前に一つ聞いていいか?」
「なーに?」
それは黒兎の頃から思っていた疑問だ。
何となく聞くタイミングを逃していたが、いい機会なので聞いてみる。
「もしかして、若手組みの中だと君が一番強い?」
「あはは」
言葉ではなく、ナイフを構える事で答えとする。
「答えは模擬戦の中でって事ね」
右手を前に半身を向ける。
両手は浅く手刀を作り、右手を刀に見立てて胸先から構える。
鴉弥と繰り返した組手の中で編み出した構えだ。
「両者準備はできたな。では――始め!」
瞬間、快音が響いた。
●
気が付けば両者は組み合っていた。
快音の元は刃と手甲。
お互いの右手は正確に相手の急所を狙ったものであり、またお互いに左手の装備に防がれていた。
「あはっ」
少女が溢した笑みは喜悦に因るもの。
それが何なのか察しようにも彼女の猛攻は激しい。
「――チィ」
そのナイフ捌きは変幻自在と言えた。
縦横無尽、流れるように振るわれるナイフは捉えどころが無い。
手甲でナイフを弾き、刃の雨に隙間を作って拳を叩き込む。
だが相手も然る者、ナイフによる防御だけでなく、そのしなやかな体を十全に生かして回避する。
打ち合いはその場に留まらず、入れ替わり立ち代わり踊るように動き回る。
それでも枠線を越えないあたり、周囲を把握する余裕はあるようだ。
打ったと思えば守り、防いだと思えば斬りつける。
「凄い……」
それは誰が呟いたか、気が付けば周囲の者達は2人の乱舞に目を奪われていた。
防具とナイフが打ち合う音が止むことは無い。
「あは、あははッ」
拳とナイフの打ち合いは次第に格闘戦へと移行する。
始めは肘が、次に膝、最後には軸足狙いの足が飛ぶ。
「いいっ! 良いよ最高!! ギアをもう一つ上げるね!」
「て、手加減プリーズ!」
何故だかヒートアップしていくパールに悠兎は喰らい付く。
……これ以上はもう無理! 限界なんですけど!?
お互いに打ち合う姿は一見すれば互角。
だが、悠兎の内心は焦燥に満ちていた。
徐々に動きの速度とキレが増していく相手に悠兎の限界は近かった。
チョーカーによる制限を解けば対応はできるだろうが、その動きの変化は目に見えて大きく、周囲の目には異常に映るかもしれない。
まだ右も左もよく知らないこの世界で下手に目立ちたくはなかった。
この模擬戦自体が周囲の注目を集めてはいるが、“気”や“魔術”のような超常的な力を用いてはいないのでまだ常識の範囲……の筈。
とはいえ、模擬戦を終らせるためには勝敗を決するしかない。
しかし、ワザと負けるのはちっぽけなプライドが許さないし、枠線を越えて判定負けしたところで今の彼女は関係無しに続行しそうだ。
木製のナイフにも拘らずプロテクターの表面は幾らか削れている。
刃引きはしてあるが、当たれば怪我は免れないだろう。
……あんまりやりたくはないんだけど。
この状況を切り抜ける方法は頭の中にある。
チャンスは一度。
失敗すれば次は警戒されてしまう。
「ぐぅっ」
パールの猛攻に耐え、遂にその時は訪れた。
突き出す左の拳を片手のナイフで防ぎ、返しに刃を薙ごうとする。
「今!」
拳が防がれる瞬間、拳を開き手首を掴む。
「――っ!?」
驚きながらも振るわれたナイフを屈む事で回避する。
屈んだ体勢のまま掴んだ腕を引きながら重心を掛ける。
更に右手も使って押し込むように押し込む。
「にゃ!?」
すると掴んだ腕を基点に一回転し、地面に叩きつけられた。
彼女にしてみれば瞬く間に天地がひっくり返った感覚だ。
起き上がろうにも、眼前には拳が突き出されていた。
「そこまでっ!」
「……あちゃー」
勝敗を告げる声にパールも落ち着きを取り戻す。
少なくとも襲われる事はなさそうで、悠兎は安堵の息を吐いた。
●
「ねぇーそれって何処にあるのー?」
「ここから徒歩で30分は掛からないぞ。バスに乗れば早いが、今は昼時のピークで混んでいるからな。出店を冷やかしがてら歩いて行こうか」
模擬戦の後、互いの健闘を称えるとシューヴァラから一つの提案が出された。
曰く、戦闘後の昂っている状態の方が都合の良い施設と。
首を傾げる新米達の中、発案者はにやりと笑みを浮かべて言う。
「女性陣はともかく、アルフとユウトは嵌まらないようにな」
頭に疑問符を浮かべながら一行はある施設に辿り着いた。
これまた見上げる程に大きな建物だ。
外装は洋館に近い雰囲気。
だが、ビジネスホテルの様に壁一面に採光用の小さな窓が所狭しと並ぶ。
窓の列の数から5階立てのようで、先日宿泊した個人用宿と外見が似ている事から、一部屋一部屋はそこまで広くはなさそうだ。
そんな館の大きく開け放たれる表玄関の上には、蝶が描かれた看板が取り付けられていた。
「“胡蝶館”?」
誰ともなしに呟かれるのは看板に記されたその建物の名。
出入りする人間の数は組合本部と引けをとらない。
しかし、装備や立ち振る舞いから、一般人の……それも男性の比率が大きいという違いがある。
「えーっとシューヴァラさん? ここは一体どんな施設なんです?」
今まで様な見て分かる施設ではない事に、アルフィードは疑問の声を上げた。
一見しただけでは用途も何も分からない。
ただ、施設から出てくる者は誰一人として例外無く、どこかスッキリとした表情をしている。
「入れば分かるさ」
意味深な笑みを浮かべ、館の中に入っていった。
●
エントランスホールは広く、清潔感があった。
見渡すだけでも何十人という人間が待合のソファーに座っていた。
彼らはどこかそわそわと落ち着きが無く、深呼吸を繰り返すものも居た。
そんな彼らを横目にシューヴァラは受付嬢に声を掛けた。
スーツ姿の受付嬢は一見すると人間に見える。
が、腰部から伸びる蝙蝠の様な黒の双翼が彼女の種族を主張していた。
「ようこそ“胡蝶館”へ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「“献精”を冒険者5名分で頼む」
「畏まりました。オプションは如何いたしますか?」
「スタンダードで頼む。初回だからな、変に覚えられても困る」
「あら、そうでしたか。なら“胡蝶館”の良さを知って頂ける様に頑張りますね」
誰が受けるのか察した受付嬢はにっこりと新米達に向けて微笑む。
受付に配置されるだけあってその外見は美人といえた。
ただ、どこか妖艶な雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
少なくともカルシェは顔を赤くして顔を逸らしていた。
「では、冒険者の方は一日一回は無料ですので、今回は料金は頂きません。そして初回ということですが、詳しい説明は致しますか?」
「いや、それはいい。実際に体験した方が分かりやすい」
「畏まりました。ではこちらの端末にPDAを翳してください。画面に個室番号が表示されます。そうしますとPDAはその個室の利用証明と鍵代わりとして使用する事ができます」
受付嬢とシューヴァラの視線に促され、頭を捻りながらも新米達はPDAを翳していく。
「悪いが少年はここで俺と居残りだ。利用するのはもう少し大人になってからだな」
PDAを持たないにも関わらず、受付嬢の色香に誘われるカルシェを止める。
どこか呆けた様子のカルシェを捕まえながらシューヴァラは言う。
「この後の説明だが、それぞれの個室にベッドがある。そこで一時間ほど仮眠を取る。簡単だろう?」
説明としては簡潔であった。
だが、先ほどまで観光で歩き回ったのだ。
更には模擬戦を行ったため多少の汗も掻いている。
多少の疲れはあれど、完全に目が覚めた今では寝るのは難しい。
そんな思いでシューヴァラを見つめるが、彼は面白そうに笑みを浮かべるだけだ。
「“胡蝶館”デビューは冒険者としての通過儀礼の一つだ。まぁ、存分に楽しんでくるといい」
手を振って彼は新米達を送り出した。
●
「……狭いな。これって前に止まった個人宿よりも狭いんじゃないか?」
扉を開けば、目の前にはベッドが一つ。
枕が一つあるだけで、毛布は無い。
また、リラックスを促すためだろうか、甘い香りに満たされていた。
ベッド自体が一人用にしてはやや大きいのは、多種族が利用する事を考えての事か。
「汗も掻いて気持ち悪いし、体を動かしたばかりで寝ろって言われても眠れないんだよなぁ」
ここに至っては何を言っても意味が無いので、素直にベッドに横になる。
模擬戦で服に土埃が着いていたが、個室に貼られた利用方法によるとそのまま使用して構わないようだ。
「それに、ベッドで寝る事に一体どんな意味があるんだか。寝るだけの事で態々こんな建物を造る意味が解らな……」
独り言は途切れる。
目の前の景色が変わったからだ。
「え?」
思わずベッドから身を起こす。
軋むスプリング音は知っているものだった。
壁に掛けたアニメのポスター、小説よりも漫画が多く収められた本棚、ベッド横の窓から見える住宅街の光景。
忘れる筈がない。
高校生まで寝起きして過ごした自分の部屋の風景を。
「なん、で?」
辛うじて出せた言葉はそれだけ。
見れば服装も、和装から着慣れた寝巻き用のシャツに替わっていた。
頭の中では鴉弥や鞠、アルフィード含む冒険者達の顔が浮かんでは消える。
「と、とりあえず状況を確かめないと」
そう行動を起こそうとすると部屋の扉が開かれた。
「ちょっと悠兎ー、まだ寝てるのー?」
それはここ最近で聞き慣れた声。
それは信頼する仲間であり、故郷を共にする相棒である。
「鴉弥!? 俺達ってさっきまで“胡蝶館”に……っ」
そこに居たのは鴉弥であってそうではなかった。
雪の様な白髪は明るい茶髪に、深紅の瞳は鳶色の瞳に。
透けるような白い肌は、色白ではあるが健康的な肌に。
それは生前、日本で生活していた頃の姿であった。
「……寝惚けているの? 夏休みだからって初日から怠けが過ぎると思うよ?」
呆れたような視線を向けながら彼女は時計を指で示す。
壁に掛けた時計を見れば既に昼が近い。
「もう、おじさんとおばさんは昨日から旅行で居ないんだよ。この調子だとご飯はどうするつもりだったの?」
「いや、どうするつもりって……え?」
まるで我が家の様に自室に入り込む鴉弥。
クラスメイトに知られれば、ファンクラブに目を付けられる状況だ。
とはいえ、この状況は既にありえない。
自身も彼女も一度死を経て、異世界へと転生したのだから。
混乱に言葉が出ない悠兎の様子に鴉弥は首を傾げる。
「どうしたの? せっかく恋人が遊びにきたっていうのに反応が悪くない?」
あまりにも当たり前に、しかし予想だにしない単語が飛び出した。
「は? 恋人? 俺と?」
悠兎のあり得ないという態度に鴉弥は眉を顰めた。
「……そこを動かないで」
たった一言。
だが、有無を言わせない迫力に悠兎は固まる。
鴉弥は硬直する悠兎に近づき頬に両手を当てると、
「熱は……無いみたいだね」
お互いに吐息が掛かる距離で彼女は言った。
額に感じるじんわりと感じる熱は誰の物か。
理解した途端、頬が焼けるように熱くなったのを自覚した。
「んー、やっぱり寝惚けていただけかな? でも、これで目が覚めたでしょ?」
そう言って彼女は花が咲くような笑顔を浮かべた。




