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11* 間引き

デイルは戸惑っていた。

本当ならもう少し、交流なり親交なりを深めるべきなのだが妙な混乱を抱えて予定よりも早く部屋を出てきてしまった。

さきほどまで目の前にいた令嬢を思い出す。

想像と全く違っていた。

ベルリードの言葉で想像していた人物とは正反対だった。

我の強い、家柄を誇るような高飛車な少女を思い描いていた自分が恥ずかしくなる。

淡紅色の衣装が引き立てていたのは、実のない栄華ではなく、可憐な容色。

あんなに繊細な少女を見たのは初めてだった。

デイルの周りにいる女性たちは、皆良くも悪くも逞しかった。

男の意向一つで立場が変わる彼女たちの必死さをデイルは、否定するつもりはない。

それを自分に向けられることはあまり歓迎してはいないが。

魅力的な微笑みを向けられる事も、かすかに媚を滲ませる肢体を寄せられるのも、嫌いではないが鼻を伸ばす事もない。

ふくよかな肉体に感じるのは肉欲よりも母性だ。

早くに母から離された寂しさが、女性に対して一歩引かせているのかもしれない。

女性の対応の冷静さに、義妹の行き過ぎた好意も原因に含まれている事に本人は自覚していない。

そんな事を考えながら、一番落ち着ける執務室の椅子に身体を委ねた。

なるべく人と対する時は、第三者の意見に惑わされずに自分の目で見極めてきた。

人を見極める目には自信がある。

いや、自信があった。

それが今僅かに崩れてきつつある。

「……少しあいつの印象に影響されていたかもしれないな」

反省して、はれぼったい目の上に腕を乗せる。

視界を遮ると身体の中から小刻みに拍動が響いてくる。

違う、問題はそんな事じゃない。

動揺したのは、子爵家の令嬢が予想と違っていたことではない。

触れた先から散ってしまいそうな儚さに驚いたのではない。

顔に出ない動揺を、心臓は正確に表す。

「似ていた」

落とすように呟いた言葉は、予想以上の重さで己に跳ね返った。

腕に覆われた眉間が強く引き絞られる。

そうだ、似ていたのだ。

あのまだ子供と言っても良い令嬢が。

似ていたのだ。

美しい金色の天上人に。

憂いを紗のように纏った、妙なる方に。

この心を奪った、愛しい人に。

「馬鹿なことを」

あまりに年恰好が違いすぎる。

髪の色も瞳の色も、違っていた。

大きな違いを数え上げて、それを何度も繰り返す。

その事が既に捕らわれている証だとは気付く余裕もない。

会いたいと強く思った。

星振る夜を静かな泉の水面に映して、あの方と二人で語らえたらこのような惑いは消えてしまうだろう。

愚かな煩悶だと無理やりに自嘲を浮かべて、気を入れ替えるように拳を額に当てる。

「良し、仕事だ」

気持ちを切り替えて、大事な案件に集中する。

ふと、誕生会の衣装を考えねばと思い至る。

今日与えた装飾品は、適当に見繕った物だ。

適当と言っても細工も宝石も選りすぐりの一級品だったが、あの令嬢には少々派手すぎたかもしれない。

衣装はもう少し気を使って贈ってやろう。

春の淡い陽だまりに咲く、花のような令嬢に。

優しい色合いの可愛らしい衣装を。




『もうすぐ、月が満ちる』

「何やら気もそぞろのようですね」

かたん、と窓の木枠が揺れて年月の刻まれた手がそえられる。

青の下地に白綾を重ねた衣服は、特徴的な型をしていた。

けれど、珍しいと言う物ではない。

世界にこの直線的な衣装は、細かな差異はあれど多くある。

神に仕える、神官たちの礼服だ。

その中でも最高位を現す衣装をさらりと着こなしているのは、この部屋の主。

おっとりとした柔和な主立ちの老人は、風華の最高位の神官。

老人とは言っても、若かりし頃はさぞ騒がれたであろう容貌を今も漂わせ、歳を重ねた分だけその面立ちに深みを増してさえいる。

「気になるのであればお行きなさい。貴方の可愛らしい方が待っているのでしょう」

窓の外で空を見上げている精霊に穏やかに諭すが、頑固な精霊はこの手の気遣いを受け取った例がない。

『まだ太陽は天にある。あなたの傍を離れるわけには行かない』

「私ならば大丈夫だと言うのに。精霊がこんなに頑固だとは知りませんでしたよ」

精霊の気質は一言で言って奔放。

美しいもの、楽しいことが好きな彼らはいつも気の向くままに行動する。

精霊術の扱いが難しいとされるのも、ひとえに彼らのこの性情ゆえだ。

そんな精霊の中で、珍しく融通の利かない己の精霊に最高位の神官もため息を吐く。

神官でただ一人呼ぶ事を許された名を呼んで、語りかける。

「ハクラン。確かに、ここ最近の神殿は慌しい。けれど貴方の大切な者を振り捨てる理由にはなりませんよ」

『……あなたはこの神殿の長だ。私はそのあなたに仕えている身。なれば、神殿を第一に考えなくてどうすると』

「本当に頑固なことだ」

長い付き合いの中で、こうなるとどんなに言い聞かせても無駄だと悟る。

『それに愛しい子のことで悩んでいたのではない。もうすぐあの子の誕生月が訪れる』

気を回したのかハクランが付け足した言葉に、神殿長はほんのりと微笑んだ後に、感慨深げに空を見上げた。

視線の先には水鳥の羽の様な雲が流れている。

「あぁ、今年は来臨の年でしたね。そうですか。貴方の気がかりも晴れるというわけですね」

『そうだと良いが』

やはり難しい顔で漂う精霊に、神官はやれやれと見切りをつけた。

ちょうど扉が叩かれて、身の回りの世話をする少年たちが顔を覗かせてきた。

「白嵐様、お客様がお見えでございます」

「わかりました。すぐそちらに伺いましょう」

きっちりとした礼をとる神官の少年に微笑みを送って、窓辺に浮かぶ精霊を一瞥する。

そんな視線に気付きもせずに熟考する精霊には声をかけずに部屋を出た。

どうせ言ったとしても聞こえなかっただろうと思いながら。




数多の想いが巡った陽が沈み、幾多の人が望む夜が訪れる。

ぼんやりと露台に立ったリゼイラは、迷っていた。

デイルさまはまた会いたいと言ってくれた。

けれど、昼間に会った時には夜の事は何も仰らなかった。

まるで自分の事など知らない、と無言で示しているようにも見えた。

どうしよう。

本当にデイルさまは待っていて下さるのだろうか。

でも昼間に会ったからともう来ては下さらないのかもしれない。

尽きぬ迷いを重ねている内に月が昇る。

わずかずつ丸みを増していく月のように、リゼイラの想いは膨らんでいく。

迷いながら、考えながら、リゼイラの足は泉へと向かっていく。

さらり、一陣の風がリゼイラを天上の一族へと変貌させる。

輝く黄金の髪をリゼイラはそっと手に取った。

やはり昼間の鏡に映る自分の髪とは全く違う。

手も形は変わっていないようだが、大きさが違ってしまっていた。

近くに鏡はない。だからはっきりした事はわからないけれど。

ぎゅっと胸の前で手を握り締めて、リゼイラは心を決めた。

泉へ行こう。

もしかしたら、デイルさまがいらっしゃるかもしれない。

もし、悲しいけれどいらしてくれなかったら、その時はハクランに自分の事を聞いてみよう。

何かわかるかも知れない。

とても大切な事が。

歩きなれた道を辿り、リゼイラは今までになく緊張して繁みから顔を覗かせた。

そこにいたのは、

『デイルさま……』

その時、湧き上がった気持ちを言葉には出来ない。

「良い月夜ですね」

昨夜の、あの時と変わらない笑顔。

ちゃんと微笑み返す事が出来ただろうか。

柔らかな草を踏み締めながらデイルの前まで行った。

昼と同じ場所に立って、公爵様の目を見つめた。

ずっと近くにある優しい褐色の瞳。

「どうかされましたか?」

ジッと見つめていると困惑したように問い返された。

小さく首を振ってデイルの隣をすり抜けた。

泉の前に立って一度目を閉じる。

それから、ゆっくりと膝を折って水面に己の顔を映した。

見覚えのある顔が凪いだ湖面に映し出される。

今朝も見た覚えのある顔だ。

公爵家に来てから何度も見た顔。

リゼイラ自身の、少しだけ成長しているが、顔だ

白い肌を彩るのは金色の髪。大きく丸くなっているのは青い瞳。

『神にちかしい一族……』

ぼんやりと呟くと、震えるように湖面に細波が立った。

泉の精霊たちが騒いでいる。

「あの!どうなさったのです!酷い顔色だ」

ふっと我に返ったリゼイラの薄い両肩をデイルが必死の表情で掴んでいた。

真剣な眼差しだった。偽りのない目だった。

ずっと人と切り離された生活をしていたリゼイラにだって、一生懸命な人の気持ちはわかる。

微かな微笑みを浮かべて心配そうなデイルに、何でもないと首を振った。

「本当に平気ですか?休まれた方が良いのでは?」

それでも気遣ってくれるデイルの優しさを受け入れて、抱きかかえられるようにして泉から離れた木の根元に腰を下ろした。

背に当る木肌の温もりがリゼイラの気を落ち着けてくれる。

耳をつけると流れる鼓動が聞こえてくるような気がする。

飽和する頭に目を閉じていると、そっと顔にかかる髪が掻き揚げられた。

薄っすらと確認するとデイルの大きな指が丁寧に髪を避けてくれていた。

「あ、すみません。お邪魔そうだったので」

本当に気を使ってくれているデイルの様子に、突然あぁと気がついた。

仕方がなかったのだ。

自分でも驚くくらい姿が変わっていた。

デイルさまが、気付くわけない。

「……お気に触ったのならすみません」

真摯に応対してくれるデイルに、ようやく落ち着いた気持ちで微笑む事ができた。

嫌われたわけじゃなかった。

ただ、気付いてもらえなかっただけ。

無自覚な痛みを飲み込んだ微笑みに、デイルは気遣わしげな表情を浮かべたが何も言わなかった。

代わりのように膝の上に置いていた手が重なった。

あの時のように、冷えた手を温めてくれるように大きな手が握ってくれる。

けれど、あの時とは違って身体が強張る事はなかった。

ただ温もりだけが優しく残ってくれる。

この時だけの優しさでも、こんな自分に、自分のためだけに与えてくれた優しさだ。

嬉しくて嬉しくて、それなのに少しだけ悲しくて。

デイルからは見えないように浮かんだ雫を瞬きで散らした。

そうして、顔を俯けたままデイルの手を握り返す。

大きく動揺するようにデイルの手が震えたが、次には少し痛いくらいに力をこめて握られる。

その痛みが、幸せだった。

温かな幸福を噛み締めながら、リゼイラは一つだけ自分に約束した。

自分が必要とされるのはこの姿の時だけ。

それなら、それ以外の自分はデイルに近づいてはいけない。

嫌な思いをさせたくない。

だから、デイルに会うのはこの場所でだけ。

夜だけ。


そう決めた。


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