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これって誘導尋問だよね!?

 結花に手を引かれ住宅街をさらに歩くこと十数分。

 今度こそ俺の本当の家に到着したようだ。

 そこは先ほどの豪邸とは程遠いごくありふれた一般的な二階建ての戸建てだった。


 俺は少しだけホッとして玄関のドアノブに手をかけた。

 ガチャガチャと金属音が鳴るだけでドアは開かない。

 どうやら鍵がかかっているらしい。

 仕方なく傍らにあるインターホンのチャイムを押した。

 ピンポーンという間の抜けた音が家の中に響き渡るが全く反応がない。

 朝のこの時間帯なら、誰かしら家にいてもおかしくないはずだ。


「なあ結花。俺の家族構成ってどうなってるんだ」


 俺が振り返って尋ねると結花は少しだけ考える素振りを見せて答えた。


「お父さんとお母さんとあとは居候しているお兄さんみたいな人がいるはずだよ」


 両親に加えて謎の居候までいるのか。

 それなのに家の中は不気味なほどに静まり返っている。

 もう一度チャイムを押してしばらく待ってみたがやはり足音一つ聞こえてこない。


「誰も出ませんね。先輩の帰還を歓迎しないなんて非常識な家族です。私がドアを蹴破りましょうか」


 澪が物騒な提案をしてくるが自分の家を破壊されるのは御免だ。

 どうしようかと途方に暮れながら無意識に自分のズボンのポケットに手を入れた。

 指先に硬くてずっしりと重い金属の感触が触れる。


 なんだこれ。

 引っ張り出してみるとそれは鍵だった。

 だがどう考えても普通の家の玄関を開けるような代物ではない。

 装飾がやたらとごつく、まるで深夜アニメやファンタジーRPGに出てくる、いにしえの宝物庫を開けるための伝説のアイテムのような大仰なデザインだ。かっこよすぎる。

 持ち手の部分には禍々しい赤い宝玉まで埋め込まれているし、無駄にトゲトゲしている。なんだこの男心をくすぐるものは。

 だがしかし先端の鍵穴に差し込む部分だけはなぜかごく普通のギザギザした平たい鍵の形状をしていた。


「まさかな」


 俺は半信半疑のままそのどう見ても伝説の鍵(マスター・コード)(仮)を一般的なアルミサッシの玄関ドアの鍵穴に差し込んでみた。

 スッ。

 恐ろしいほど滑らかに鍵穴に吸い込まれていく。

 そして手首を捻るとカチャリという小気味良い音とともに鍵が回った。

 ノブを引くと重たいドアがあっさりと開く。


「まじかよ……」


 俺は思わずその場で呆然と呟いた。


「うわぁ、先輩の家の鍵めちゃくちゃダサいですね。中二病の極みじゃないですか」


 澪が背後から容赦ないツッコミを入れてくる。

 グサ。


「空くんは昔からそういうかっこいいアイテムが好きだったもんね私には空くんのセンスが全部愛おしいよ」


 グサグサ。


 結花が全肯定で甘やかしてくるが、俺の心には全く響かなかった。

 記憶を失う前の俺は一体どんな精神状態だったんだ。

 こんな伝説の宝剣みたいな鍵をジャラジャラ鳴らして毎日帰宅していたのかと思うと急に過去の自分が恥ずかしくなってきた。

 とはいえ鍵が開いた以上は中に入るしかない。

 俺はこの伝説の鍵をポケットに突っ込み直し、ゆっくりと薄暗い玄関の中へと足を踏み入れた。


 家の中はシンと静まり返っていた。靴を脱いで廊下に上がるが生活音すら聞こえない。本当に誰もいないようだ。俺は背後についてくる二人に振り向いた。


「なあ結花。俺の部屋はどこだ?」


 俺が尋ねると結花は少し首を傾げてから答えた。


「たしか階段を上がって二階の一番奥の部屋だったはずだよ」

「昔はよく遊びに行ってたけど、最近は入れてくれなかったからちょっと曖昧だけど、ね?」


 その言葉に従って俺たちは二階へと上がった。一番奥のドアノブに手をかけゆっくりと開く。中に入るとそこはいたって普通の男子高校生の部屋だった。ベッドに学習机。そして木製の大きな本棚があるだけだ。あの忌まわしい中二病全開の伝説の鍵とは打って変わって、意外と真面目で落ち着いた空間が広がっていた。俺は少しだけ過去の自分を見直した。


「なんだ先輩の部屋ってつまらないくらい普通ですね」

「もっと壁一面に怪しげなポスターとか鎖とか飾ってあるのかと思いました」


 澪が部屋を見渡しながら拍子抜けしたように言う。


「空くんは昔から読書が好きで知的だったからね」

「こういう静かな空間が一番似合うんだよ」

「でもこれからは私が空くんの部屋を私色に可愛くデコレーションしてあげるからね?」


 結花が相変わらずの全肯定で部屋を褒め称えつつ恐ろしい模様替えの計画を立てている。


 俺は二人の会話を適当に聞き流しながら自分の本棚に近づいた。どんな本を読んでいたのか知れば自分の人間性が少しは分かるかもしれない。本棚には漫画よりも小説の方が圧倒的に多く並んでいた。

 アンドレ・ジッドやヘルマン・ヘッセなどの海外文学がずらりと並んでいる。その横には明らかに背伸びをしてかっこつけて買ったであろうドストエフスキーの分厚いハードカバーが鎮座していた。

 意外と文学青年だったのか俺は。少し感心しながら視線を下の段に移した瞬間俺の全身から冷や汗が噴き出した。


『図解・実践 死霊魔術のすべて』


 背表紙に禍々しいフォントで刻まれたタイトル。その横には『漆黒の召喚陣』などという中二病感満載の本まで並んでいる。文学青年の仮面の下に、あの伝説の鍵を愛用していた痛々しい過去の俺が確実に潜んでいたのだ。


「先輩どうかしたんですか?」

「なにか面白い本でも見つけましたか?」


 澪が背後からこちらを覗き込もうと足音を立てる。俺は心臓を跳ね上げさせながら光の速さでその死霊魔術の本を引き抜いた。


「いや?別に何でもない!」


 俺は二人から体を隠すようにして、そのまま本棚の裏の隙間にその黒歴史の塊を全力で押し込んだ。ドスッという鈍い音がしたが二人にバレるよりはマシだ。危ないところだった。記憶喪失の俺がなぜか過去の自分の痛い秘密を必死に隠蔽するという謎の事態に俺は一人でどっと疲労を感じていた。


 ほっとしたのも束の間だった。背後から結花の「まぁ、これは」という素っ頓狂な声が響いた。俺はビクッと肩を揺らして振り返った。

 彼女の手には一冊の雑誌が握られていた。それは俺の学習机の一番下の引き出しから発掘されたものらしかった。表紙を見て俺は完全に固まった。

 それは水着姿の女の子が微笑むグラビア写真集だった。健全な男子高校生なら一冊くらい持っていてもおかしくない。問題はその表紙のモデルがどう見ても結花と瓜二つだったことだ。

 俺の脳細胞が完全に活動を停止した。


「ちょっと先輩なに隠し持ってるんですか」

「うわっ、このグラビアアイドル結花先輩そっくりじゃないですか」

「先輩ってばこういうのが好みだったんですね」

「身近な幼馴染を重ね合わせて欲情するなんて、むっつりスケベもいいところですよ!」


 澪が最初は腹を抱えて笑いながら俺を指差していた。しかし彼女のその笑い声は徐々に小さくなっていった。

 笑っている場合ではないと気づいたのだろう。俺が結花そっくりのモデルの写真集を隠し持っていたということはつまり俺のストライクゾーンが完全に結花であるという動かぬ証拠なのだ。


「……えっちょっと待ってください」

「それってつまり先輩は私じゃなくて、この人みたいな体型が好きだったってことですか」

「私がいくらアピールしてもなびかなかったのは最初から結花先輩のコピーを探していたから...」

「ふざけないでくださいよ私の純情を返してください!」


 澪からドロドロとした嫉妬の感情が立ち上り始めた。病室で感じたあのまとわりつくような重い空気がこの普通の男子高校生の部屋を浸食していく。

 しかし俺はそれどころではなかった。グラビア写真集を手に持った結花の様子がおかしいのだ。彼女は一言も発さずただじっと表紙を見つめていた。

 その沈黙が何よりも恐ろしかった。どうすればこの絶体絶命の佳境を乗り越えられるのか。俺はフル回転する脳細胞の末に一つの起死回生の言い訳を思いついた。


「ちっ違うんだよ結花。それは過去の俺が買ったものなんだ。今の俺と過去の俺は完全に別人なんだよ。だからその写真集の趣味も今の俺には全く関係のないことなんだ!」


 記憶喪失という最強のカードを切った。これでなんとか誤魔化せるはずだ。

 そう思った直後だった。結花の表情から一切の感情が抜け落ちた。完璧な真顔だった。

 多分病室で理を沈めた時のようなあるいはそれ以上に底知れない漆黒の闇が彼女の瞳に広がっていく。


「……別人?」

「それって私がずっと愛してきた空くんと今私の目の前にいるあなたは別の人格だってこと?」

「私の空くんはもうどこにもいないってことなの?」


 結花の声は氷点下まで冷え切っていた。俺が後退りしようとした瞬間、彼女は恐ろしい膂力で俺の胸を押し飛ばした。

 俺はそのままベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。結花が俺の上に馬乗りになる。彼女の右手には俺の机の上にあったはずの刃渡りの長いカッターナイフが握られていた。


 カチカチカチッ。

 無機質な音を立てて鋭利な刃が限界まで引き出される。


「じゃああなたはその体から出て行って」

「私の空くんの体を乗っ取っている泥棒なら今すぐそこから立ち退いて」

「空くんの体は一ミリの狂いもなく私のものなんだから」


 結花はそのまま躊躇うことなくカッターを振り下ろした。ザクッという鈍い音とともに俺の頬の数ミリ横のシーツに鋭い刃が突き刺さる。

 冷や汗が滝のように頬を伝い落ちた。

 冗談じゃない。一歩間違えれば俺の頸動脈が切断されていた。結花の目は完全に焦点が合っておらず、呼吸だけが異様に荒くなっている。どうしたらいい。

 そうだ。人間は他人の涙に弱い生き物だ。俺が恐怖で涙を流せば彼女の母性本能が刺激されてこの狂行を止めてくれるのではないか。

 俺は必死に目を瞬かせ恐怖の涙を瞳に浮かべた。一筋の涙が頬を伝ってシーツに染み込む。


 しかしそれは最悪の逆効果だった。俺の涙を見た瞬間結花の瞳にギラギラとした悍ましい歓喜の光が宿ったのだ。


「あぁ……あなたが泣いているのを見ると胸が締め付けられるほど興奮するわ」

「私に命を握られて恐怖で泣いて震えるその無防備な顔をもっと見せて」

「あなたが私の前でだけそうやって無様に泣き崩れてくれるなら、別人でも構わないかもしれない」

「そう。ずっとこのベッドの上で私の愛の刃に怯えながら生きていけばいいのよ」


 湿度が限界を突破した。完全にドMの俺とドSのヤンデレという最悪の主従関係が成立しようとしている。もう諦めるしかないのか。俺の意識が絶望の闇に沈みかけたその刹那。ある一つの単純な、しかし俺のプライドがへし折られる生存ルートが脳裏に浮かんだ。俺は震える唇を必死に動かして叫んだ。


「ごめん嘘です!過去の俺と今の俺は同一人物です!」


 俺がそう宣言した瞬間結花の動きがピタリと止まった。突き立てられたカッターの刃から指が離れる。彼女は小首を傾げて俺の顔を覗き込んだ。


「同一人物?本当に?」

「じゃあ空くんは記憶を失っても私のことが好きってこと?」


 俺は激しく頷くしかなかった。過去の俺と今の俺が同一人物であると認めること。それはすなわち俺が結花と瓜二つのグラビアアイドルに欲情していたむっつりスケベであることを全面的に肯定し、間接的に彼女のような体型や容姿が好きだと告白するのと同義だった。


「そう。空くんはやっぱり私から逃げられない運命なんだね」

「記憶がなくても本能レベルで私の体を求めていたなんて、私とっても嬉しいよ」

「これからは写真集なんかじゃなくて私の本物を毎日隅々まで見せてあげるからね」


 結花の顔に悪魔のようなそしてこの世の誰よりも幸せそうな満面の笑みが咲き誇った。ベッドの脇で澪が「先輩の変態!最低です!」と叫びながら地団駄を踏んでいる。

 俺はカッターの恐怖から解放された安堵と自分の尊厳が完全に地に落ちた絶望の狭間でただ天井を見つめていた。


 ちくしょう!

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