プロローグ
長らく続いた冷戦が終焉を迎えて早1年。自国のために剣を握り、どんな敵であろうと恐れることなく立ち向かっていた騎士たちの前に、新たな強敵が立ち塞がった。
その強敵は情けなど一切持っておらず、屈強なはずの騎士たちを躊躇なくぶった切ってしまう。
数多の仲間が目の前で散って行った。
時に涙に暮れる仲間を慰め、時に冷たくなった手を必死に握った。
叶うことなら避けて通りたい道だ。それでも騎士として……犬死にすると理解していても、逃げるわけにはいかない時がある。それが今だ。
震える拳を握りしめ、重たい体を引きずるように廊下を進む。
勇敢にも先陣を切って強敵に挑もうとする俺の決意を悟ったのか、周りの仲間たちが固唾を呑み、縋るような瞳を俺に向けた。
「……行くのか…?」
「……あぁ…」
「そうか……生きて帰って来いよ」
「無事を祈っていてくれ」
仲間たちに見送られ、一歩一歩と地獄に向かい足を進める。
今の俺の心を占めるのは恐怖と不安だろう。苦しさを覚えて深い深呼吸を繰り返し、決死の覚悟で両戸の重たい扉を開け放つ。途端に数々の視線が体に突き刺さってくる。動じる姿を見せないために震える喉で浅く息を吸い込み、肩をゆっくりと降ろすと、上着の内ポケットから包みを取り出していく。
一挙一動を隙なく観察されている気分だ。
薄らと背中に汗が浮かび上がるのを感じながら包みの中に隠していた領収書握りしめた俺は、思いっきりテーブルに叩きつけると、ガバリと頭を下げた。
「精算を宜しくお願い致します!」
「拝見致します」
柔らかそうな細い指先が領収書を持ち上げる。
日付は書いた。用紙は商業ギルド発行。店名は手書きではなく、信頼性の高い押印。店主のサインもあるし、但し書きもしっかりと記載してもらった。
どうだ?完璧だろう?頼む、問題が無いと言ってくれ!!
腰を90度に曲げながら、脂汗を額に滲ませる。部屋に響く時計の針の刻む音がやけに大きく聞こえるのは、緊張のせいで神経が過敏になっているからだろう。
1秒が1分くらいの長さに感じる。
頼む、頼む、頼む!
祈るような気持ちで胃の痛みに耐えていると、チャリっとコインを扱う音が聞こえてきたので、目をカッと開いて頭だけを上げる。
すると、天使のような愛らしい笑みを浮かる金庫番のパトリシア嬢が瞳に写った。
「受理致しました。金額をお確かめください」
小さな両手に乗せられた俺の5万2千リオン。
それは紛れもなく、俺が提出した領収書を同じ金額だった。何度数えても間違いない。
俺の……俺の5万2千リオンが……戻ってきた!戻ってきたぞ!!
受け取ったコインが涙で滲んで見える。
これは……夢?いや、夢じゃない。ちゃんとコインの重みがある。俺の手の上に5万2千リオンがっ、あるっ!!
思わず天に向かって両手を組むと、扉の隙間から様子を窺っていた騎士仲間たちが雪崩れ込んできて、俺の手の中にあるコインを驚きの表情で見つめると、ある者は泣き出し、ある者は力一杯俺の肩を叩いた。
「良かったな、感動したぞ!」
「よくやった。お前は俺たちの希望だ!」
「ありがとう皆……本当にありがとう!」
「よし、この流れを止めるな!お前ら、領収書の準備は出来ているか!?」
「勿論だ!」
「宜しくお願いしますパトリシア嬢!」
「俺のも精算をっ!」
「この領収書を精算してもらえないと、今夜のデート代が払えないんです!」
机の上に慌ただしく領収書が積み上げられていく。
大柄な男たちが次々と机に迫る来る光景に、部屋の奥に控えている他の金庫番たちは顔色を悪くするが、パトリシア嬢だけはニコニコとした笑みを崩さずに書面に視線を向けると、魅力的な愛想笑いを振りまいた。
「こちらは日付が締め切り期日を越えていますので、精算を希望されるのなら団長のサインが入った始末書を添付してください。こちらは城から支給される備品になりますので、各自でお買い求めになられた分は私物扱いとなり、精算は出来ません。こちらは但し書きが不明瞭です。詳しい説明を求めます。この領収書は金額からして、事前の購入申請が必要です。事情があって先払いが必須だった場合は、こちらの事後報告書に記載頂き、上官と団長、副団長のサインを頂いてきてください」
長ったらしい説明をつっかかることなく言い切ったパトリシア嬢は、またしても天使の笑みを浮かべると、「不受理です」と、提出された領収書を突っぱねる。
天使の笑顔なのに、やることは悪魔だ。
「パ、パトリシア嬢。この領収書を精算して貰えないと、俺のデートが悲惨なことになるんです!どうか御慈悲を!」
「安心してください。騎士様には給料前借り制度がございます。この書類に必要事項を記載いただき、団長か副団長のサインをいただけましたら、給料の半額まで前払いが可能です」
「だ、団長は……今日は会議で帰りが遅くなるらしくて……」
「でしたら保証人として同僚2名のサインを頂いてください」
「ほ、保証人……なにもそこまで……この領収書を精算してもらえるだけで済む話なんですけど……」
「お気持ちは察しますが、決まりを私の勝手で変更することは出来ないのです。心苦しい私の気持ちもご理解ください」
パトリシア嬢が悩ましげなため息を吐き出し、眉尻を下げる。
小柄で可憐なパトリシア嬢が悲しげな顔をすると、小動物を苛めてしまっているかのような罪悪感がこみ上げてきて、心苦しくなってしまう。
仲間の1人が振り絞るように何かを言いかけ、やはり言い出せずにがっくりと項垂れた。
冷戦時は前線に立ち塞がり、どんな相手にだろうと立ち向かっていたはずなのに、金庫の前に立ち塞がるこの可憐なご令嬢には勝てる気がしないのはどうしてだろうか。
突き返された領収書を手に萎れている同僚のために俺が出来ることは、受け取ったばかりの5万2千リオンを、そっと差し出すことくらいだろう。
「……この恩は一生忘れない」
「忘れて構わないから、給料日に返してくれ」
「この領収書の精算が通ったら、すぐにでも返すよ……」
不受理とされた仲間たちは、フラフラと足下おぼつかない様子で部屋を出て行く。
その様子は、王国の最強の騎士と称される姿とはほど遠く、なんとも哀愁が漂っていたのだった。




