その5 お・は・し・も
数百人が唖然として見上げているなか、そこかしこで似たような悲鳴が次々に沸き起こった。地上に迫った化物たちは手近な人間を捕まえては空に舞い上がっていく。
「ば、化物だぁ!」
「逃げろ!」
「助けてぇ!!」
恐怖で忘我を吹き飛ばされ、ようやく危機感を取り戻した見物人たちは、化物から逃れようと一斉に駆け出した。だが安全な場所などどこにあるのか。
地下街へ隠れようとする者、近くの建物に駆けこむ者、一目散に駅を目指す者、何百人もの無秩序な行動は、すぐに物理的な衝突を生み、騒乱の渦は加速度的に広がっていく。
「どけよ! てめー、邪魔なんだよ!」
「痛ぇな! 押すんじゃねーよ!」
「ママー!」
「おい、さっさと道をあけろ! 轢き殺すぞ!」
「け、警察だ! 警察に通報しろ!」
前を塞ぐ輩を突き飛ばし、横合いから突っこんできた相手に殴られ、転倒した者は足蹴にされる。冷静さを失った人々はたがいに足を引っ張り合い、道路はラッシュアワーさながらに渋滞し、それがさらなる混乱と衝突を生み出していく。
逃げ惑う人たちが車道にまであふれ、スクランブル交差点は怒号と悲鳴とクラクションの三重奏で満たされる。
そうした群衆の醜態を嘲笑うように、化物たちの奇声が頭上から降り注ぐ。化物の数は時を追うごとに増していき、自縄自縛に陥った人混みの中から新たな犠牲者を捕まえては空中へさらっていった。
交差点の周囲の建物にいる人々は、地上の惨劇を為す術もなく見下ろしていた。助けようにも何をすればいいのか分からない。非現実的な光景を前に頭が働かず、目をそらすことさえできない。
彼らのうちの一部は、建物の中にいるという安心感から、自分たちはか弱い傍観者でいられると思いこんでいた。だがそれは甘かった。
逆さまになったタンカーの甲板から飛び立った後発の化物たちは、地上を目指すことなく、複数の群れに分かれて周辺の建物を襲撃した。明らかに組織だった動きである。
化物の接近に気づき、慌てて壁際から逃げ出した人々の背後で窓ガラスが割れ、化物の群れが家電ショップや駅ビルへ飛びこんでいく。
化物の侵入を許した建物では、小さな避難口に人々が殺到し、怒号と悲鳴がぶつかり合うなか、一人、また一人と、化物に捕らわれた人々が建物の外へ連れ出されていく。地上の惨劇が建物の中でも再現された。
「なんなんだよ、アレ……」
窓際にしゃがみこみ、恐る恐る外の様子を覗き見ながら、暁雄は絶句した。
不気味な姿の化物が、身の毛のよだつ奇声をあげながらビルの谷間を飛び交い、無力な群衆を追い立てている。
化物が侵入した建物からも続々と人が溢れ出て、地上を逃げ惑う人の群れとぶつかり、逃げ場を求める群衆は、ますます動きが取れなくなる。
暁雄たちのいるカフェも、客と店員はすでに逃げ出しており、店内には暁雄たち5人がいるだけだ。
「なんで、あんないっぱい……。戦闘フィールドでも無いのに……」
暁雄の隣には、同じような姿勢で智環がしゃがみこみ、その智環の上に覆いかぶさるようにして、透が窓ガラスに顔を押しつけていた。
「どうみても地球の生き物じゃないよねアレ。ずいぶん力がありそうだけど」
飢えた猛禽のように空中を徘徊する化物たちは、右往左往する群衆の海に飛び込んでは不幸な犠牲者を連れ去っていく。
「ベスベルミアだな。低級の妖魔だ。数が集まったところでどうということはない」
化物の動向を眺めていたリヨールは、透の疑問に答えると、テーブルについたままのカナンを振り返る。
「どうやら目的は我々ではないようです。今のうちに脱出しましょう」
「脱出? アレをほうっておくのか?」
口に出して反応したのは暁雄だけだったが、透と智環も同意見であることは、その表情が物語っている。
「当たり前だ。助けなければならない理由でもあるのか?」
「理由!? あの騒ぎを起こしているのは、トゥルノワのプレイヤーじゃないのか? さっきこっちに来てるって言ってたよな?」
「その通りだが? だから何だというのだ?」
別にリヨールは暁雄をからかっているわけではない。それは暁雄が十二分に承知している。
(なんか、こんなやりとり、前にもしたな)
おぼろげな既視感と徒労感に抗いながら、暁雄は言葉を続ける。
「だったら、アンタたちの関係者じゃないかっ。無関係な人たちが襲われてるのに責任を感じないのかよ?」
「何を言っているのだ? あのプレイヤーは、我々が呼び寄せたわけではないぞ? 我々に何の責任があるというのだ?」
「そうじゃなくて! 同じトゥルノワのプレイヤーが人を襲わせてるんだぞ? 止めさせるのが普通じゃないのか?」
「他のプレイヤーが何をしようと我々には関係のないことだ。リモシー人がベスベルミアと戦うというのならそうすればいい。それこそ、彼らの権利であり、義務だろう」
暁雄がどれほど道理や人情に訴えようと、リヨールは微動だにしなかった。
(ダメだ、ぜんっぜん話が通じねぇ……。コイツらにとって、この世界はゲームの舞台でしかないんだ。ここで起きてることも、ゲームを盛り上げるランダムイベント程度にしか思ってない……)
そのことを改めて思い知らされた暁雄が言葉に詰まると、後を引き継ぐように智環が遠慮がちにつぶやいた。
「あの人たちはどうなっちゃうの……?」
「おおよそ検討はつきますが、命の危険はないでしょう。詳しいことは脱出した後で説明します」
「なぁんだ、いよいよヒーローの出番かと思ったのに。ザンネン」
茶化してはいるが、透もこの場から退散することに不満があるようだ。
それまで黙って暁雄たちを見ていたカナンが、ここでようやく口を開いた。
「そうですね。せっかく相手の方から現れてくれたのですから、闘技を申し込んでみましょう」
「!?」
四者四様の視線を向けられたカナンは、全員の顔を見比べながら静かな口調で語りかけていく。
「これまで慎重を期すあまり、プレイヤーとの対戦を決断できずにいましたが、ここで彼らの行為を見過ごせば力の差はさらに広がるばかりでしょう。それならばいっそこの場で戦ったほうが、まだ勝算が高いと思うのです。みなさんの士気も高いようですしね」
最後の一言でリヨールはカナンの真意を完全に理解した。
透たちは、同朋が捕獲される様子に憤っている。ここで理を説いて納得させるのは簡単だが、理性と感情は別物だ。
同朋を救えなかったという思いから士気が下がり、それが引いてはカナンに対する不信感につながるかもしれない。
(それくらいなら、戦意旺盛なこの勢いで一戦交えたほうがマシか)
もともと不利な条件で始めたゲームだ。万全な状態など望むべくもないのだ。
「わかりました。では場所を開けましょう。お前たち、少し下がっていろ」
リヨールは暁雄たちを壁際まで下がらせると、空中から武器を取り出し、それを一振りした。
店内に一陣の旋風が巻き起こり、整然と並んでいたテーブルや椅子が吹き飛ばされ、店の中心部に広々としたスペースが生まれる。
「ありがとう、リヨール」
カナンは、窓の向こうに漂う奇怪な雲を見つめながら、開けたスペースに立つ。その右手には、いつの間にか細身の剣が握られている。
「闘技申請!」
右手の剣をまっすぐに掲げ、カナンは高らかに宣言した。
「何処よりか来る闘技将に告げる! トゥルノワの規約に則り、我、貴君に闘技を挑む。勝者の誉れを欲するなら、我が挑戦を快くお受けあれ!」




