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その3 美味しい魔法

 目的の店はシブヤアカリエの11階にあった。一行は人混みを縫うようにして明治通りまで出たあと、駅前の交差点を渡る。

 ビルに入り、カフェのあるフロアまで上がると、他にはオフィスがあるくらいで、地上の混雑ぶりが嘘のように広々としていた。 

 外壁に面した店内は、天井に届くほどの大きなガラス窓が全面に備え付けられていた。窓際のテーブルやテラス席につけば、眼下に広がるシブヤの町並みと青空をバックに開放的な気分が味わえる。

 人気店だけあって、すでにほとんどのテーブルが若い男女で占められていたが、幸いにも入り口近くに6人席が空いていた。

 席につくとすぐにメニューが渡され、各々の注文を済ませる。暁雄はスイーツに詳しくないため、とりあえず分かりやすいモンブランとカフェラテにしておいた。

「で、どうだった?」

 店員が去ったあと、口火を切ったのは透であった。

「あー……、悪くはなかったんじゃないか?」

 暁雄は喉まで出かかった絶賛をのみこみ、曖昧に応じた。

 この手の話題でうかつに本音を語るのは危険だ。全員の感想が一致するなら何も問題はないが、意見が分かれると面倒なことになる。たがいに正直な意見が言えず、場の空気が微妙なことになる。

 それどころか、もし暁雄以外の全員が映画の内容に不満を抱いていた場合、暁雄のセンスが疑われてしまう。ことは好みの問題では済まされない。

(探り探りで、反応を見てからだな)

 などと考えていた。

 ところが。

「え~、なにそれ。アタシはスッゴク面白かったけどなぁ」

「私も! クールとアミラが切なくて……、2人が再会したシーンで泣いちゃったよ」

「そうそう! 分かる!」

 いきなり意気投合した透と智環は、煮え切らない暁雄には目もくれず、猛烈な勢いで語りだした。

 さらにリヨールとカナンも加わる。

「戦いの描写は実に見ごたえがあった。あれほど大胆かつ真に迫る芝居は見たことがない」

「お、分かってるね! この監督はアクション描写にこだわりがあるんだ」

「舞台とは趣が異なるけれど、役者の表情や仕草がつぶさに鑑賞できるというのは新鮮でした」

「お話はどうだった? カナたちも楽しめた?」

「ええ、堪能しましたよ。武勲詩や恋愛譚に興じるのは、どの世界でも共通するのかも知れません」

「カナの世界にも恋物語とかあるの?」

「もちろんです。私たちの世界では宮廷を舞台にしたものが主流ですね」

「へぇ~!」

 暁雄が口を挟むタイミングを見いだせないまま、少女たちの話は盛り上がっていく。

 結局、注文したドリンクとスイーツが届き、少女たちの会話が一区切りするまでの間、暁雄は映画談義に混ざることはできなかった。

 それからしばらくの間、暁雄たちは各自のスイーツを味わうのに集中していたが、やがて透が先ほどとは別の話題を口にした。 

「前から気になってたんだけど、ソレ何してるの?」

 暁雄が、透の指先の延長線上に見出したのは、カナンが注文したストロベリーチーズケーキである。

「何って、ケーキだろ? お前も頼みたいのか?」

「違ぁう。食べる前にリョウがこんな風にしてたでしょ」

 自分の前にあるアップルパイの上に、透は手のひらをかざしてみせた。

「飲み物にも同じことしてたからさ。何かのおまじないかなって」

 言われてみれば、暁雄もそんな光景を何度か見たことがある。

「ああ、それは魔力を注入していたのだ。リモシーの料理には魔力が含まれないからな」

 リヨールの掲げたコーヒーカップから穏やかな香りが漂う。

「魔力? なんでわざわざ? ……って、クァ・ヴァルトの食べ物には魔力がこもっているのか?」

「当然だろう。魔力はすべての命の根源だぞ」

「クァ・ヴァルトでは、あらゆる生命が魔力を持っています。食材が内包する魔力を摂取することで、私たちの身体は、より強く優れたものになるのです」

「向こうの世界の人たちにとっては魔力も栄養の一種みたいだよ」

「チワも知ってたんだ?」

「うん、何度か食べさせてもらったし」

「魔力って、味がするのか?」

「もちろん味はあるんだけど……、何て言えばいいのかな……」

 暁雄の問いに、智環は小首をかしげて考えこむ。

「全身で味わうっていうか……。口に入れたときにね、体中に味が伝わるの。甘いとか辛いとかモチモチ感とか、そういうの全部。だから味っていうより、食感っていうか、でも味覚もあるし……。ごめんね、上手く表現できないや」

「そっか。いや、うん、しょうがないよな」

 考えてみれば当たり前だ。魔力を味わうという行為は魔法使い独特のものである。暁雄たちの世界に存在しない「味覚」なのだから、こちらの言葉で表現できるわけがない。

「あれ? じゃあ、その食べ物を食べたら、アタシたちも魔法が使えるようになったりする?」

「え? マジで!?」

 透の閃きに暁雄も飛びつくが、即座にリヨールが否定する。

「やめたほうがいいだろう。魔法使いでもないお前たちの身体には、魔力を吸収する器官が存在しないか、あるいは退化しているはずだ。魔力を口にしても体が拒絶するだろう。チワでさえ慣れるまでには時間がかかったからな。どうしても試したいというなら止めないが」

「そっかぁ。ざーんねん」

 天を仰いで見せる透の口ぶりに落胆の気配は微塵もない。最初からあてにしていなかったのであろう。半ば本気でガッカリしている暁雄とは対照的だ。

 暁雄が気を取り直してモンブランにフォークを突き刺そうとしたとき、不意にリヨールが立ち上がった。

「ど、どうした?」

 リヨールは暁雄の問いには答えず、窓のある方角を見やり、部屋の右端から左端へ、ゆっくりと視線を巡らせる。

「カナ、少々お待ちを」

 そう言うと窓に面した一角へ向かっていく。混み合っている店内を早足で移動し、突き飛ばされた客や店員が短い悲鳴を上げる。

「お、おい!?」

 訳がわからないが、あまりに非常識な振る舞いに暁雄も慌てて席を立つ。

 リヨールが向かったテーブルでは若い男女が差し向かいで食事を楽しんでいたが、リヨールは一切お構いなしにその間に割って入った。

「な、何? どなた?」

「え? え? あの、どうかしたんですか?」

 若いカップルは突然の闖入者に数秒ほど呆気にとられたあと我に返った。彼らの疑問は正当なものであったが、無遠慮な少女にあっさり無視されてしまった。

 リヨールはテーブルの上に覆いかぶさるようにして窓に顔を近づけ、じっと空の一点を見つめている。

「おい、リョウ! 何してんだよ、迷惑だろ!」

 駆け寄った暁雄がリヨールの肩に手をかけ引き離そうとするが、まるでテーブルに根を張ったかのようにびくともしない。

「あ、君、この子のお友達? どうしたの? 何かあった?」

「すみません、こいつ、すぐ周りが見えなくなるヤツで……」

 暁雄がカップルに謝り倒している間も、リヨールは同じ方角を見つめていた。だが、やがて窓から顔を離すと、暁雄やカップルには一瞥もくれずその場を離れた。

「! 待てよリョウ、お前ぇ……! あの、すいませんでした、ホントに!」

「……ああ、うん、用は済んだみたいだね……」

 騒動を聞きつけた客や店員たちがリヨールを注視している。好奇の目にさらされるなか、リヨールは颯爽とした足取りで席につくと、まるで何事も無かったかのように会話を再開した。

「こちらに近づいてくる者がいます」

「どうやらそのようですね」

 カナンは従者の報告にも慌てることなく、手にしていたティーカップを置く。

「あのお客様、他の方々のご迷惑になるようなことは……」

「おいリョウ! 何なんだよ今のは!」

 暁雄や店員が苦情を言い立てるが、リヨールとカナンはそちらを見ようともしない。

「すぐにでも移動すべきかしら?」

「いえ、しばらく様子を見ましょう。我々が目的とは限りません」

「なになに? どうしたの?」

 ただ事ではないと察し、透が事情を問うと、カナンはこともなげに告げた。

「プレイヤーが近づいて来ています。あと数分で到着するでしょう」

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