「ラヴァンドラは13歳」①
ワインスレー諸国という小さな国の塊。その中にあるディアトーラという国は、かつてより魔女に仕えるという性質を持っていた。彼らが仕える魔女はトーラと呼ばれ、記憶と過去を司る、畏れの象徴。だから、ディアトーラの元首は自らを『領主』と呼び、決して王とは名乗らない。彼ら一族の住む蒼い屋根を持つ屋敷の裏側には、そこには魔女が棲むとされているときわの森が存在する。ときわの森は『時輪の森』。時間が進まない森と呼ばれ、屋敷に住む者はその蒼い屋根と同じく、深海を思わせる蒼い瞳を持ち、代々、魔女が『人間』を求める際の贄として存在していた。 彼らはクロノプス一族。魔女の系譜を持つ者たちだ。
魔女は時に人を求め、時を奪う。だから、クロノプスは、領民に代わり贄として『時』を捧げる。
しかし、それもかつてのこと。
人々は噂する。
『贄』という意味合いでのクロノプスの役目は五十年ほど前に失われたと。
なぜなら、ときわの森に棲む魔女は、もういないのだからと。
その証拠に、現在の領主さまの瞳の色は赤みを帯びた金茶色。
ディアトーラを豊穣に導く小麦の色だ。
だが、世界は揺らいだ。もう現れないと思っていた『時の遺児』が、世界に再び現れたのだ。
書き変えられた過去の綻びから生み落とされる、この時間に存在しないはずの『存在』――時の遺児が。
❁❁❁
バラの香りが風に運ばれる蒼い屋根の領主館と呼ばれている大きな屋敷。
黒い髪と黒い目の令嬢が、そのバラ園で従者をひとり控えさせながら、お喋りに花を咲かせている。
「ママさまは、リディアスにお着きになられましたのでしょうか……」
彼女――ディアトーラ隣国エリツェリの姫であるラヴァンドラは、ぽつりと言葉を落とし、どうしても母親を瞼に映して求めてしまう。
母グレーシアの単なる帰省に付き合うようにディアトーラに来ていたラヴァンドラには、たった四日前のことといえ、突然大国であるリディアスに呼び出されてしまった母の不在はほんとうに心細いものだったのだ。
リディアスは、魔女狩りをする国。
きっと、それがラヴァンドラの不安を簡単に増幅させていくのだろう。
しかし、同時にもう十三歳なのだ、子どもではないのよ、という自負も湧くのも当然といえば当然の摂理かもしれない。
彼女の緩やかに波打つ黒髪に闇に輝く漆黒の瞳は、かつて魔女でもあった祖母ルタの容姿によく似ていて、とても豊かに風に吹き流される。そして、彼女は風に揺れた髪を抑え、物憂げにため息を付き、自分の容姿とルーツに思いを馳せた。
このもやもやとしたどうしようもない憂いは、グレーシアからの音沙汰が一向にないことにやきもきし始めた二日前から始まったものだ。
きっと、この黒い髪が悪いのだわ。
だけど、ばぁばのことは大好きですのに……。
自分の癖毛を軽く指に絡ませたラヴァンドラは、無意識のため息に慌てて髪から指を解き、その手で自身の口を覆った。
そして、こっそりと打ち見た相手は、従者兼護衛としてラヴァンドラに付けられているディアトーラのセーブルだ。年齢がひとつ上の彼は、ラヴァンドラよりもずっと大人びているようにも見える。
だけど、きっとこれも対抗心から。
「リディアスは魔女狩りをする恐ろしい国だと聞いております」
母である『ママさま』――グレーシアの『心配』を知っているようで知らないような、分かっているようで、分かっていないような、いや、分かりたくないような感情を抱きながら、ラヴァンドラは口をとがらせているしかできないのだ。
それが無性に腹立たしい。
「ママさまはお元気でいらっしゃるでしょうか」
そんな風に様々な感情を抱えているラヴァンドラの舌は、だからかして、よく回った。そうでもしておかないと、どこか不安なのだ。
それは母に認められたいと思いながら、自分を放ってリディアスへ行ってしまった母への小さな反抗の繰り返しでもあり、グレーシアが言い残していった約束にしがみついているだけの子ども、とも言えた。
グレーシアが魔女狩りの国リディアスに呼ばれた元凶でもある少女――この世界から消えゆこうとしている、『新しい時の遺児』である、キミィを守ること。
それがラヴァンドラとグレーシアとの約束だった。
それが大人への仲間入りの儀式のひとつのようで、その約束がある限りグレーシアが無事であるかのような、不安の中にいるようでいて、安心の中に飛び込むための言い訳のようでいて。
それなのに、キミィとセーブル、ふたりとも何の返事もしてくれないのだ。
セーブルは従者にお喋りは必要ないと言う。キミィはそもそも口数が少ない。いや、キミィは仕方がない。ラヴァンドラはそうも思っていた。キミィは存在すら危うい子なのだから。
しかし、セーブルはなんだか許せない気持ちになるのだ。
こんなにも心配なのに、ちょっとくらいお返事くださっても良いのじゃなくて? セーブルはお喋りができるのですから。
たぶん、そんな感情だということも理解している。だからこそ、また自分の話をしてしまうのだ。
「だけど、最近のママさまは、わたしが『ママさま』と呼ぶことを否定なさるのです。お母さまと呼ぶよりもずっとかわいいと思いますのに」
そう言って、今朝焼いたばかりのクッキーを齧る。これは、ディアトーラ領主夫人のマナとともにラヴァンドラが焼いたもの。ディアトーラのバターと卵がたっぷり入っていて、さくっとした仕上がりになっている。
だけど、これはマナの焼き菓子。自分で作った気になってはいるが、そのクッキーを齧った瞬間に、そんな無力である事実を突き出された気持ちにもなってしまう。
別にそれをセーブルが言ったわけではないのだけれど、黙ったままのセーブルにはそんな感情を抱いてしまうのだ。
だから、美味しいはずのクッキーなのに、最初の一口がなくなる前にもう一口頬張り、三口目は口の中に無理やりに突っ込んだ。
自国のエリツェリでは、叱られるような食べ方だった。しかし、そのままクッキーを飲み下したラヴァンドラは、ティカップを口元へと運び、口いっぱいに頬ばった菓子をお茶で流し込む。それだってやってはいけない。そんなことも注意しない、答えないセーブルなんて……嫌いよ。
だって、きっと……そう思って、ラヴァンドラは口の中を空っぽにし、今度はキミィに話しかけた。
「それでね、キミィ。皆がわたしのことを『ドラ』と呼ぶのです。だけど、遠い海の外に『銅鑼』という楽器があることをご存じ? 黒くて丸い鉄製の楽器だそうですわ。まったくかわいくありません。わたし、あんなものと同じ名前で呼ばれたくありませんから『ドーラ』と呼んでくださいませ、と申すのですが、誰も『ドーラ』と呼んでくださらないのですよ」
焼き菓子の皿の横にあった、まだ微かに湯気の立つティカップにもう一度、細い指を絡ませて、まるで『ぷん』と書いてあるかのようにぷくっと頬を膨らませていたラヴァンドラに、背後に控えているセーブルがようやく口を挟んだ。
「銅鑼は黒とは限らないそうですが……」
従者としての言葉とは思えないその言葉だったが、ラヴァンドラはそれを咎めることをせずに、すぐに答えていた。
「そんなことはどうでも良いのです」
それなのに、彼女の言葉は棘を含んでしまう。
――そんなことはどうでもいい。
ただ、やっとおしゃべりしたセーブルが、『銅鑼』にだけ反応したことが嫌なのだ。だから、口を尖らせ、キミィと彼を比較した。
「キミィはかわいい愛称を考えておいてくださるそうですわ。キミィはあなたと違って、とてもいい子なのですよ」
「そうですか」
セーブルは、それ以上詮索をしようともしないし、そもそもセーブルは、気にもしていないのかもしれない。
だから余計にラヴァンドラの頬は知らぬ間にぷくっと膨らむのだ。
きっと、ラヴァンドラに興味がないのだ。
――でも、セーブルはキミィにとても失礼なのです。キミィのことを既にいない者として扱いますし……。
ラヴァンドラはセーブルに対する評価を定め、怒りの元をセーブルに求めた。
それ以外、自分自身でどうしようもできないのだ。
だから、今度は、ここの領主であり、伯父でもあるルカの言葉に逃げ道を探したのだ。
ルカが言うには、母であるグレーシアがリディアスから帰ってくるまで、ここにいるように、とのことだった。もちろん、ラヴァンドラは、ここにいることに異議はない。
『魔女』は、ラヴァンドラにとっては、ルーツとも言えることでもあり、ここは、母であるグレーシアの故郷であり、自国エリツェリにとっても大切な国である。なにより、ここには、大好きな、『じぃじ』と呼んでも注意しない祖父ルディがいるし、幼い頃には『ばぁば』と呼んでも、にこにこしていた祖母ルタだっていた国である。
そして、ディアトーラは、エリツェリではできないことが、許される国。
たとえ、魔女狩りの対象としてラヴァンドラが扱われてしまう可能性を秘めているのだとしても。ここに居残るということが、逃亡を阻まれている結果なのだとしても、どこか、それが嘘の中のような気がしてならないのだ。
あの優しいばぁばが、魔女だったことも。その魔女に似ているラヴァンドラが、魔女狩りの対象になる可能性があるということも。
黒髪と黒目で『ドラ』と呼ばれることも。
全部ひっくるめて、なんとなく“嫌”で片付けてしまっても、ちゃんと明日はやってくるような、そんな風な、嘘の中。
それは『時の遺児』を前にしても同じである。キミィが時の遺児として扱われ、今は誰にもその存在が分からなくなっていることも、ぜんぶ嫌なのだ。
だけど、大昔にあった“時の遺児”とは少し違うらしいキミィ。
ラヴァンドラは、嘘の続きを追いかけるようにして、わざと声を弾ませる。そうしないと、キミィがそのままいなくなりそうなのだ。
「ねぇ、キミィ? キミィはどんな世界の記憶がありますの?」




