2話
狭いワンルームに、ごま油の香ばしい匂いが満ちていく。
六畳一間の極小キッチンで、魔王軍の調理補助が腕を組んで文句を垂れていた。
「なんで勇者の部屋で魔王様の夕飯作らなきゃいけないのよ!」
「お前らのアジトのガスが止まってるからだろ!」
「未納じゃないもん! 経理部の決裁が遅れてるだけだもん!」
「それを世間では滞納って言うんだよ!」
換気扇が悲鳴のような音を立てる中、
俺は買ってきた豚バラ肉をまな板に叩きつけた。
「いいかミリサ。豚汁の要は、豚の脂の甘みと根菜の土の香りだ」
「わ、わかってるよ! 三ヶ月もネギ刻んできたんだから!」
「じゃあなんでさっき、こんにゃくを包丁で綺麗に四角く切ろうとした」
「…………」
「…………」
「……見た目が、いいかなって」
「こんにゃくは手でちぎれ! 表面積を増やして味を染み込ませるんだよ!」
俺はミリサの頭を軽く小突き、腰の聖剣を抜いた。
狭いキッチンに、神聖な青い光が場違いなほど眩しく広がる。
「ひっ!? また抜いた! 室内で聖剣抜かないでよ!」
「うるさい、よく見てろ」
フライパンにごま油を引き、豚バラ肉を投入する。
「――聖刃・共鳴加熱」
聖剣の腹をフライパンに密着させる。
魔力振動が金属分子と共鳴し、フライパン全体の温度が一気に均一化。
ジュワァァァッと暴力的な音が響き、肉の端が白く色づいた瞬間――
メイラード反応が極限まで引き出され、香ばしさが爆発した。
「……うわぁ……」
ミリサが喉を鳴らす。
豚肉の焼ける匂いは、空腹の理性を破壊する。
「ここに、手でちぎったこんにゃく、ごぼう、青ネギを投入する」
「ネギの青いところって捨てるんじゃないの?」
「豚の臭み消しと香りの要だ。覚えとけ」
木べらで炒めながら、俺は横目でミリサを見る。
「で、出汁はどうするつもりだったんだ」
「え? 顆粒のやつ……特売で……」
「覇王にそんなもん食わせるな!」
俺は呆れながら、昆布と鰹節を浸したボウルを持ち上げた。
「――聖刃・水衝破抽」
剣先を水面に触れさせる。
水分子にキャビテーションを発生させ、昆布と鰹節の細胞壁を瞬時に破壊。
本来なら一晩かかる旨味抽出を、三秒で完了させた。
「綺麗な黄金色……」
「これを鍋に注ぎ、根菜が柔らかくなるまで煮込む。最後に味噌だ」
「味噌なら魔王城から持ってきたのがあるよ!」
ミリサがタッパーを取り出す。
俺は火を止め、味噌をお玉で溶き入れた。
ふわりと立ち上る、大豆の甘い香り。
豚の脂と出汁の旨味が混ざり合い、ワンルーム全体を包み込む。
俺は魔王専用の漆黒の椀に豚汁を注いだ。
「よし、完成だ。冷めないうちに持って行け」
「…………」
「ミリサ?」
「……一口だけ、毒見してもいい?」
「ダメだ! お前の主が腹空かせて待ってんだろ!」
ミリサはしぶしぶ、ボロボロの羊皮紙を取り出した。
「魔王城直通の転移スクロール……」
「シワシワじゃねえか。クーポンの切れ端かよ」
「うるさいな! 交通費出ないから自腹なんだよ!」
涙目でスクロールを破ると、黒い魔法陣が足元に広がった。
「……じゃあね、ヴァルト。色々と、その……ありがと」
「さっさと行け」
光が弾け、ミリサは豚汁の湯気ごと消えた。
静寂のキッチン。
換気扇の音だけが残る。
俺は鍋の底を見つめ、小さくため息をついた。
◆魔王城・玉座の間
漆黒の広間で、覇王ヴォルゼウスは空腹に耐えていた。
世界を滅ぼす魔力を持つ男が、今はただ夕飯を待っている。
ポンッ。
間抜けな音と共に、ミリサが転がり出た。
「も、申し訳ありませんヴォルゼウス様!」
「構わぬ。それより……その香りは……」
ミリサが差し出した漆黒の椀。
立ち昇る湯気。
ごま油、豚肉、味噌、根菜の香り。
ヴォルゼウスは無言で一口すすった。
ズズッ。
静寂。
そして――
赤い瞳から、一筋の涙。
「……うまい」
覇王の声が震えた。
「ミリサよ。貴様……ついに料理の真髄を掴んだか」
「えっ」
「明日から貴様を――魔王軍第一厨房長に任命する」
「……ええっ!?」
王都の片隅から届けられた一杯の豚汁が、
魔王軍の組織図を狂わせた瞬間だった。




