55、それはあなたとの未来
エリオスの怪我がすっかり癒えてきた頃、私たちはハルトマン家を訪れた。
屋敷に到着すると、誰もが安堵と喜びに満ちた出迎えをしてくれた。
「本当によかったわ。ふたりとも」
エレノア様は私たちの顔を見ると涙ぐんだ。
あの日、私とエリオスが落下したときに、彼女はショックのあまり失神してしまったらしい。
無事だとわかっても涙を流す日々が続き、私たちの顔を見るまで不安は拭えなかったようだ。
「さあ、お茶にしましょう。都でも有名な菓子職人に作っていただいたお菓子があるのよ」
私の手を引っ張るエレノア様に、ハルトマン侯爵が冷静に制する。
「レイラたちは来たばかりだよ。ゆっくりさせてあげよう」
「そ、そうね。私ったら嬉しくてつい……」
頬を赤らめて笑う彼女に、私とエリオスは顔を見合わせて微笑んだ。
滞在中はカレンの息子たちと庭で遊んだり、エレノア様とゆっくりお茶を楽しんだり、侯爵とカレンと皆で出かけたりと毎日慌しく過ぎていった。
短い滞在期間はあっという間に過ぎ、帰国の日はすぐにやって来た。
そして、帰国を明日に控えた夜。
私とエリオスはスヴェンの部屋を訪れた。
懐かしい香りと、かすかに残る絵の具の匂いがする。
灯りを落とし、窓から差し込む月明かりの中、ふたりで並んで座り、スヴェンの肖像画を見つめた。
エリオスは夢の中でスヴェンが描いた絵のことを話してくれた。
それは、一組の親子の絵だったという。
母親と思しき女性は、私によく似ていたそうだ。
そして、手を繋いで無邪気に笑う子供は、エリオスの幼少期にそっくりだったらしい。
「それは未来の夢かしらね?」
私が冗談めいてそう言うと、エリオスは照れくさそうに返した。
「俺の願望なのかもしれない」
私たちはそれ以上その話をしなかった。
いずれ訪れる未来をあれこれ語るよりも、今の時間を大切にして自然と訪れる未来を受け入れようと思ったから。
エリオスが私の右手をそっと包み込むように触れた。
いまだ動きの鈍い状態だけど、ほんの少しずつでも回復傾向にあるのが救いだった。
それに、実は私はこの右手を愛おしいと思うようになっている。
それはエリオスがとても優しく慈しむように触れてくれるからだ。
ふと見上げると、エリオスがまっすぐ私を見つめていた。
こうして目線が合うのはまだ慣れなくて、私はすぐに目をそらしてしまった。
「そんなにじっと、見ないで……」
「なぜ? せっかく君の顔が見えるようになったんだ。こうして、ずっと見ていたい」
「……恥ずかしいわ」
そう言っても、彼は目をそらさない。
見えなかった分の時間を取り戻すかのように、彼はいつも私を見ている。
食事のときも、語り合っているときも、こうしてとなりで寄り添っているときも。
「レイラ」
エリオスは私を見つめたまま優しく名前を呼んだ。
それがとても甘くて、胸の奥が震えた。
呼びかけられたら応えないわけにもいかず、私はゆっくりと視線を上げた。
彼と目が合った瞬間、顔が燃えるほど熱くなった。
彼はそれ以上何も言わずに、ただ私に顔を近づけてきた。
私はそっと目を閉じて、それを受け入れようとしたけれど――
彼の動きは止まった。
「……まるで、スヴェンに監視されているみたいだ」
そんなことを言われて、私はそっと目を開けた。
そうしたら、エリオスは真っ赤な顔で俯いていた。
スヴェンの肖像画のほうへ目を向けると、ちょうど月明かりが彼の顔の部分に当たり、じっと私たちを見つめているようだった。
私も急に恥ずかしくなって、思わずふふっと笑った。
「じゃあお部屋に戻りましょうか。ここだとお父様に怒られてしまいそうだわ」
私が冗談めかしてそう言うと、エリオスも苦笑した。
「本当にそうだよ。きっと彼は少し怒っている。娘に何をしているんだってね」
その言葉に、胸の奥が熱く、そして切なくなった。
いろんな感情が渦巻いている。けれど、そのほとんどが幸福に満たされている。
私とエリオスはゆっくりと立ち上がり、スヴェンの絵に向かってふたりで深く頭を下げた。
絵の中のスヴェンは、相変わらず真顔のままだ。
けれど、その口もとがほんの少しだけ、笑っているように見えた。




