46、もう振り返らない
「誤解しないで。私はエリオスのことが好きで、彼のそばにいるの。それに、彼は私の心を見てくれるのよ。それだけじゃないわ。彼は、いつか私がまた絵を描けるようになると言ってくれた。私の手を治すために、あらゆることをしてくれるの。私の気持ちを一番理解してくれる人よ」
強い口調でそう言うと、アベリオは何を勘違いしたのか、笑みを浮かべて言った。
「なんだ、手を治したいのか。だったら、うちの侯爵家が懇意にしている医師に頼んであげるよ」
「そういうことじゃないの。あなたは、何もわかっていないわ」
「レイラ、君はどうしてそんなに我儘になったんだ?」
「っ……!」
呆れて言葉を失った。
この人は、どうしていつまでも理解しようとしないのだろう。
怒りと失望が胸の奥で入り混じり、苦しくなる。
これでも昔は愛した人だったのに。
そのとき、ふいに背後から落ち着いた声が響いた。
「何やら騒がしいと思ったら、一体何事ですか?」
どきりとして振り返ると、ハルトマン侯爵が静かに立っていた。
「あなたは?」
アベリオが怪訝な顔で訊ねると、侯爵は微笑を浮かべて答えた。
「私はマーク・ハルトマン。カルベラ国からの客人であり、レイラの伯父です」
「は?」
アベリオは眉をひそめ、意味がわからないといった表情を浮かべた。
私はすかさず彼に説明する。
「私の、血の繋がった家族よ」
「レイラ? 何を言ってるんだ?」
「侯爵様は、私の実の父の兄なの」
「意味がわからない。君の父親は……」
「スレイド家の父とは、血の繋がりがなかったのよ」
アベリオは一瞬黙り込み、ようやく事態を飲み込んだように肩を落とした。
「ああ、そうか。だから君は家族と上手くいっていなかったのか。でも大丈夫だ。僕の家に入れば」
「もう、そういう問題ではないわ」
私がきっぱり遮ると、ハルトマン侯爵が言葉を挟んだ。
「君はレイラに求婚しているのか? それなら、まずハルトマン家に正式に縁談を申し込むべきだ」
アベリオは侯爵をじろりと睨みつける。
「僕はレイラの父に許可を得ている」
「だから何度も言っているだろう? レイラの父は私の弟だ。つまり、レイラはハルトマン家の人間だ。何度も言わせないでくれ」
普段は穏やかな侯爵の声音が、今は静かな威圧を帯びている。
アベリオは目を見開き、後ずさる。
侯爵はその様子を見て、わずかに口角を上げた。
「それに、レイラはもう、君が気軽に口を利ける立場ではない」
「は……?」
「そのうちわかる。今は彼女と話があるから、失礼するよ」
そう言って侯爵は私の肩に手を添え、優しく導くように歩き出した。
私はアベリオの様子が気になったけれど、もう振り向かなかった。
「助けていただき、ありがとうございます。すみません、お見苦しいところをお見せしてしまって」
「いや、私は構わない。しかし、彼は君の知り合いか? ずいぶん会話の通じない相手だな」
「その……元婚約者です。私は彼に婚約破棄されたのですが……」
「自分から捨ておいて復縁を迫っているのか。呆れた男だ」
侯爵の低い声には、静かな怒りと深い呆れが滲んでいる。
「心配はいらない。実は今朝、エリオス殿から正式に君との縁談話をもらった」
「えっ……」
まさか、エリオスが本当に公式的に縁談を申し出てくれていたなんて。
口約束だけではなく、彼はきちんと形にしてくれたのだ。
「ハルトマン家としては君が嫁いでしまうのは寂しいが、喜ばしいことでもある。君の気持ちを訊きたい」
「あ……私も、エリオスと結婚したいと思っています」
すると侯爵はふと目を細め、柔らかい笑みを浮かべた。
「では、我々は今後、君を全力で元婚約者や元家族から守ることを誓うよ」
「ありがとうございます」
侯爵の力強い言葉に、私は心から安堵した。




