3、婚約破棄されました
「レイラ、君との婚約を破棄したい」
久しぶりに会えたと思ったら、アベリオの口からそんな言葉を突きつけられた。
一瞬で胸の奥がひやりと凍りついた。
やっと彼に会えるからと、私は洗濯しておいた中で一番綺麗なドレスを選び、髪を念入りに整え、少しでも美しく見えるように化粧を施した。
それなのに、私を見た彼の表情は陰鬱だった。その目に私は映っていないようだ。
「……理由を、教えて」
声が震えるのを必死に抑えながら問いかける。
すると彼は険しい表情で答えた。
「僕はもう、君への愛情を失っている」
心の中で繊細なガラスがひび割れていく音がする。
何が起こっているのかわからず混乱する頭で、どうにか思い当たる理由を問いかける。
「そんな……なぜ? なかなか会えなかったからなの?」
「そうだよ」
容赦ない肯定に、息が止まりそうになる。
「でも……それは仕方がなかったの。ずっと仕事の依頼が続いて、外出も許されなくて……」
必死に説明を重ねる私を、アベリオは冷ややかな目で見下ろす。
あの優しかった眼差しは、もうどこにもなかった。
それどころか、彼はとんでもないことを訊いてきた。
「本当に、仕事をしていたのか?」
「当たり前でしょう。それ以外に何があるというの」
「君は僕の知らないところで遊び歩いていたんじゃないか?」
「な、何を言って……」
胸の奥で何かが崩れ落ちる音がする。
どうしてそんなことを言われなければならないのだろうか。
どうして信じてもらえないのだろうか。
「いくら忙しくても、まったく会えないというのはおかしいだろう」
「それは……父が……」
言葉に詰まる。
これまで私は伯爵家の恥を晒したくなくて、父のことを誰にも話したことがなかった。
でも、もう黙っているわけにはいかないと思い、意を決して伝えることにした。
「父に外出を止められていたの。仕事の依頼が多くて、それを片付けるまでは外へ出ることも……」
「君は、どうしてそんな嘘をつくんだ?」
「嘘じゃないわ!」
「じゃあ、君の父が君を家に閉じ込めていたとでもいうのか? あの人のいい伯爵が、そんなことをするはずがないだろう」
言葉を失った。
そうだ。アベリオは父を信じている。
外面だけは完璧なあの男を。
女遊びに耽っていようと、酒に溺れていようと、賭博に金を浪費していようと、社交界では慈悲深く朗らかな理想の伯爵を父は演じている。
その仮面に騙されている人は多い。
アベリオもそのひとりだったのだ。
「ずっと前から、君には不信感を抱いていた」
「そんな……」
「やはり、君はそういう人間だったのか。セリスから聞いたときには信じられなかったが」
「……セリス?」
「ああ。彼女が泣きながら僕に打ち明けてくれたんだ。君のことを」
耳を疑った。
なぜここでセリスの名前が出てくるのだろう。
父の妹の娘で、私の従妹。
私のひとつ下の19歳で、私と同じ聖絵師だ。
セリスは頻繁にうちへ出入りしていて、幼い頃から姉妹のように育った。
父はセリスを溺愛していたから、少し寂しさを感じることはあったけれど、彼女が私に笑顔で接してくれるから信頼していた。
貴族学院でも仲良しの姉妹のようだと周囲に言われるほどだ。
「セリスが、何を言ったの……?」
「レイラは仕事だと言って家に籠もっているけど、本当は遊び歩いているんだって。仕事の依頼もほとんどセリスに押し付けているんだろう?」
意味がわからない。
どうしてそんなことをセリスがアベリオに言う必要があるのだろう。
混乱する私に、アベリオが睨みながら続ける。
「別に遊ぶなとは言っていないんだ。だけど、僕は君が嘘をついたことに失望している」
「ち、違うわ。私は……」
「僕にも会えないほど遊ぶことに熱中していたんだね」
「聞いて。お願いよ、アベリオ。私はずっと家で仕事をしていたのよ」
「じゃあ、どうして僕が会いにきても顔を見せてくれなかったんだ?」
「えっ……?」
アベリオが私に会いに来ていた?
いつ、そんなことがあったの?
私は何も聞いていない。
まさか、父がわざと私に会わせなかったということ?
状況が呑み込めず、胸の奥がざわつく。
婚約者であるアベリオを遠ざけていた父と、私の悪口を吹き込んでいたセリス。
あまりの衝撃に、視界が揺れて目眩がした。
「……レイラ」
ふいに名を呼ばれて、どくんと鼓動が打った。
声のしたほうへ顔を向けると、そこにいたのはセリスだった。
どこか困ったように眉を寄せ、不安げな表情で私を見ている。
困惑しているのは私のほうなのに――




