19、彼女を救いたい(エリオス)
レイラをうちに招いて半月が経った。
最初の頃は遠慮がちだった彼女も、だんだん周囲と打ち解けていった。
侍女は、レイラの笑顔がとてもいいと言った。
それに彼女はどんなドレスを着ても似合うのだと。
羨ましく思った。
俺も彼女の姿をこの目で見てみたい。
きっと月光に包まれたような美しい天使の姿をしているのだろうと、勝手に想像したりした。
レイラは定期的に医師の診察を受け、右手を動かす訓練もおこなった。
しかし彼女の右腕は動くものの、指先を動かすことはできなかった。
力も入らないようで、物を掴むことができない。
それでも彼女は懸命に訓練をおこなっているようだった。
無理をしないように伝えたが、彼女はいつも明るい声で「大丈夫」と言った。
晴れた日は、執務のあいだに俺はよく庭園を散歩する。
その日も、サイラスとともに庭を歩いていた。
心地よい風とともに察したのはレイラの気配だった。
「レイラが近くにいるのか?」
「ベンチに座っておられます。空を眺めていらっしゃいますね」
「彼女も散歩しているのだろうか。少し話でも……」
「エリオス様、レイラ様は泣いていらっしゃいます」
「何……?」
レイラは最近よく笑顔を見せてくれると侍女たちが言っていたが、こうしてひとりになって泣いていたのだろうか。
声をかけていいものか迷ったが、意を決して彼女のそばへ寄った。
すると、彼女のほうから声をかけられた。
「エリオス……お散歩かしら?」
「ああ。執務のあいだに気分転換をかねてな。君は?」
「あ……私は」
彼女は言葉に詰まった。
俺はサイラスに声をかけて、彼女とふたりきりにしてもらうことにした。
レイラとふたりでベンチに座り、おもむろに彼女に切り出す。
「泣いていると聞いたのだが、何かあったのか?」
「特に、何もないわ……皆さん、すごくよくしてくださるから」
「では、なぜ?」
レイラは少し黙ってから、返答した。
「希望を持って、訓練しているのだけど……この手が毒に侵されてしまったときのことを、今でも夢に見るの……夢の中で毒は私の全身に広がって、体中が異形の姿になってしまうの……怖くて、怖くて……何度も目が覚めてしまう」
何と答えたらいいか、少し悩んだ。
どんな慰めの言葉も、彼女の心に響くとは思えなかったから。
「レイラ……」
「ごめんなさい、こんなことを言って。せっかくあなたがくれた希望を無駄にはしないわ。もう悩まないようにしなきゃ」
「無理をする必要はない。泣きたいときは泣けばいい。少なくとも、俺の前では本音をぶつけても構わない」
「……エリオス」
「すまない。俺には君の表情を読みとることはできない。しかし、君がとても苦しんで、悲しんでいることは、なんとなく伝わってくる」
「ありがとう。あなたには本当によくしてもらっているわ。感謝してもしきれないほどよ」
レイラの気配が、少しやわらいだように思える。
彼女はわずかでも笑えているのだろうか。
この目で確かめられないのが、ただ歯がゆい。
やがて、彼女が物静かな声で口を開いた。
「あの夜の絵が描けないの。月明かりが関係しているのかと思って、月の出る夜に何度も試しているのだけど」
「焦らなくていい。時間はたっぷりある。まずは体を休めることが大事だ」
「けれど、いつまでも仕事をせずにお世話になるばかりなのは心苦しいわ」
「君は働き者なんだな」
「ずっと仕事ばかりしてきたもの。それでも、私には絵を描くことしかできなかった」
ハルトマン家に行けば、何か手がかりが見つかるかもしれない。
彼女はまだ素性を知られたくないようだから、慎重に話を進めるべきだが。
「前に、君と同じような絵を描く人に会ったことがあると言っただろう?」
「ええ。あなたを救ってくださった方ね」
「そうだ。彼は……」
彼は君とそっくりの顔をしていたらしい、ということを伝えるのはまだ早いな。
「異国の人間だった。カルベラ国から来た旅人だと言っていた」
「まあ、カルベラ国といえば聖絵師の本場だわ。確か、そこから伝わったのよ」
「その国へ行ったことはあるのか?」
「いいえ。以前から興味はあったけれど、知り合いもいないから機会がなくて」
やはり、彼女はハルトマン家のことを知らない。
つまり彼女の出生は、別の家門ということか。
「俺はよくその国を訪れる。もし君が望むなら、今度一緒に行かないか? 君の絵を描く手がかりも見つかるかもしれない」
「ご迷惑ではないかしら」
「遠慮はいらない。たまに顔を出す知り合いがいるんだ。気軽な旅行だと思えばいい」
「……ええ。それなら、とても素敵だわ」
もっとも、急にレイラを連れて行けば、さすがにハルトマン家も驚くだろう。
まずは侯爵と事前に話を通しておく必要がある。
「では、旅行の計画を立てよう。ああ、楽しみだな」
「私は旅行をしたことがないの。少し不安だわ」
「そうか。では、俺との旅行が初めてということになるのか」
「ええ、そうなるわね」
旅行の経験がないということは、ほとんど家を出たことがないのだろう。
それなのに、あの夜、ひとりで森を彷徨っていたとは――
いや、不安を感じる余裕すらないほど、彼女は絶望していたに違いない。




