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9.転進

 強気な顔と声に見惚れる。

 なぜだか心臓が騒がしく打ち始め、誤魔化すように視線をサイドデスクに向けた。そうだと引き出しに手を伸ばし、取り出したものを彼に差し出す。


「……これに」

「ファイル?」


 怪訝な顔になりつつ、それでも素直に受け取る様子にホッとする。


「……持ってくならこれに入れれば。裸で持ち歩いたら、折れたりするから」

「ああ、サンキュ。つうか腹減った~」


 持っていた数枚の画をファイルにしまいながら、視線は部屋を巡るように動いた。


「ていうか、ここでメシ食えるの? なんもないじゃん」

「いや、ちょっとそこまで行けば牛丼屋もファミレスもあるから」

「牛丼? どうせならもっとイイもん食わせろよ」

「そうしたいのは山々なんだが、……すまん、仕事に行かないと」

「ああ、そっか。時間ないか」


 言いながらファイルに画を収める彼は、顔をうつむけたまま目だけを上げる。


「じゃ、しょうがねえな」

「済まない。次の機会には、ぜひうまい物をご馳走させてくれ」

「マジか。やった」


 画を収め終えたファイルをサイドデスクに置いた彼は、顔を上げてニッと笑い、シャツを床から拾った。

 窓からの光を受け、なにも無い白い壁に淡い影が映った。無造作に淡い色のシャツをかぶると灰色の影が透けて、ぼんやりと顔と身体の動きを見せる。裾からのぞき見える腹筋の陰影とダメージの入ったデニムを履いた下半身。シャツから腕と頭が飛び出して、チラリと俺を捉えた鋭い目が細まると、可愛げのある笑顔になった。


 なんてことだ。見慣れた自室が、まるで特別なスタジオになったかのようだ。彼の一挙手一投足、すべてが俺のなにかをかき立てる。


 ────撮りたい。


「で、仕事って何時から? 現場近いの?」


 ジャケットを拾い、ファイルを手に取った彼が、また俺を見た。

 

「十時からだよ。ここからクルマで二十分くらいかな」

「え? ……メシとか食ってるヒマあんの?」

「ひまって……あっ!」


 時計は九時二十分を示していた。


「いつのまに」


 呆然と漏らすと、ブハッと吹き出した彼が、声を上げて笑う。


「なんだそれ。マヌケ過ぎ!」

「うるさいな。それより急がないと……」


 おのずと背中に滲む汗を感じつつ、機材を纏めてバッグを肩に掛ける。


「おいっ、のんびりしてるんじゃない、行くぞ」

「あ~、はい……ぷっ、くく」


 まだ肩を揺らしている彼の腕を掴み、玄関へ向かう。エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け下りて駐車場へ真っ直ぐ向かい、車に乗り込む。

 そこでやっと、彼が少し離れてニコニコ見ているのに気付いた。


「あっ、……送る、か?」

「いいよ、時間無いんだろ」


 そう言って彼は、またククッと肩を揺らす。羞恥に眉を寄せながらエンジンを掛けると、時計はもう三十分を過ぎていた。急がなければ。

 くそ、とくちびるを噛みながら、なんとか言った。


「じゃあ、また」

「うん、またな」


 片手をあげた笑み満面の彼に小さく頷き、ドアを閉じて車を発進させる。

 ルームミラーに遠ざかる彼が見えた。無機質な駐車場に突っ立ってるだけなのに、やはりなにかしら雰囲気のある立ち姿。


 ────またな、と彼は言った。

 また逢えるのだ。そのときは美味しいものをご馳走して、これからも撮らせて貰えるよう、きちんと頼むのだ。彼の事務所に話を通して────いや、今は今日の仕事だ。


 とにかく現場に穴を開けるわけには行かない。遅れぬように、事故を起こさぬよう慎重に、車を走らせた。

 現場に到着したのは集合時間の五分前だ。

 なんとか間に合ったが、いつも三十分前には到着する俺がギリギリになったので珍しがられ、特に責められることもなく、むしろ面白がられてしまった。


 今日はとある宝飾ブランドのパンフレット撮影である。

 品数は膨大で、モノによっては手タレの手を含めて撮影することもあり、なかなかに神経を使う撮影だが、全体的なイメージはパンフレットの制作を請け負ったデザイン会社から来たデザイナーが組み上げていて、メーカーの広報担当もそのたたき台にGOサインを出している。

 俺は求められるクオリティの画を撮るだけだ。


 メーカーの社員が商品をひとつひとつ解説し、デザイナーが紙面の構成を見せてくる。だいたいの話は事前に聞いているが、改めて欲しい画を伝えるのに頷いて、スタッフに指示を与えていく。

 フリーで助手のいない俺は、現場ごとに違うスタッフを集めている。そういった手はずはデザイン事務所でやってくれることもあるし、スタジオのスタッフがやってくれることもある。前の現場でついでに声を掛けておく、といった根回しもする。当日予定したスタッフが来られなくなって慌てたりということも良くあった。

 けれどマネージャーの手を煩わせるようになってから、そういうことは減った。今日の現場もマネージャーの采配だ。俺がやりやすいスタッフを集めてくれているので、早く終わりそうだ。


 まずはスケジュールのつまっている手タレが装着したものから撮っていく。

 ソフトフォーカスの中で商品が際立つよう、ライティングに拘ってみる。気心の知れたスタッフがテキパキと動いてくれる。

 仕事を終えた手タレが去り、商品ごとにコンセプトのあるものは後に回し、セッティングの終わっている単品から撮っていく。

 なぜかイマジネーションが豊富に湧いてくる。いつも以上に細かい指示を与え、ライティングなどにも拘っている自分に気付いて、彼に触発されたものがまだ自分の中に残っているのだと、手と目を動かしながら笑みを浮かべていた。


 順調に進み、メインページに飾られるシリーズ商品を撮り始める段取りとなった。『情熱を秘めた硬質』というコンセプトのシリーズで、指輪やブローチ、チョーカーやピアスやイヤーカフなど、デコラティブなデザインのラインだ。

 デザイナーの指示によりセッティングされたのは、襞を打たせた赤い布で、その上に商品が置いてある。

 ライティングの指示を与えようとカメラをのぞいて、しかし俺は手を止め、呟いていた。


「……赤だけじゃなく、自然の物が背景に欲しいな」

「自然の? どういうこと?」


 デザイナーが怪訝な顔をした。


「ただ赤を置くだけじゃ『情熱』が薄くならないか。『硬質』のアピールも弱い気がする」

「そこら辺はテク見せて下さいよ」

「ライティングを考えてたんだが、自然物を置くと、色で『情熱』、対比で『硬質』……な感じに」

「背景用に紙や布は何色か用意してあります。質感の違うものもあるので、それを使えませんか」


 メーカーの広報担当者が言い、デザイナーも追従したように頷く。


「コンセプトから言ってもパキッとした背景にしたいし、色だけあればいいんなら、それでいいでしょ。なにか置いて商品訴求が弱くなったら」

「いや、それはフォーカスでなんとかする。ただ色を置くより自然の、形ある物の方が陰影もつくし、やわらぐだろ。赤一色より『硬質』が際立つと……」

「質感もってことですか。でもこのページはダークな岩肌の地にテキスト載せるんで、際立つ赤でいってもらいますよ」

「その岩肌の質感も想定して撮ってやる。なあ、写真を目立たせるだけならステンレスのヘアラインでもいいところ、あえて岩肌なのは冷たいイメージを嫌ったからだろ?」

「そうですけど。余計な情報要らないんで赤一色で」

「フォーカスはモノに合わせる。『硬質』を際立たせるには背景に柔らかさが欲しい」

「それじゃあ『情熱』が弱くなる」

「いいや、弱まらせはしない」

「無理でしょう」

「無理じゃない。撮れる」


 デザイナーもイメージがはっきりあるのだろう、なかなか納得しない。メーカーの担当は苦笑気味に肩をすくめている。

 しかしコンセプトから考えると、やはり背景に柔らかいなにかが欲しい。赤一色では無機質なものになりそうに思える。


 とはいえこのままじゃ堂々巡りだ。スタジオを使える時間にも限りがある。

 手元のカメラを睨みながら、気付いたら言っていた。


「じゃあ、ただの赤と自然物プラスしたの、両方撮る」

「両方?」


 デザイナーは怪訝な顔をした。

『俺が撮るのは商業写真で、芸術作品じゃないからね。効率は大事だよ』

 いつもそんな風に嘯いていた俺が、使われないことがはっきりしている写真を撮ると言い出したのだ。

 何を言い出したのかと思っているに違いない。


 このデザイナーはずいぶん長い付き合いで、商品写真が欲しいとき俺を指名してくれる。納期に余裕を持って商品のクオリティを保った画を納品するところを認めてくれているのだろう。

 そう、時間内に作業を終えるため、いつもなら無駄を省くことをまず考える。それが俺のやり方だ。

 なのに……


「やらせてみてくれ。どっちを使うかはあんたの自由だ」


 本当に、俺はなにを言っているんだろう。

 自分でもそう思って笑ってしまいながら、メーカーの担当に声を向けた。


「……それでいいですよね?」

「いいですよ。デザインも含めどれを使うか決めるのはこちらですし。でも先生、報酬は契約時のまま、上乗せはできませんよ」

「もちろん、それでいいです」

「ちょっと待って下さい」


 話が決まりそうになったところで、マネージャーが焦ったようにくちを出してきた。


「先生、なに考えてるんですか。無報酬で余計なものを撮るなんて……」

「余計じゃない、絶対こっちの方が物は映える」

「でも時間が……スタジオはあと一時間しか使えないんですよ」

「大丈夫、時間内に撮りきる。仕上げもちゃんと入れて納期に間に合わせる。だから花、買ってきてくれ」

「ええ? わたしがですか」

「頼むよ。先に他のを撮らなきゃならないから、あなた以外には頼めない」


 呆れたような顔をしたまま、マネージャーが苦笑した。


「……分かりました。どんな花が良いんですか」

「ピンクと淡い黄色……それに葉も欲しい。若い緑が良い」

「花の名前とか……」


 呟いたマネージャーに、マーガレットみたいなのと百合みたいなの、と付け加えると、眉尻を下げつつ軽く睨んできた。


「経費、ちゃんと請求しますからね」

「ああ、あとでな。それより急いでくれ。時間がない」


 足早にスタジオを出て行くマネージャーの背中に目をやることなく、「先にこっち、撮っちゃおうか」と声を掛けると、スタジオ内が慌ただしく動き始めた。

 効率的に。それが俺のやり方だ。

 立場や職分に拘って現場が停滞するのが嫌なので、セッティング、ライティング、レンズ交換、全てに自ら手を出し、進めていく。

 他の撮影はあらかた終わり、最初のセッティング通りの赤い布に商品を置いた撮影を始めたころ、ようやくマネージャーが戻って来た。


「これ終わったらそっちやるから、使いやすいようにしておいてくれ」

「なに言ってんですか、下準備してもらってきましたよ。花屋さんにいろいろ言って、時間かかっちゃったんですから」


 頼もしいマネージャーに片手を振り、撮影を続けた。赤を撮り終え、花を置いた撮影に入る。

 デザイナーの言うことは分かる。どういうイメージを求めているのかも。

 確かに単色の方がモノ自体は映えるかもしれない。けれど……コンセプトは『情熱を秘めた硬質』。

 『情熱』は『秘めて』いなければならない。ただ赤の上に載せただけでは、そのコンセプトを表現出来ない気がした。

 

 赤い布の上に数種類の花を置く。布のドレープを均一な流れからランダムなものに変え、手前に置いた透明なアクリルの台にモノを乗せて、アクリル台を感じさせないようライティングを変えた。


「ほう……」


 デザイナーの声に、くちもとが緩む。こうすれば背景との距離を作れる。接写レンズで商品にフォーカスを合わせることで、背景の色と質感のみを伝えることができる。

 こうすれば映える。俺はこうなると知っていた。

 アイテムごとに置く花を変え、配置を換え、何パターンか撮り終える。

 どうだ、と言いたい気分でデザイナーにモニターを示した。


「…………アリですね」


 しばし眉寄せ睨んでいたデザイナーは、そう呟いた。

 ニンマリと笑いかけると、デザイナーは嫌そうに舌打ちしたが、これは負けるものかの合図だ。

 なんにせよ、おれの仕事はここまで。


「仕上げたものは今日中にデータで納品する。後は任せたよ」

「任せられました。見てて下さい」


 おそらくこっちが唸るようなパンフレットを作るに違いない。

 時計を見て、なんとか時間内に撮り終えられたと確認する。ふう、と額の汗を指先で拭った。

 時間オーバーすると追加料金がかかるのだ。俺が払って済むなら良いのだが、この後の時間を予約している人に迷惑がかかる。そうなると後々経費で揉めることがある。

 それが嫌で時間内の撮影に拘っているのだ。

 機材を片付けつつ、スタッフにねぎらいの声を掛ける。


「お疲れ様。飲み物や食い物残ってるのは持ってってくれ」

「せんせ、お疲れ様っス! つうか今日、面白かったスねぇ」

「そうか?」


 声を掛けてきたのは、雑用をやってくれるスタッフだ。

 おそらく学生だろう。いつも襟の伸びたTシャツを着て、わりとヘラヘラしている。腰が軽く察しが良いのでやりやすい相手だ。


「っス! あんな揉めたのに撮影は時間内に収めるんだから、さすがっス!」

「ははは……効率は大事、なんでね」

「ぱねえっす一生ついていきますっ」

「適当くせえな。ついてこなくてイイから片付け頼む」

「ひっでえ!」


 軽く笑う青年を手を振って追い払い、機材を入れたバッグを肩に掛けると、


「お疲れ様です」


 マネージャーが冷えた炭酸水を差し出してくれる。


「お疲れ様。さっきの経費、花とか……いくらかかった?」

「はい、こちらがレシートです」

「ええー? あれっぽちでこんなするのか」

「花の値段、知らないでしょ先生。撮影に使うんだから厳選したんですよ」

「はは……そうか、ありがとう」


 ちょっと汗をかきながら、誤魔化すように声を返す。


「今日の分の経費とか、どうなってる?」

「あ~~、まだ纏めてないです。ちょっと追加されちゃったので」

「追加? 花じゃなくて?」

「ライティングの機材、レンタルしましたから」

「ええ? スタジオの使ったんじゃないの?」

「だって接写に使えるの欲しいって言ったじゃないですか」


 確かに言った。……一昨日、打ち合わせの時にポロッと零した。……でも、そうか、接写の時に指示通りのライティングができたのは、そのおかげか。


「あれ、わざわざ用意したのか」

「そうですよ。忘れてたんですか? 今日の現場に間に合わせるの、大変だったんですから」

「そ、そうか、助かった」

「ですから帰りに返しに行きますよ。送って下さいね」

「はあ」

「それにお部屋にも行きますよ。経費計算してパソコンに入れておきますから」

「ああ……助かる」


 彼女は昨年の秋からマネージメントをしてくれるようになった、派遣会社の社員だ。元々はデザイン会社で総務をしていたらしく、この業界のことに詳しくて助かっている。


「でも珍しいですねえ」

「なにが」

「今日はずいぶん頑張ってたじゃないですか」

「……でも、良いのが撮れただろ」

「そうですけど」


 彼女はメガネの奥の目を細めてフフッと笑った。誤魔化しも含め、炭酸水のボトルにくちをつける。


「なにかありました? なんだか楽しそうに見えましたよ」


 言葉と炭酸が喉を刺す感覚に、俺も目を細めた。


「ああ……まあ」


 自分自身、なにを言ってるのかと思いながら……あのとき、くちに出した思いを否定することはしなかった。

 今までもあったのだ。現場で『こうした方が良いのでは』と思うことは。だがくちには出さなかった。『効率が大事』だったから。


「あったかも、しれないな」


 彼と出会ったことが、あの画を撮れたことが、今さら自信になっているのか。自分の単純さに笑うしかない。

 だが────


『それがなんだ! 自信を持て!』


 彼に向けた自分の言葉が蘇る。

 そして彼の言葉も。


『あんたってすげえカメラマンなのな』


 ────そうか。


 俺も、自信を持っても、良いのかも知れない。

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