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10.変転

 このところ、フリースタッフやスタジオスタッフがニヤニヤしたり「最近調子良いみたいですね」「次も呼んで下さいね」などと言ってきたりするようになった。

 仕事の仕方が変わったよね、とも言われるようになった。

 たいてい好意的な意味であったけれど、稀に「なにを企んでる」といった揶揄がつくこともあった。しかし、「なにをってなにを」キョトンとしてしまうばかりだ。


「気にしないで良いですよ先生。やっかんでるだけですから」


 マネージャーの耳にも入ったらしく、現場帰りの車でそう言われた。けれど、そもそも気にしてないので軽く笑って返す。


「俺程度にやっかみなんて持つ必要ないだろ」

「そういう自覚無い感じも先生らしいっちゃらしいんですけど、もう少しプロ意識持ちましょうよ~」

「持ってるよ」


 心外だ、とばかり若干むっとして言い返した。プライベートはともかく、仕事に対しては、ちゃんとプロ意識を持ってやっている。


「そりゃ先生は納期に遅れたことないし、クレームも聞いたこと無いですけど、そういう事じゃなく。こう……モチベーションとか、そういうの無いんですか」

「あるよ。最近は特に」


 確かに以前は波風立てずに仕事して行ければ良いと考えていた部分が大きかった。唯々諾々と指示された通りに撮り、求められる画を渡しギャラを貰えればそれでいい。

 ただプロとして、ギャラに相応する仕事はしようと、そんな風に考えていた。


 だが、あの日の現場で主張してみたことが、良い方向に作用しているように感じていた。周りが『何を言い出す?』と期待している雰囲気すらある。

 なあなあで波風立たない現場は楽だが、多少の波立ちがあっても納得行く仕事をすると、別の充実感を得られる。その後の仕事で集まったスタッフとの一体感まで産まれているように思う。


「ちゃんと仕事やってるでしょ」

「やってますけど。そうじゃなくて先生、評判とか気にならないんですか?」

「そんなの気にして、なにかいいことある?」

「……あ~~、そう言われると~~、確かに……」


 誰がなにを言おうと、俺は来た仕事をこなすだけだ。気に入らなければ、もう二度と仕事は来ない。そうならないように、求められるクオリティを外さない仕事はしてきている。結局、俺にできることなんてその程度なのだ。


「気にしても良いことないかもぉ~~……じゃなくて! 噂になってるんですよ」

「ええっ? 俺が?」

「そうですよ。私たちって派遣で色んな先生につきますからね、コンプライアンスに反しない範囲で噂は流します。会社にはもう少し詳しい情報もありますから、派遣の打診を受けたら詳細な資料を見せて貰えるんです。それで仕事を受けるか決めるんですけど」


 彼女はマネジメントスタッフを派遣する会社に所属している。

 その派遣会社や知り合いの助言でギャラの指針を決めて料金表を定めてから、ギャラで揉めたり安く買いたたかれることもなくなった。固定の取引先が増えたのもあり、契約段階でマネージメントを必要とすることは少なくなっている。

 けれど、いちど現場を纏める仕事をして貰うと、非常に楽で撮影に集中できたので味をしめてしまい、マネジメントを頼むようになってだいぶ経つ。


「もともと私たちの間で評判良いんですよ、先生。揉めないし時間通りに終わるし。だからみんな先生のとこ行きたがるんですよ。まあ最近は私が独占してますけど」


 そして半年ほど前から、彼女がうちの現場のマネジメントをしてくれている。

 それ以前は都度違う人が来てくれて、都度現場を纏めて貰っていた。だが彼女は俺の現場を最優先にしてくれる。


「先生が私を気に入って下さったって会社に言ってくれたでしょう。私、羨ましがられてるんですよ~~」


 彼女が来てくれたとき、気が利くし経理的なこともやってくれるし、非常に助かった。

 できれば次回もあの人で、と頼んで以降常に来てくれるようになって、とても仕事がやりやすくなっている。なにより、いつも彼女がいることでスタッフもやりやすいようだ。

 実のところ、これからもずっと彼女が俺についてくれれば、であるとか、可能なら専属になって貰えないかな、といったことを考えないじゃない。


「ていうか私たちもそうですけど、フリーでやってる人って業界の噂集めるんですよ。誰だって痛い目見たくないですしね~」


 だが、これだけ有能な人が派遣で働いているには理由があるのだろう、というのは容易に推測出来る。そう考えると、そんなこと言ってもなあと、くちに出してはいなかった。


「だから業界の噂ってすぐ広まるんですよ」

「ふうん」


 生返事を返しながら運転しつつ、なんとなく道行く人をチラチラ見てしまう。いつのまにか習慣になってしまった行動だ。


 そう、あの日。


 マネージャーが帰って、送りがてら外に出た帰りにメシ食って部屋に戻り、……そこでやっと気付いた。


 ────彼の連絡先を聞いていない、ということに。


 連絡先どころか名前すら聞いてない。どこに住んでいるかも、事務所がどこなのかも、なにひとつ聞いてない。

 彼のことは、なにも知らないのだ。

 そう理解して、どっと汗が出た。


 なにか片鱗でも残っていないかと部屋中探したが、彼に繋がるものはなにひとつ無く、ガックリきた。しかし……

 彼はこのマンションを知っている。ウマイものを奢ると言ったとき喜んでいたのだから、いずれ向こうから来るだろう。そう考えて自分を落ち着かせた。


 そのときなぜ連絡しなかったと言われたら、なにも情報が無くて探せなかったと言うのだ。それで向こうも納得するだろうと言い訳まで考え、彼を待った。


 しかし────彼が部屋に来ることはなかった。






 ジリジリと彼を待ちつつ仕事をこなし、三ヶ月が過ぎようという頃。


 ようやく思い至った。


 彼が部屋まで来ると当然のように思っていた。しかしわざわざ足を運ぶ筈もないのだ。


 考えれば当然のことだ。そう納得した。

 俺程度の言葉が彼に響いて仕事を続けてくれる、……などと、なぜ考えた? 彼は辞めると言っていたのだ。たかが半日ほどを共に過ごした見知らぬ男との口約束、それもメシを奢る程度の約束を彼が守ると、当然のようにここへ訪ねて来るのだと思っていたなど。

 身の丈に合わぬ思い上がり。笑うしか無い。


 それでも、あの日彼に貰ったものは俺の中に残って、諦めないという意志が産まれた。それは僅かながら仕事のやり方を変え、現場にうまく作用している。ただ良いきっかけを貰ったのだと考え、なにごとも無かったようにやっていくべき。

 それが大人としてのやり方なんだろう。


 それでも、どこかで彼を見かけたなら────。

 歩いているところ、食事をしているところ、どこかでバッタリ行き会うかも────。


 未練たらしいと分かっている。

 けれど諦めきれるはずもなかった。それに俺は諦めないと決めたのだ。


 彼を見つけたなら、すぐに声を掛けて名前を聞いて、事務所を通して正式にモデルとしての仕事を頼もう。もしモデルを辞めているのだとしたら、どこへでも出向いて個人的に撮らせてくれと頼むのだ。ギャラの交渉もして……。


 そんな風に考え、いつのまにか道行く人に目を向けてしまうようになっていた。



  ◆ ◇ ◆



 彼を見つけることができないまま、さらに半年ほど経過したある日。

 マネージャーが言った。


「先生、会社にしませんか」


 驚きの余り声も出せず、いや飲みかけの炭酸水でむせて咳き込んだ。


「あっ、すみません」


 軽く笑う声で言いながら背中をバンバン叩かれ、なんとか息を整えて彼女を見返す。


「あはは、なんですかその顔」


 ぜんぜん謝ってない笑顔だ。

 くち約束で受けた仕事で無茶を言われて困っていたとき、しっかり尻ぬぐいをした後で説教されたときと同じ顔だ……と感じ、少し憂鬱になる。


「ですから、会社にした方が経費は絶対に安く上がりますし、先生の仕事量なら都度スタッフを集めるより固定の人を雇っちゃった方がやりやすくなりますよ。法人手続きなんかは私に任せて頂いて……」

「え。それはつまり……あなたが、俺の専属になってくれるってことかな」

「あ~~、そこからかぁ」


 困った弟を見るような笑みに、おのずと眉尻が下がる。しかし以前から、彼女が専属になってくれると良いなと思っていたのだ。


「もちろん私は先生の専属マネージャーです。その他のスタッフもですよ、先生。やりやすいスタッフっているでしょ? 人間、相性ってのはありますからねえ、そういう部分で合う人って大切にしたいじゃないですか」

「まあ……それは、あるけど」


 確かに、やりやすいスタッフはいる。そういう人が多いとスムーズに仕事が進むし早く終わる。


「先生、効率好きでしょ? 常にそういうスタッフがいる方が効率的だと思いません? そういう人に声かけて社員になって貰うんです」

「……え? え、いや」


 しかし、それと自分が会社を興すこととは、まったく別問題だ。

 まして……


「社員になったみんなの生活に責任、……なんて俺、無理だよ?」


 考えただけでブルッと身体が震え、背中が汗にまみれる。しかし彼女は目を細め、ニンマリと笑った。


「先生? 私もっと欲張りなこと考えてるんですよ」


 おそらく十歳くらい年上なのだろうが、彼女は時々こういう、教師のような、あるいは口うるさい姉のような顔をときどきするのだ。


「社長は私がやります。先生はうちの看板カメラマン」


 え、と目も口も開け放した俺に、彼女の目が細まり、企んでるとしか思えない笑みになる。

 ハッとしてくちを閉じ、目を伏せた。彼女がこんな顔をしたときは、すぐ白旗を揚げることにしている。勝てるはずがないからだ。

 しかし今度ばかりは……


「稼ぎ頭になって貰いたいので、今まで通り、場合によっては今まで以上に仕事して貰いたいんですよね。社員の生活の責任は私が持ちますから、先生はゆったり構えて、良い写真を撮って下さい。……というわけです。どうです先生」


 伏せた視界に、彼女のニンマリ顔が強引に入ってきた。


「会社にしませんか?」


 彼女の発言に仰天し、少し考えさせてくれと伝えた。

 だがどうしていいか分からなくて最初に師事したカメラマン、つまり師匠に相談したら、あっさり言われてしまった。


「え、おまえまだ会社にしてなかったの?」

「はあ」


 この人に会うと、いつも背中が丸くなる。

 バカで生意気なガキだった俺を、いちから叩いて鍛えてくれた。納期を守るのも遅刻しないのも、全てこのひとの教えだ。一生頭が上がらない、唯一のひと。


「バカだねえ、おまえくらい仕事してるなら会社にした方が絶対いいでしょ。……まあ、分からんじゃないか。おまえ人付き合い苦手だしなあ」


 呆れた顔をした師匠に、頭をかきながら彼女の話を伝えると、納得した様に大きく頷いた。


「へえ、それなら良いんじゃない? そこら辺やってくれる人がいるなら、おまえの負担もないし仕事に集中できるだろう。固定のスタッフになったら色々やりやすくなるよ。話進めて貰ったら良いじゃないの」


 正直、彼女の話を聞いたとき、すぐにいくつかの顔が浮かんだ。常に彼等とやれるなら、現場の雰囲気は絶対に良くなる。

 効率的に仕事を進められるだろうし、いちいち人を集める心配をしなくて済むだけでも、かなりやりやすくなることは確かだ。

 そう考えて強い誘惑にかられていた。


 この時点ですでに、彼女の術中にはまっていたのだろう。



  ◆ ◇ ◆



 マネージャー……いや社長は精力的に動いた。法人化の手続き、社屋となるスタジオと事務所を決め、事務や経理も自らこなす。

 もちろん、俺のマネジメントをしながら、である。このエネルギーは、いったいどこから来ているのだろうと感心するばかりだ。


 俺はいつも通りのペースで仕事をこなしたけれど、会社設立関連の打ち合わせが増えたし、自宅にあった機材を事務所へ運んだり、スタジオに必要な備品を書き出して手配したり、といった雑事もあり、なにかと忙しくなった。あの町にもなかなか行けない状態だ。

 そして、俺がやるよう指示されたのはスタッフ集めだ。

 二人で相談して作った給料の最低ラインと上限のリストを手に、これはと思うひとへひとりひとり声を掛け、社員にならないかと打診した。

 社長の提示した最低ラインはいまいち納得行かなかった俺は、そこに少し上乗せする金額を提示して話を持って行った。

 上限まで提示して決まらないようなら再度検討という予定を立てていたが、ほとんどが最初に用意した条件で首を縦に振ってくれた。


「先生から声かけて貰えるなんて、感激っす!」

「もちろんやらせてもらいます。声かけて頂いてありがとうございます」

「え、まじスか! いや収入安定するし助かるし、マジありがとうッス!」


 こっちが申し訳なくなるほどあっさり話を受けてくれた。俺がやりやすいと感じているスタッフは、俺の現場をやりやすいと感じてくれていたようだ。

 むしろ声を掛けたことを喜んでくれて、ありがたいと自然に頭が下がった。

 家族持ちの一人だけ、やりたいけれど給料について交渉したいと言い、「申し訳ない」と頭を下げられて逆にこっちが恐縮しつつ、条件は必ず容れるとその場で確約した。


「先生の人徳ですね! ここまであっさりとはさすがです!」

「い、いや。なに言ってるの君。それより彼の給料だけど……」

「ああ、もちろんOKですよ。私が声かけるより絶対うまくいくと思ってましたけど、やっぱりお任せして正解でしたね!」

「とんだ買いかぶりだよ、ホントなに言ってるの」


 ビックリしていると、事務長は満面の笑みで胸を張った。


「先生。私がなんの勝算もなく会社設立とか言い出したと思ってます? そんなわけ無いじゃないですか」

「え、そうなの?」

「もちろんですよ。元々いろいろあった派遣先の中からリサーチして先生の所に入ったんですけど、思った以上に感触良かったんですよね。で、色々見させて貰ってたんですよ、一年くらい。その上でイケる、堅いなと判断しまして、声かけさせて貰ったんですから」


 一年も見られてたのか……いったいどこを見てたんだろう。いや、それ以前にリサーチとか……さすがだな、と感心した。

 俺のなにがお眼鏡に適ったのか分からないが……これを幸いと考えていいものかどうか考えながら、とりあえず「ありがとう」と返すと、彼女は肩をすくめ、フフッと笑った。


「……まあ、子供の手が離れて、派遣で働くのもなあと思い始めたタイミングだったんで、先生はちょうど良いカモってとこですね」

「はは……」


 カモ呼ばわりされてしまったが、逆に頼もしいと思った。

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