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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
77/94

告解 後

「少なくとも君は、わざとそんなことをする人間じゃない」


「……なんで」


「アルヴィンはきっと昔から優しいから、仮にそうだとしてもそれは故意にじゃない。僕は……僕は全知ではないけど、分かるんだ」


「故意にじゃない、って、けど、ならどうだって言うんだ! 4人だぞ、4人! それで赦されるのか、そんなわけ……」


「アルヴィンは、いつか僕と離れてから裁かれようとしてたの?」


途端に説教を恐れる子どものように黙りこくって小さく頷くアルヴィンを見て、エルヴィスは緩く笑ってみせた。エルヴィスはアルヴィンの月並みな弱さが嫌いではないのだ。


「アルヴィン、僕は君のことが大切だし大好きだよ。だからね、君が過去に何をしてても関係ないんだ」


「……そんなわけ、あるか」


「あるよ。君は自分自身を赦せないからそう思うんだろうけど、僕は元々そういう生き物だしね」


「けど、だからって、人殺しなんだぞ、俺は」


「そうせざるを得ない状況があることくらいは知ってるよ。この際それも教えてよ」


きっとエルヴィスは自分が何を言っても非難もせず掬い上げる気だとアルヴィンは気付いていて、その上で好きなだけ吐き出してしまうのはなんて自分勝手だろうという自責と、10年以上経ってようやく孤独から解放される安堵がせめぎ合った。たった一箇所のひびから容易く崩れていくように、アルヴィンは自身の罪を堰き止めていた壁が壊れていくのを感じていた。


「……その日はよく行く店が安売りだから母さんと出掛けて」


「うん」


「一緒に道を歩いてて、そしたらよく分からないうちに知らない男が4人がかりで俺と母さんを囲んで、それからはよく憶えてないけど、気が付いたら男たちは全員死んでた」


「それは本当にアルヴィンがやったの? 君の記憶には穴がある」


「俺じゃなきゃ誰にできるって言うんだ。どれくらい時間が経ったのかは分からないけど、気が付いたら男たちの死体は腐ってた。俺はもの凄い暴風の中にいて、その時は何が何だか分からないまま逃げ出して、けどしばらく生活してるうちに風の魔法がいきなり出てきて、その時ようやく気付いたんだ。ああ、あれをやったのは俺だったんだって」


魔法が強力な武器となっていくに連れ、恐れは脳の髄にまで染み込んでいった。アルヴィンにも本当に自分の仕業なのかと疑った瞬間はあった。ただ彼自身の他にそんな真似ができる人物はいなかったのだ。


「何がいけないのかよく分かりもしないのに、とにかくいけないことをしたことだけは分かってた。それでブラムさんに殺人の刑罰を教えて貰った時、これは罪だったんだって理解した。償いには最低でも俺の命くらいは必要なんだろうって。実際にはそれで全然足りなくても」


アルヴィンはそこまで言い終えて落ち着きを取り戻し、大きく息を吐いた。胸の内の重苦しいものを吐き出して一度軽くなってしまうと、今度はその空洞が心細かった。


「けど、僕は本当にアルヴィンがやったとは思えないなあ」


「だったらすれ違った親子か。俺より小さい女の子か、その父親の痩せ身の男か。そっちの方がないだろ」


エルヴィスは相槌を打ちつつ顎に手を当てた。どういうわけかアルヴィンは、もうひとり、そこにいたはずの人物を挙げようとしない。意図的に避けているのではなく、本気で可能性を考えていないらしい。


「あのさ、僕は君に遠慮しないから言わせてもらうけど」


「……なんだよ」


「分かってるとは思うけど、君は多分裁かれない。証拠もないし当時5歳の子どもが4人の大人を殺しましたなんて無理がある。仮に認められたとして状況的に正当防衛になる可能性もある。だけど君は裁かれずにのうのうと生きられる性格じゃない」


アルヴィンはぐっと息を呑んで唇を噛んだ。まったくもってエルヴィスの言う通りで、いずれ命を絶つのも結局は逃げでしかないとどこかで気付いてはいた。しかしならばどうしろと言うのか。アルヴィンの頭には他の選択肢などなかった。


「アルヴィン、僕は君の潔白を信じ抜くよ。それを証明するんだ」


「えっ?」


「やることは変わらないよ。天界に戻るかどうかは状況に応じて変えるけどね。とりあえず知り合いを見付ければどうにでもなるんだ」


「なんかその、ちょっと一辺に覚えられないんだけど、その知り合いって何者なんだ」


明かされた情報の量が多いので、アルヴィンは少々置いてけぼりをくらった気分だ。エルヴィスは少々先走り過ぎたかと頬を掻いた。


「僕と同じように本体の外に出た精霊、疾風の賢杖だよ」


聖者の金杯に再生の力があるように、他の精霊具にもそれぞれ特性がある。疾風の賢杖は魔人の苦しみを知るため、オスニファエルより全知の力を与えられた。


「賢杖はこの世のことはなんでも知ることができる。それに僕と違って人間として出てきてもその力を失ってないらしいんだ。僕は賢杖に会って君の潔白を確かめる」


エルヴィスは勝気に微笑んだ。いつも通り、疑うことなどまるで知りませんと言わんばかりの清涼な眼差しだ。


「君はきっと無実だよ。だからアルヴィン、自分を卑下したり責めるのをやめて前向きに生きて欲しいな。僕は君と一緒に美味しいもの沢山食べて、楽しいことも沢山したいんだ」


喉が震えて声が出てきそうになかったので、アルヴィンは唇を引き結んで頷いた。


ブラムに殺人の刑罰について訊ねた日、アルヴィンは死のうとして踏み止まった。当時は2人で力を合わせて辛うじて生きていて、もし自分が死んだらエルヴィスはどうなるのだろうかと不安になってナイフを手放した。いつだってエルヴィスがアルヴィンの死を踏み止まらせた。まったくエルヴィスは世話が焼けると言いながら、実の所ひとりで生きていけないのはアルヴィンだったのだ。


「だからとりあえず、評判のケーキを食べに行こうか!」


「ちょっ、エルヴィスお前、この流れで?」


「元々行く予定だったじゃん。ね?」


「まあ、いいけど」


自責も歓喜も急激に削がれて、アルヴィンはどっと脱力した。エルヴィスの話にはまだ詳細が不明な箇所もあるが、今は追及するような気分ではないし、なんだか自身も甘いものを口にしたくなった。アルヴィンはやれやれと苦笑しながらのんびりと立ち上がった。


「あとごめん、ひとつだけ確認したいんだけど」


「ん?」


「お母さんはどうしたの?」


「えっ?」


「一緒に買い物に行こうとしてたんでしょ。気が付いたらいなかったの?」


「ああ、そうだな、気が付いたら……」


アルヴィンはこめかみに指を当てた。一緒に買い物に出掛けて、道中で男たちに囲まれて、そこから暴風の中で目を覚ますまでの記憶がないのだ。


「あのさ、別に疑いたくて訊くわけじゃないけど、お母さんがやったっていう可能性はない?」


「それはない」


「どうして?」


「分からないけど、なんとなく。母さんがやったはずはない。だって……」


「だって?」


「……ん?」


アルヴィンはどうやら根拠はあるのにそれを憶えていないらしい。頭を悩ませる相棒を見て、エルヴィスはひらひらと手を振った。


「ごめんごめん、変なこと言っちゃって。アルヴィンがそう思うならそうなんだろうね」


エルヴィスは神妙な顔で唸るアルヴィンの腕を引いてチェルトラの菓子店へと向かった。全ては疾風の賢杖を見付ければ分かることだ。不可解な点はいくつかあるが、今は突き詰めるべきではないような気がした。

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