魔人
昔あるところに青年がおりました。青年は身体が弱く、しかし誰よりも穏やかで優しい心の持ち主です。村の人々と助け合い、皆平和に暮らしていました。
しかしある日、村に魔王が現れました。皆逃げようとしましたが、どこを探しても青年がいません。きっと魔王に食べられてしまったに違いありません!
勇気ある村の若者の剣が胸に突き刺さろうとも、魔王は決して倒れません。腕や脚は切り落としてもいくらでも再生します。
魔王が触れた者は不思議な力によって倒れていきます。追い詰められた村人たちが天に祈った時、突然空が光り始めました。
雲の向こうのマクトゥエスの門より現れたのは精霊具でした。オスニファエルが村の人々を救うため地上に齎したのです。
聖火の鏡、聖者の金杯、疾風の賢杖、大地の盾。4つの精霊具の力により魔王は倒され、食べられた青年も蘇りました。地上には平和が戻り、人々は再び穏やかな日々を取り戻しました。青年は村人たちと共に幸せに暮らしました。
「っていうのがお伽話の大体の流れだけど、まずこの青年は別に誰よりも穏やかで優しい心の持ち主ではないよね」
「突然の人格否定」
「やだなあ、そういう性格じゃないってだけで悪くは言ってないよ。受動的な性格ではないね。むしろ情熱的で意欲的な部類かな、多分」
「ああそう……まずそこに訂正が入るとは思わなかった」
アルヴィンは正直なところ早く核心に触れたいが、エルヴィスはいくら急かしたところで必要性がなければ急かされない性格だ。アルヴィンは大人しく話を聞く他なかった。
「魔王は魔人って生き物の成れの果てでね。今死神って呼ばれてるのは実は魔人なんだ」
「それはつまりブラムさんといる死神もいつかは魔王になるってことか」
「いや、それはまだ分からないんだよね。その人次第というか。魔王になるか、人に戻るか、決めるのはその人の意思だから。けどまあ、その子はまだ人に戻れる段階だったけど」
「……人に戻る?」
「そう。魔人は元々人間だからね」
この世のほとんどの人間は身体に魔力があるんだ。アルヴィンの魔法も魔力があってこそだしね。君が魔法を使う時に瞳が金色に光るのは、頭……脳で作り出される魔力が透けてるからなんだよね。
お伽話の青年が魔人になったのは偶然だったんだ。今で言うならそうだね、心臓が悪かったんだと思う。血を送り出す力が弱くて、血と一緒に魔力の循環も滞ったんだ。排出されない魔力は身体に蓄積されて、元は金色なのが黒く錆び付いてく。まあ魔力は万能だから錆び付いたところで別に問題なく使えるんだけど。
で、この青年はなんと、その魔力でちゃんと機能する心臓を作っちゃったんだよね。本人がそうしようって思ってやったと言うよりは、生きたいっていう強い意思に魔力が応えたんだろうね。要は魔人っていうのは、魔力で身体を補う人間のことなんだ。
「で、アルヴィン。僕は精霊だと言ったけど、何の精霊かと言うと、すぐそこの聖者の金杯なわけだよ」
「いやお前……どう見ても人間だろ」
「ラザラスを真似たからね。精霊もなかなか万能って言ってもいいし、変幻自在だよ。10年前、死にかけたラザラスの身体を治すために金杯の外に出てきたんだ。中身がないからね、霊薬も湧かないわけだよ」
「ああうん……ラザラスを治すためだけに出てきたっていうのはまあちょっとおかしいような気もするけど」
アルヴィンはまだエルヴィスの告白を信じ切れていなかった。内容が具体性を増すに連れ、穴を見付けて否定する理由を探そうとした。自分の魔法を棚に上げて非現実的だと言ってやりたかった。ただラザラスを真似たというのなら、初めての強制指令の打ち合わせの帰り道、エルヴィスが口にした内容がラザラスの過去と似ているのも頷けるような気がした。
「ラザラスは魔王になりかねないと思ったから。霊薬がなくなるより、そっちの方が悲惨だと思ったんだ。それが正解だったかは分からないけど」
「だけど人間に戻れるなら、どうして魔人は魔王になるんだ。人間に戻ってもらえばいいだけの話じゃないか」
「お伽話の青年と同じだよ。手足くらいならともかく、魔力で身体を作らないと生きられないくらいの損傷なら、その人は魔人になるしかない。ラザラスは死ぬか魔人として生きるかなら、間違いなく後者を選ぶ人間だよ。あれだけの傷で這ってでも向かってくるラザラスを見て、僕はそう確信した」
アルヴィンは昨晩食事をしながら語るラザラスの姿を思い出して頷いた。最早異常と言っていいほど命へ執着する彼ならば、生き延びる手段があれば間違いなく手を伸ばすだろう。昨日初めて会話をしたアルヴィンたちに知る由はないが、ラザラスは命を放棄しようとする者には過激な一面も見せる。
「僕らは気が狂って見境がなくなった魔人のことを魔王って呼んでたけど、あれは最悪だよ。身体を補うなんて魔力が蓄積されてるからできることなんだ。必要な量をずっと自分で作り続けるのはほとんどの人間は不可能だからね。アルヴィンくらい多ければ別だけど」
「それはつまり……折角生き長らえても最終的には死ぬしかないってことか」
「それで終われるならまだいいよ。問題は他人から奪うようになること。魔力が生命力の多くを占めている人が奪われると、そのまま死に直結するから」
「……ん? ということはつまり俺は」
「これ以上ないくらいのご馳走だよね。最高級食材だよ」
はっきり言ってアルヴィンはまったく嬉しくなかった。エルヴィスも皮肉めいたことを言えるのかという見当違いな感心は、相棒の口から出てきた非現実的な話からの逃避だ。
「けど霊薬があれば治るんだ。身体を元に戻せば魔力を使う必要がないから。ちゃんと救うなら他の精霊具も必要なんだけど、魔人化だけならなんとかね」
「え、そうなのか」
「うん。だけど、試しに来てみたけどやっぱり中に戻れそうにはなかったよ。やり方が分からなくて」
エルヴィスはどこか遠くを捉えるように目を細めた。悲しみと安堵が入り混じった表情のエルヴィスに見つめられて、アルヴィンはたじろいだ。見慣れているはずでもやはり慣れないのだ。
「僕は精霊だから、つまり……僕の故郷っていうのは天界のことだよ。僕は君にマクトゥエスの門を開いて欲しかったんだ。オスニファエルに金杯に戻してもらうために」
だけど、と俯いたエルヴィスが珍しく眉尻を下げて弱々しく呟いた。彼は迷っていた。
精霊は人間のために作られた。本能で全ての人間を愛すようにできている。極端に言えば全体主義者でもある。もちろんエルヴィスもそうで、そのはずだった。
「君を独りにしてしまう」
アルヴィンは理解した。最近のエルヴィスは故郷を探して欲しい、やっぱりラザラスの話を聞いてから、など言うことが二転三転していた。あくまで自分を案じているのはやはりエルヴィスらしいとも思った。
「俺のことは気にしなくていい」
「……なんで」
「エルヴィスの出生がどうであれ、いつかは離れて別々の道に進むことになる。だから俺のことは気にしなくていいんだ。いつまでも仲良しこよしって訳にもいかないだろ」
「なんでそういうことをサラッと言えるのさ」
すっと気温が下がったと錯覚するほど冷たい瞳。視線に厳しく縫い留められるような感覚。アルヴィンは何かを間違えたような気がした。
「僕がいなくならないと適当なところで死ねないから?」
アルヴィンは驚愕で目を丸くした。確かに自分はそうするつもりだった。過去に自分がしたことを思えば、死をもって償う他にないと思っていた。
「アルヴィンさ、なんでそうなったの? 何があってそんなこと考えるの?」
「それは……それはダメだ、絶対に言えない」
「だからなんで? 僕にも言えないの?」
「お前に軽蔑されたくない」
「何それ。何も分からないじゃん、それじゃあさ……」
本心では、アルヴィンはエルヴィスに言ってしまいたかった。過去を明かしてそれを受け入れてもらえれば、きっと歓喜のような安らぎが得られるだろう。しかしアルヴィンは自分を許せない。それをエルヴィスと共有することなどできるはずもない。
「アルヴィンそれは、それは酷いよ。あんまりだ……」
何故知っているのか、自分はそれをどこで零したのか。そんな困惑が一瞬頭を過ぎってすぐに掻き消えた。アルヴィンは自分の生き方が相棒を手酷く傷付けた、その苦味ばかりが胸の内に広がるのを感じていた。
説明回を面白くするのって難しくない……!? 読んでくれてる人飽きてない大丈夫……!?
お気付きかもしれませんが登場人物は大概面倒くさいです。




