ラザラス・ボールドウィン
まさか住居の居間でこんなことをするとは思わなかった。そしてまさか自分自身も実行に移せると思っていなかった。青年は実に不思議な気分になった。
ノコギリ、燃え盛る暖炉、清浄な水、塩。青年の指示で様々な道具が揃い、寝台に横たわる少女の父親は居間を叩き出された。
「ユナ、麻酔は効いてる?」
「ええ、叩いても針刺しても反応ないから、効いてるはず」
「怖い答えだな」
「だってェ、元々気絶してるんだもの。大丈夫よぉ、あたくしセンセェの隣に並ぶためにいっつも腕磨いてるのよ?」
「そう、それは嬉しいな。それじゃ早速始めようか」
動物の腸で作った薄手の手袋を装着して、青年はペンを少女の脚に当てた。腐敗している部分より30フィラルィート上に線を描き、手早く施術箇所を決めていく。
腐敗している部分はもう切断するしかない。頭では分かっていてもやはり緊張が鼓動に乗る。何度か手術を行ってはいるが、最初に皮膚に刃を入れる瞬間はいつも集中より緊張が勝る。
「大丈夫よセンセ、いつも通りやれるわ」
「うん。頼りにしてるよ、ユナ」
青年たちがメスと呼んでいる、特注の鋭利なナイフが少女の脛をなぞる。皮膚を簡単に切り裂いて、いくつかの筋肉を順番に切断し、骨間膜を切開、神経と血管の剥離。
「ユナ、しっかり押さえててよ」
「はぁいセンセェ」
火で炙って殺菌したノコギリが骨に当てられる。青年は肺にめいいっぱい空気を溜め込んで、息を止めてノコギリを引いた。骨の小さな欠片が僅かに床に落ちたが、それに気を留めず刃を引き切る。
「はいセンセェ、ヤスリ」
「ん」
がりがりがり、ごりごりごり、がりがりっ、ごっごっごっ。
切断された骨の鋭利な箇所が丸みを持ち、少しずつ整形されていく。町の人々が見れば青い顔で倒れるであろう光景だが、2人は平然と骨や肉をいじる。青年に至っては真近くまで顔を寄せている。
「生食できてる?」
「もちろん」
残された筋肉の切除、神経の切断、洗浄。青年はそこまで手術を進めたところで重い溜息をついた。
あらぁセンセェ疲れてるわぁ。宿に行って休む予定だったのに急にこれだものね。食べ盛りなのにご飯も食べ損ねちゃったもの。
青年は真剣な顔で患部を凝視して、ユナは彼の顔色を窺いながら道具の準備を先回りする。針を焼いて消毒し、糸を通して青年に手渡した。
「よし、これでっ」
筋膜の縫合を済ませ、残しておいた脹脛の皮膚で切断面を覆うようにして前脛の皮膚と縫合。排液用の管を通し、ハサミで余分な糸を切断して傷口は閉ざされた。
「よし、あとは」
「センセェ、後はあたくしがやっておくわ。お疲れでしょ」
「え? いや、でも」
「あとはガーゼと包帯でしょう? あたくしだけでも大丈夫よぉ」
「うーん……それじゃあ任せるけど、一応ここで見ておくよ」
「はぁい」
深刻な足の腐敗という異様な状態の対処ではあるが、四肢の切断は過去に経験があり、手術自体は終了している。仕上げの処置をユナに任せて、青年は安堵の息を吐いた。案の定、ユナは滑らかな手つきで処置を終えた。
「センセ、お疲れ様」
「ユナもお疲れ様。まさか緊急でこんなことするとは思ってなかったけど、対応してくれて助かったよ」
「センセェこそ、よくもなんとかしちゃったわよねぇ」
「本当にね。道具を持ち歩いてて良かったよ」
暖炉に火を焚いたため室内は暑く、2人は汗に塗れた額を拭った。窓の外では太陽が地平線の下に身を隠そうとしている。ユナはまだ火照っている顔を手で扇ぎながら窓を開けた。
「それにしても、切断したこの足。なんでこんな腐り方したのかしら」
「もう涼しくなってきてるし、10日は経たないとこうはならない。実は壊死していたとして、骨が見えるまで気付かないなんてことはないだろうし」
「余程強力な毒を持つ魔物にやられたとかかしら」
「だとして壊死なら分かる、けど腐敗は……とりあえずこの子のお父さんに終わったことを報告してくれるかな」
「はぁいセンセ」
ユナが部屋から出て行き、青年は大きく腕を伸ばして肩をほぐした。手術の前に使った担架が居間の角に寄せてある。少女をベッドに運ばなくてはならないが気力が湧いてこない。
「イネス!」
「うわっ」
「ちょっとぉ、急に飛び込まないで頂戴」
壊れるのではないかというほど勢いよく扉が開いて青年は驚いて肩を跳ね上げた。本当になくなってしまった娘の右足を見て少しばかり落ち込んだ様子を見せ、そして彼女の頭を撫でながらぐずぐずと泣き出した。
「やっぱり足はどうにもならなかったんですね」
「はい、組織が死んでしまっていたので。切断しないとどんどん腐って、これくらいの損傷じゃ済まなくなっていたと思います」
「そうですか……」
「納得いきませんか?」
「いえ……ああこれはダメだって、自分でも一目見て分かりましたから。足の1本や2本なくたってどうにかなります。どうしかします」
誰かの命を救っても、青年が貰う言葉は感謝とは限らない。侮蔑や不信感を露わにする者もいる。青年はそれが仕方のないことだとは分かっていて、見返りを求めることはしない。ユナはそれを理解してはいるが、青年が評価を得ていないことには納得できていない。
「右足から感染症を起こすこともあるので、もう数日はこの町に滞在します」
「え? もう終わったんじゃないですか?」
「処置自体は終わりました。だけどまあ……あー、念のためってやつです」
この国で医療について説明するのはかなり骨が折れる。頭が良いから悪いから、興味があるからないから、そういう話ではない。何事においても、先駆者とはそういうものだ。分かりやすく説明しなくては。そう思ってはいても、休憩も食事も取り損ねた若者の身体は正直だ。青年の空っぽの胃袋がきゅう、と切なく音をたてた。
「その子の治療の説明はまた明日ね。あたくしもう疲れちゃったわぁ」
「うん、僕もさすがにお腹が空き過ぎてフラフラしてきた」
「何か食べて宿とりましょ。ねえあなた、この子担架に乗せてちょうだい」
「あ、はい」
父親からすれば娘の一大事だ、淡々とした2人の態度は少しばかり苛立ちをくすぐる。長い間霊薬に頼り切っていた人々には、2人が行う治療の必要性や有用性が分からないのだ。
「ねえあなた、センセェにお礼のひとつもないの? それどういう顔?」
「え、あ、いや、そんなつもりじゃ」
「ユナ、感謝されたくてやってるわけじゃないんだから。僕らに色々と思うところもあるんだろうし」
「ねえセンセェ、やっぱりあの腐った右足、残したままにしてあげれば良かったんじゃない?」
「怒るよ」
「センセェ怖いわぁ、冗談よ」
応酬を繰り返す間にも、2人は手慣れた様子で片付けを済ませていく。最後に少女をベッドに移し、治療は全て終了した。
「ここから一番近い宿はどこですか?」
「ええと、ここを出て右に進んでいけばすぐ、青い屋根の宿に着きます」
「それじゃあそこに泊まるので、何かあったら呼んでください。痛みが出れば対処しますから」
「あっはい! あの、すみません、お願いしに行く時はなんてお呼びすれば……」
そう言えば名乗ってすらいなかったと、2人はそこでようやく気が付いた。足の処置しか頭になかったのだ。
「僕はラザラス・ボールドウィンといいます。一応医者……だと思います」
「あたくしはユナ・ヒバリノ。センセェの右腕ってとこかしらぁ」
「エリク・バルトと申します。あの、失礼ながら、その、医者ですか……?」
「はい」
曖昧な自己紹介にたいして目を瞬かせるイアンを見て、ラザラスは困ったように笑った。
ラザラスのあり方は、この国における医者とは大きく異なる。とは言え他に適切な名称も思い付かないのでそう名乗っている。
「それじゃ行こうか。また明日来ますね」
「はぁいセンセェ。やだぁ、あたくし疲れ過ぎてふらふらしてきたわぁ。センセェ支えてくださる?」
「僕よりは元気そうに見えるんだけど気のせいかな」
ユナがわざとらしく欠伸を零してラザラスの腕に抱き付いた。エリクは少しばかりラザラスが羨ましくなったが、すぐにはっと我に返った。
もうそろそろ飲食店が混み始める時間だが、2人としてはまずは宿を確保したい。あしらうのが面倒になり、ラザラスはそのままユナを引き摺るようにして宿へと向かっていった。
下肢切断術、割と適当です(棒)
職業柄、内分泌系と生活習慣病とかがメインなので、外科はよう知らん……