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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
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悪童

自分は親にこんなことが言えたのかと、ウィツィは自身の新たな一面をどこか遠い所から眺めるように知った。しかしナナワはそれに動じることはなく、苦笑しながら本当よね、と返した。


「ほんっと、どうかしてるわよねえ、お父さんたら。信仰があるのは良いけど、熱心過ぎるわ。きっとね、ウィツィは眷属なのよ。オハドノゥトゥの手足として生まれてきたんだわ」


そうじゃなくて、と怒鳴りかけたウィツィは、口を閉ざして立ち上がった。小皿に食べかけの料理が残っていたが、とうに食欲も失せていてどうでもよくなっていた。


「……ちょっと、外、出てくる」


ナナワが引き止めたが、ウィツィは逃げ出すように飛び出した。怒りごと気力を全て削ぎ落とされた気分で、とぼとぼと当てもなく脚を動かし続ける。


ウィツィ自身も呪術師だ、トーティエが信じるクァーガゥ神話の神に対して少なからず信仰がある。ただウィツィにとってそれらは、在り方を自分で決められない者たちが拠り所にするためのものだ。道徳心を狂わせるほどのめり込んで妄信するものではない。


みんなウィツィを手放したくなかったから、と言ったナナワ。オハドノゥトゥの化身、あるいは眷属。やけに恭しい老人たち。幼少から甘やかされてきた自分。ウィツィの中でそれらが結び付いた。随分時間もかかったし、気付くのが遅過ぎた。


暴こうとしなければ、きっといつまでも変わらない、居心地の良い故郷であったはずだ。しかし暴いてしまったのだ、ボリューニャはウィツィにとって狂気の巣窟と化そうとしていた。


「お、ウィツィ」


「ん……ああ、チュスか」


訪ねるはずだった友人が道の向こう側から歩いてきたので、ウィツィは無理矢理口の端を吊り上げた。到底笑顔とは言えない不格好な表情だ。


「あ、テーブルのあの焼き菓子、ウィツィだろ。ありがとな」


「ああ、うん」


「いつ来てたんだ?」


「ああ、ええと……」


チュスも自身のことを化身だとか眷属だとか言い出しやしないかと、ふとそんな考えが頭を過ぎって、ウィツィは顔を曇らせた。チュスはそれを見て眉を下げて笑った。


「俺とイバンが口喧嘩してた時か? 喧嘩する前には居間に菓子なんてなかったもんな」


「へ、あ、いや、うん」


「聞こえたんだろ、悪かったな」


「いや、別に……そんなんでいちいちどうのこうのって歳でもないだろ。お前も嬉しいこと言ってくれたわけだしさ」


「その割には俺を見つけた時の反応が良くなかったけど」


「それは、その、お前らの喧嘩は関係なくて」


ボリューニャの住人はほとんどがトーティエで、チュスも例外ではない。みんな、という3文字がウィツィの頭の中で繰り返された。しかしチュスはウィツィを化身でも眷属でもなく友達だと言った。たしかに子どもの頃から気さくな態度で、対等に接していたはずだ。ウィツィは唾を飲み込んで、思い切って訊ねることにした。


「あのさ、俺ってオハドノゥトゥの化身とか言われてたのか」


「ん? ああ、言われてたよ。なんだ、気付いてなかったのか」


チュスはあっけらかんとした様子で肯定した。やはり自分だけが知らずにのうのうと過ごしていたのだと落ち込むウィツィを見て、チュスはまるで些細な問題だと言わんばかりに笑った。


「まあ周りから見るとあからさまでも、本人からしてみれば分かんなかったりするよな。そんな気にすんなよ」


「気にすんなっつわれても、俺が秘術を使えるせいで」


「ん?」


「……や、なんでもない」


チュスに対して感情をぶつけたところで八つ当たりにしかならない。ウィツィは唇を噛んで、荒げかけた声を喉奥に押し込んだ。しかしウィツィは本人が自覚している以上に分かりやすい男だ、チュスははいそうですかと引き下がる気にはなれなかった。


「お前のことをそうやって言ってんの、年寄りと俺らの親の世代が多いな。俺らの世代でお前を本気でそう思ってるやつはほとんどいないな」


「へ、そうなのか」


「イバンが余所余所しいのも失礼がないようにって父ちゃんに説教されたりとかしてたからであって、お前を信仰してるわけじゃないしな」


「あー、なるほどそうだったのか、今知ったわ。みんなそう思ってるみたいなこと言われたからさ」


「そりゃあ誰に言われたら知んないけど、その人が言うみんなってのは上の世代のやつばっかなんだろ」


どうにも反応の薄いウィツィを見て、チュスは見当が外れたかと呆けた顔をした。そもそもウィツィは周囲の視線や対応を気にして落ち込む性格ではない。かと言って他にウィツィが落ち込む理由も分からない。


「そんじゃあさ、チュスがあんま熱心なトーティエじゃないことを期待して訊くけど」


「おお、なんだよ」


「俺のために誰かを代わりにするとか、犠牲にするとか、おかしいよな」


「え?」


「その上に立ってぬくぬく生きてた俺も、多分大分おかしいんだろうけどさ」


薄暗い道では、伏せられたウィツィの顔は見えにくい。それでもどんな表情をしているのか、チュスにはなんとなく想像がついた。ウィツィが求める言葉も分かっていた。


「そりゃあ、正しくはないだろうな。その人が喜んでお前の足場になりたいって言うならともかく」


「だよなぁ」


「まあ、その、何があったか知んないけどさ、多分はウィツィは悪くないしおかしくもない」


「なんで分かんだよ」


「そりゃあ俺のダチだからな。俺のダチは良いやつに決まってる」


思いもよらない言葉に、ウィツィは目を丸くして伏せていた顔を上げた。少々気恥ずかしくも嬉しい言葉を簡単に口にするチュスを前に、昔のような軽口は飛び出してこなかった。


「お前、そういうこと言うやつだっけ」


「言うようにしたんだよ。昔は照れ臭かったけどな」


「へえ、そりゃなんでまた」


「さあなあ、寂しいんだろうな。みんな嫁さん貰ったら相手してくれなくなるしさ。まあその、友達は大事にしようって思ったんだよ」


「ああ……」


ウィツィがお土産の焼き菓子を配り歩いた時、友人は会話をする暇もなく、はしゃぐ子どもを追いかけていた。子どもが大切なのは当然だが、友人が簡単な挨拶を済ませてすぐ自身に背中を向けてしまうのは、ウィツィとしては実の所少しばかり切なさもある。世の中に置いていかれる感覚が、一層強くなる心地だった。


「なんか分かった気がする」


「ん?」


「いや、俺ってもしかして、寂しくなるのが怖かったんだろうなって」


言葉にしてみれば、安堵は急激に込み上げた。ウィツィは深呼吸をひとつして、チュスに感謝を述べた。


「あのさ、俺テオを探してんだよ」


「ああ、知ってるよ、弟だろ」


「もし見つかったらさ、その時また話聞いてくんねえかな」


「そんくらいならいくらでも」


ウィツィは鼻を啜って、改めてチュスに感謝した。そうして曲げていた背筋を伸ばした。


「なあ俺さ、そろそろボリューニャを出たいんだよな」


「へ? どしたよ、急に」


「だからさ、豆の収穫終わったら、お前んとこ遊びに行ってもいいか。もしいいなら、お前の力になれるかもしんないからさ」


「そら別にいいけど……力になるって?」


「ああ、先に教えとくな。だからな、提案に乗ってくれよ。一緒にボリューニャを裏切ろうぜ」


なんだそれ、と笑い飛ばそうとしたウィツィは、その後のチュスの言葉に目を丸くした。チュスはそんなウィツィの呆けた顔を見て笑った。子どもの頃によく見せていた、悪童のような表情だった。






「まあ、んなわけで。本当にメッちゃんの言う通りだった。全部身内の中で起きたことだったわ」


コルマトンに戻ったウィツィは、真理の天井のキャラバンで、紅茶を啜ってメリルにボリューニャでの出来事を報告した。メリルはどう反応すべきか困ったが、ウィツィの顔が妙に明るいので安心した。


「そんでな、ちょっと情報集めてきたんだよ」


「ほほう」


「そんじゃまず、これは他所には秘密にして欲しいんだけど、トーティエの中には秘術っていうのを使えるやつがいて――」


ウィツィは秘密にしていた秘術の存在でさえも、何もかもをメリルに伝えることにした。絶対にテオを諦めるわけにはいかない。そう決意してしまえば、秘術を明かすことも簡単だった。


「なるほど、君が弟くんが生きていると信じられる理由がよく分かったよ。そんな秘術があるなら頷けるよ。実際に見てみたいものだ、興味深いね」


「本当は外部に漏らしちゃいけないんだけどな」


「それはそれは、大変なことを聞いてしまったな。さて、ならば私もその熱意に応えなくてはね」


メリルが不敵に笑った。ウィツィも笑い返して、自身が集めた情報を整理してまとめていく。メリルはその明るい表情を見て、やはり彼は若いなあ、と微笑んだ。

私の友人に、親が教徒だから自分も教徒、という人がいまして、チュスやウィツィはそういうイメージです。

ちなみに友人は教徒ではありますが「何が悲しくて日曜の朝6時に叩き起こされて教会なんか行かないといけないんだよ……知るかよ……」ってぼやいてました。

チュスは完全にそんな感じで、ウィツィは「信じたい人は信じればいい、自分はそこまで興味ない」って感じですね。

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