二重丸と十字
メリルの姿を見た瞬間、ロディオンはパウロスの腕を掴んで後ろに下がらせた。彼女はダメだ、声を掛けてはいけない、良心がそう主張しているのを感じたのだ。
「……すんませんね、お嬢さん。こいつ酔ってるみたいで」
「え? 何言ってるんだよロディオンさん」
「いいからほら、さっさと戻りますよ」
「なんでだよ、仕事だろ?」
「一生懸命やるなって言ったっすよね」
「一生懸命じゃなくたって最低限やろうよ」
「そういう意識高いのいらねぇっすから」
無理矢理引っ張ったことでパウロスがよろめくのにも構わず、ロディオンは早足で席に戻った。パウロスはさすがに不満を飲み込めず、席に着いた途端むっと眉を寄せた。
「なんなんだよロディオンさん! 職務怠慢だ!」
「別に仕事すんなって言ってるわけじゃないっすよ、ただあのお嬢ちゃんはダメだ」
「なんで?」
「子どもだからっすよ。ひとりで飯食ってんだし分別のつく歳だろうけど、それでも子どもはダメだ」
「今の人子どもだったんだ。なんで子どもはダメなの?」
「……あんた、やっぱり俺と組んで正解っしたわ。セルゲイに押し付けなくて良かった」
「はあ? なんだよ、ちゃんと答えてよ」
ロディオンから見てパウロスは子どもだ。年齢は21歳で成長し切った身体は大人のそれだが、精神年齢が低い。盲目のためにひとりで遠出できず仕事も見付けられなかった、あらゆる面で経験不足なのだ。そういう人間が身の振り方を考える時、近くにいる者を参考にしたとして、その人物が果たして情のない人間であればどうなるか。ロディオンはそういった例を真近くで目にしたことがある。
「あんたさ、子ども捕まえて仕事させて楽しいすか? 子ども時代は貴重なんすよ」
「……ロディオンさん、そんなこと言うんだ」
「意外っしょ」
「うん。でもそっか、言われてみればそうだよね」
「やる気がどうとか職務怠慢だとか、大して重要じゃないすよ。仕事すんのに一番向いてないのは、情のない人間っす」
「今の名言っぽいね」
メリルはれっきとした大人なのだが、2人はそれを知る由もない。パウロスは少しばかり後ろ髪を引かれたが、大人しくメリルを諦めることにした。
「やあ、お疲れさま」
「お疲れ様。なんだ、もっと遅くなるかと思っていたのに、思ったより早かったじゃないか。先に注文してしまったよ」
「ああ、幸運なことに早く帰れたんだ。明日は休日だし久々にお酒でも飲もうかな。それ美味しそうだね、僕も頼もう」
メリルの向かいの席にやってきたのはジャンだ。店にとっては馴染みの客で、店員は気さくな態度でジャンの注文を取りに行った。
「君が飲むなら私もいただくことにするよ。まさかひとりで飲もうだなんて寂しいことは言わないだろう?」
「あっはっは、そうだな、お付き合いいただこうかな」
「さて、何からいこうか」
「いきなり強いものだと胃に悪いからね、まずは葡萄酒じゃないかな。ロッカーラがいいな」
かしゃん、とグラスがぶつかり合う音が儚く消えて、葡萄酒がメリルとジャンの口に吸い込まれていく。彼らからそう遠くない席にいたパウロスは、困ったように爪先をいじった。
「……なあロディオンさん」
「なんすか」
「さっきの人、大人なんじゃ」
「やめろって」
「いやだってお酒飲んでるみたいだし」
「分かんないっすよ、ちょうど16歳とかかもしんないじゃないすか。16なんてまだまだ子どもっすよ」
やはりメリルに再度声を掛けるべきかとそわそわし始めたパウロスを見て、ロディオンはその肩を下へ下へと押さえ付けた。
「すみません、同じのもう1本お願いします」
「私はアウタリアをいただこうかな」
「メリルは相変わらずだね、僕はそんな強いのは飲めないよ」
「よく言うよ、量は君の方が飲むじゃないか」
アウタリア。酒造が立ち並ぶアウタインという街で作られた麦の蒸留酒のことだ。そして蒸留酒の飲酒が可能なのは20歳からだ。店にとってはメリルも馴染みの客で、当然のようにアウタリアを彼女の前に置いた。
「ロディオンさん」
「やめて」
「あのさ、たしか蒸留酒だよね、アウタリアって」
「マジやめて」
「やっぱりさっきの人、大人だよね」
「やめろってマジで、名言ぽいこと言っちゃったんすから空気読んで! そういう優しさを持って!」
メリルとジャンは笑顔で大量の酒を水のように飲み干していく。話している内容も酒飲みのそれだ。パウロスには2人の表情は見えないが、楽しそうに飲む酒は大層美味いのだろうと羨ましくなった。パウロスは友人と酒を飲んだこともなかった。
「あっはっは、それは、それはないだろう!」
「メリルこそ、人のことを言えないじゃないか! はははっ、魚に蜂蜜って!」
「意外と美味しいんだこれが! ちょっとだけつけて食べてみてくれよ」
「どれどれ……本当だ、甘じょっぱくていけるな! なんだメリル、君って意外と料理ができそうなんだな!」
「あははははっ、そうだろうそうだろう、いやなんだできそうなんだなって!」
かしゃんかしゃんがちゃん、瓶とグラスがぶつかり合う音が何度も響く。ロディオンが横目でメリルたちのテーブルを窺い見ると、夥しい数の酒瓶がテーブルの半分以上を占めていた。
「俺は見えないけど、なんか楽しそうだね」
「2人揃って大酒飲みっすね。あのお嬢ちゃん……いや大人っしたね。子どもみたいな顔でえげつねえっすわ」
「ロディオンさん、もうさっきの人が大人だって認めちゃってるじゃん」
こそこそと隠れるような会話の後、ロディオンは再びジャンとメリルを見遣った。その瞬間ぐいん、と勢いよく首を回したメリルと目が合い、ロディオンは慌てて目線を前に戻した。
「さっきからちょいちょい見られてるんだよなあ」
どうやら視線に気付かれていたらしい、ロディオンは内心冷や汗をかいた。
メリルはふふん、と鼻を鳴らして立ち上がった。大量の酒を飲みながらもしっかりとした足取りだ。
「なあ君たち」
「……お姉さん、男の会話に入ってくるなんて野暮っすよ」
「失礼、野暮なのは職業柄ってやつなんだ。で、先程は私に何か用でもあったのかな? 仕事がどうとか聞こえていたよ」
普段のメリルならばロディオンたちに声を掛けることはない。酒に強いメリルだが、それでもやはり酔ってはいるのだ。
「それとだね、なんか子どもだとか大人だとか言っていただろう。君たちねえ、私はこれでも26歳なんだ。26歳なんだぞ!」
「そうだメリル! 君は立派な大人なんだ、いくらだって飲んでいい!」
「そうだその通りだ! 次は果物のお酒が飲みたいな、おすすめをひとつ頼むよ」
「その意気だ! いくら子どもみたいで他の酒場に行くと社会系を呼ばれそうになっても、君は大人なんだから! いくら小人みたいでも大人なんだから!」
「君実はさっきから喧嘩売ってるだろ!」
メリルはカウンター越しに直接酒瓶を受け取って、手酌で飲み始めた。ちなみに飲んでいるのは葡萄酒を蒸留したもので、つまりはブランデーだ。
「あっこれ高いやつじゃないか!」
「あれぇ、そうでしたっけ」
「白々しいなあ、まったく。私の財布の中身を考慮してくれても良かったじゃないか。で、これはいくらだったかな」
「その瓶ひとつで400ウィーガルです」
「うぇっへぇ、やってくれたな君!」
「メリルさんがおすすめって言うからぁ」
グラスになみなみと注がれたブランデーを見て、ロディオンは口の端を痙攣らせた。蒸留酒を割らずにジュースのように飲み干す人間などそうそういない。パウロスは値段で騒ぐメリルの声を聞いて、あることを思い付いた。
「ねえお姉さん、それ俺たちが奢るよ」
「えっ? なんだい、一体どうしてかな?」
「代わりにお願いがあるんだ。お姉さんのこと教えてよ! ね?」
「ははっ、なるほどそういうことか。いいとも」
パウロスは仕事ができるのではないかと張り切って持ち掛けたのだが、メリルは誰か女性と話したいのだと思ったらしい。パウロスたちにはそちらの方が都合が良い。
メリルは鞄の中から折り畳まれた紙を取り出しロディオンに手渡した。開かれたそれには、キャラバンの名が書かれている。
「真理の天井?」
「そう! 私は調査系キャラバン、真理の天井の団長、メリル・キーツさ。まあ、団員は私だけなんだが。所謂探偵ってやつだ。何か調べたいことや仕事があれば是非来てくれたまえ」
「凄いなメリル、奢ってもらうっていうのに商魂逞しい! 君のそういうとこ結構好きだよ!」
笑いながらフォークで果物を刺すジャンの前に転がる空の酒瓶が、更に2つ増えている。果たしてこの男はどれだけ飲むのだろうかと、ロディオンは呆気にとられて渇いた笑い声を零した。
人材探しとは言っても、最初は名前と活動範囲が分かれば上々だ。ロディオンはパウロスに余計なことを言わないようにと耳打ちした。
「メリルさんさあ、出張とかもしてくれんですか」
「もちろん。ただ交通費や、場合によっては宿泊費もいただくよ。交通の悪い田舎とかにも行くんだ、結構大変だよ」
「どうやって調査とかするんすか」
「それはもちろん、情報は地道に集めるのさ。時間と体力と根性が大事だね」
「えー、なんか裏技とかないんすか?」
「あっはっは、あると思うかい?」
メリルに合わせて笑ったロディオンは、薄らと汗の浮かぶ額を拭った。アルコールが巡って顔が熱を持っているのが分かって、水を一気に呷った。
「君の服装、少し暑そうだね。上着くらい脱いだらどうだい?」
「いやあ、前に脱いだら目を離した隙に持ってかれたことがあるんすよ。このまま着てます」
「腕くらい捲ればいいじゃないか」
「袖がくしゃくしゃになるの嫌いなんでこれでいいっす」
「ふうん」
大して気にする様子もなく再び酒に口をつけるメリルを、ロディオンはぼんやりと眺めた。そうして溜息をひとつ吐いて、パウロスが飲み終えたことを確認して立ち上がった。
「んじゃメリルさん、俺ら明日も用事あるんでそろそろ失礼しますわ。お金ここ置いとくんで」
「おや、本当にご馳走してくれるのかい? 冗談だと思っていたんだが」
「奢るって言っときながら渋るようなダッセェ男じゃないっすよ。もしかしたらメリルさんに仕事頼むかもしれないんで、そん時サービスして欲しいっす」
酒場を出て、ロディオンはパウロスの腕を引きながら唸った。どうしたものか、彼女でいいのか、悩みながら歩いていると、突如後ろから引っ張られて背中を反らした。
「ロディオンさん、あのメリルって女の人、勧誘しないの?」
「今はとりあえず平気っす。俺らは最悪勧誘できなくてもよくて、どこに誰がいるかだけ伝えれば別のやつが勧誘してくれるんで。ま、今回はあのメリル・キーツを報告しときますか」
「あのお兄さん……えーと、そうだ、大地の盾のウィツィって人。あの人はいいの?」
「あれは……」
ロディオンは困ったように顎に手を当てた。探偵よりも魔物退治の冒険者の方が、仕事場で求められる能力を持っている可能性が高い。いかんせん、ロディオンはやる気がない。
「あの兄さんは見送るべきっすね。大地の盾のファウスト・セッティ、あいつに目ぇ付けられたり、敵に回すと面倒すから」
「え、どうして?」
「ファウスト・セッティは社会系と仲良いっすから。社会系……社会刑事系なんか連れて来られちゃ厄介すからね。メリル・キーツと会えなきゃウィツィ・エスペラ・イグレシアスの名前を報告するしかなかったすから、俺ら超幸運っすわ」
まさかたった数日で2人も探し求める人材に出会えるなどとは思っていなかったので、ロディオンは満足気に頷いた。しかし笑い声の後に漏れ出たのは落胆だ。
見つかった、ああ良かった、これでどやされずに済む、見つけてしまった、彼女の存在を報告しなければ。
思考と共にぐるぐると、アルコールが脳にまで回る感覚。ロディオンは舌打ちしたくなったのを抑えて宿へ戻ろうと歩き出した。
「ロディオンさん」
「なんすか、ちんたらしてないで行きますよ」
「社会刑事系が厄介ってどういうこと?」
「え?」
「俺らの仕事、刑事系に目を付けられたらまずいものなの?」
数秒の沈黙の後にはっとして、ロディオンは視線を泳がせた。盲目のパウロスに見えるはずもないが、動揺で歪んだ表情を向けていられず顔を背けた。
「それはほら、あれっすよ。勧誘自体を嫌がる人も結構いるじゃないすか。迷惑行為だと思われて社会系呼ばれないようにってことっす」
「確認したいんだけど、俺らの仕事は人の役に立つことなの?」
「そりゃあもちろん。あんたからすれば何もかも胡散臭いでしょうけど、それだけは保証しますんで」
「ふうん、そっか」
パウロスはそれ以上ロディオンに何かを訊ねようとはしなかった。それに安心して、ロディオンは上着を脱いで肩にかけた。酒場では我慢していたが、やはり厚手の上着は肌が汗で湿るくらいには暑い。
左腕にはなんとなく隠している、二重丸の中に十字のタトゥー。人通りの少ない夜道で隠す必要はないだろうと晒した、それの意味を知る者がここではそういないことを、ロディオンは知っている。
自転車操業で投稿してますが、前話と今回はやけに時間かかりました。
1話あたり3000文字で書こうと思ってたのに、5000文字以上でした、そら時間かかるわ。




