ドルフィオ・クレーティ
「えー、それでは全員の無事を祝って、かん――」
ルクフェルが言い終える前に、誰かのグラスがぶつかり合って中の酒が波打った。そのまま揃わないタイミングで次々と乾杯が行われるのを見て、カップを持ち上げたままの腕はそのまま、ルクフェルは切なそうに着席した。
雷神象の討伐から20日後、聖火の鏡と大地の盾は酒場を貸し切って酒盛りをしていた。無事に帰還した祝い、所謂打ち上げだ。
「みんな俺の扱いが雑だよなあ、一応団長なのに」
「君は団長の役職は似合わないからな」
「カサネよりは適役だと思うんだがね」
「カサネと比べてどうする。17歳だぞ」
もう少し優しくしてくれてもいいじゃないか。そう小さくぼやいたルクフェルは一気に酒を呷った。対してファウストは温かい紅茶をちまちまと啜っている。
「さて、僕は他のテーブルを回ってくる」
「なんだよ、ファウストまで俺を見捨てて他のやつらのところに行くのか」
「1杯で酔ったのか? 中年がつるんでどうするんだ。君も部下を労いに回るといい」
ティーカップを持って回るわけにもいかず、ファウストは手ぶらでその場を離れた。気を遣わせることを気にしてほんの短時間で離れては別のテーブルに移動している。
さて自分も渡り鳥になろうかと、ルクフェルは緩慢に立ち上がった。個々人が自由に仕事をする聖火の鏡では上下関係は曖昧だ、労うというよりは談笑をしに別のテーブルへ向かった。とは言え大地の盾の団員たちにはどうしても緊張させてしまう。
「んー、ここオリツィアエールないんだ。ダーボンエール飲んだことないわ」
「あらカサネちゃん、ダーボンは個性があって結構美味しいわよ。けどそうね、カサネちゃんくらいの年齢だとオリツィアの方が飲みやすいのかしら」
「へー、ダーボン飲みやすいんだ! すいませーん、ダーボンエールひとつ!」
「あらぁ」
それぞれがやりたいように楽しむのを眺めて、アルヴィンは果物のシロップを紅茶で割ったものをゆっくりと飲み下した。まだ飲酒ができる年齢ではないので仕方のないことだが、酒を飲んで盛り上がる周囲の温度に着いていけていない。ただしエルヴィスは酔っ払いたちに溶け込んでいる。
何の意味があってか、酔っ払いが爆笑しながらアルヴィンの背中を何度か強めに叩き、テーブルにグラスを忘れてふらふらと離れていった。
「絶許……めっさモロコシじゃん……」
「あらぁ、私、嘘はついていないわよ。ダーボン、私は好きなんだけどねえ」
「なんだカサネ、飲める歳にはなってもまだまだ子どもだな。これが分かるようになれば大人だぞ」
ダーボンエールを前に渋い顔をしているカサネを見て、ルクフェルがひとくち分減っただけのそれを手に取って飲み干した。
「やあ、功労者だと言うのにあまり楽しんでいないみたいだな。こういうのは不慣れなのか」
「そうですね、こんな大人数で食事したことはなくて」
ファウストはアルヴィンに声をかけて、テーブルの上のチーズを口に放り込んだ。美味しいけれど紅茶には合わないな。そう呟いたファウストがもうひとつ食べ終えるのを待って、アルヴィンは彼の手元を見遣った。
「ファウストさんは飲まないんですか?」
「僕は飲めないんだ。もの凄く弱くてね。ああすまない、そこの方、果物のジュースはないかな。葡萄かベリーのものがいいな」
「葡萄とレモンのシロップを割ったものでしたらございますよ」
「ありがとう、それじゃあひとつお願いするよ」
まだ飲酒ができないアルヴィンだが、なんとなく酒に強い大人に漠然とした憧れがあった。しかし店員から上品にジュースを受け取って礼を述べるファウストをぼんやりと好ましく思った。格好良い大人の手本のようだとも思った。
「さあ、君もどんどん食べるといい。食べ盛りだろう。どうせ経費なんだから」
「はい、ありがとうございます」
「折角なんだ、楽しんだ方が得だ」
「はい……ってファウストさんそれ」
「え?」
ごきゅ、とファウストの喉が鳴った。直後に鼻を通るアルコールの香りに驚いて、ファウストは口を押さえてむせ返り、そこで右手にある飲み物が自分が頼んだものでないことに気が付いた。先程酔っ払った団員がテーブルに忘れていったものだ。
「うわっ、ちょっ、大丈夫ですか?」
「ああ、失礼……ちょっと驚いて」
「弱いんですよね、大丈夫なんですか? あ、水ありますよ」
「ありがとう。少し口にしただけだから平気だと思う。さて、僕は他のテーブルに行くから、あまり遠慮せずにね」
「はい……って、あのちょっと、あっ」
よろめいたファウストが滑り込むように大きな音をたててテーブルに手をついた。自分の倍の年齢である大人だというのに見ていて落ち着かないので、アルヴィンは放っておく気になれず席を立った。
「ファウストさん、一度座った方がいいんじゃないかと」
「なんだ、ちょっと目を、回した、だけじゃないか」
「えぇ……いやでも見てて怖くてなってきましたし」
「なんだ、君、心配性、なんだな」
「あの、息浅くないですか?」
「はは、言われてみれば、そうだな。こんな子どもに、心配されるなんて、情けない。本当に……情けない……」
「えっ?」
その場に立ち尽くしたファウストは、ぽろぽろと涙を零し始めた。アルヴィンは突然の出来事に、手で顔を覆ってさめざめと泣くファウストの横で狼狽した。
「あー! ファウストさんもう酔ってる、飲んだだろ! 誰だ飲ませたの!」
「あの、さっき間違えて飲んでしまってました」
「あーもう本当に弱いんだからなあこの人」
「僕は弱くない!」
「弱いでしょうよ」
「うるさいこのタコ! イカ! 海老!」
「海老!?」
「海老……食べます? 料理ありますけど……」
アルヴィンが海老の素揚げの皿を差し出すと、ファウストは途端に黙々と食べ始めた。ファウストの部下、ベルナルドと呼ばれていた男が面倒臭そうに口を尖らせながら頭を掻いた。
「すみません、俺もファウストさんが取り違えたのに気が付かなくて」
「いや気にしなくていいよ、どうせこの人その内酒の匂いだけで酔ってたから。時間の問題」
「えぇ……」
素揚げの皿が綺麗に片付くと、ファウストはベルナルドに小脇に抱えられるようにして回収されていった。2階の宿に一室空きがあるのでそこに放り込まれるらしい。
「大人って……」
乱雑に運ばれるファウストを見送って、アルヴィンはぽつりと呟いた。酔っ払いたちの大爆笑に呆気なくかき消された。
「うぇーいアルヴィン飲んでるぅ?」
「飲んでないです」
「ノリ悪っ、真面目かよ」
「いや俺15歳ですからね」
アルヴィンは背中に勢いよく衝突してきたカサネにのし掛かられて、その重みに背中を曲げた。カサネの頬は赤らんでいる。アルヴィンはその顔を見て、雷神象を倒した時のことを思い出した。
「カサネさん」
「んー?」
「やっぱり機嫌、良くないでしょう」
「なして?」
「なんとなく、ですけど」
恍惚に当惑を滲ませた勝利の表情。カサネの顔が心のどこかに引っかかっていた。アルヴィンが魔法を使用しての勝利に対してそう思うように、カサネも素直に喜んでいないように見えたのだ。
「んー、まあそうかも」
カサネはあっさりと白状した。酒が入っていることもあるのだろう。
「あんね、私ね」
「はい?」
「ドルフィオ・クレーティみたいになりたいんだぁ」
「え?」
ドルフィオ・クレーティ。現在は故人だが、誰もが名前を知る有名人。史上初の白金階級を取得した冒険者だ。
何故急に目標の話になるのかは分からなかったが、アルヴィンは酒の入った人間の話に脈絡がないのがなんらおかしいことではないと悟っていた。
「ドルフィオに憧れてるんですね」
「違うよ」
「え、違うんですか」
「ん。私ね、ドルフィオみたいにね、許されたいんだー」
「そうですか」
カサネの言っている意味は分からなかったが、酔っ払いに聞き返してもしっかりとした返答は返ってこないだろうと、アルヴィンは機械的に相槌を打った。
外はもう随分と暗いが酒場はまだ盛り上がっている。結局酒盛りが終わったのは、日付を少し過ぎた頃だった。




