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エイミーは昔から、自分の容姿に自信があった。
容姿にしか自信がないということに気が付いたのは、その少し後だ。
両親には、爵位持ちの男と結婚するよう、幾度となく言い聞かせられていた。
その為だけに、外見を磨き、女としての価値を高めろと。
綺麗だと褒められて純粋に嬉しかったのは最初の頃だけで、年頃になってくると段々と理解した。
自分の価値は、この見た目だけなんだと。
エイミーがどんな女性か、外見ではなくその中身を見てくれる男性は一人もいなかった。
まるで戦利品か何かのように、エイミーに言い寄ってくる男たちの、何と滑稽なことか。
彼らの目的は一目瞭然だった。
エイミーの身体と、美人な妻を娶ったという優越感。それだけだ。
自分は物じゃないと言えるだけの教養は、エイミーにはなかった。
昔から、その美しさだけを求められる人生だったから。
ーーでも、サイラスは違ったわ。
初めて出会った時、サイラスは自分と同じくらい綺麗な顔立ちをした青年だった。
そして、エイミーに全く興味を示さなかった。
衝撃が走った。
見た目が全ての自分だ。
その自分に、目もくれない男性がいる。
気付けば、躍起になってサイラスを追いかけていた。
美しさに目を向けてもらえないということは、すべて、エイミー自身の存在価値を否定されたも同義だったからだ。
ーーでも、結局サイラスは付き合ってからも、私の外見には興味がなかったわね。
諦めずつきまとって、何とか付き合うことになったはいいものの、サイラスは変わらなかった。
どんなに美しく着飾っても、エイミーの顔や身体には関心を示さない。
美しい男性というのは、他者の美には目を向けないものなのだろうか。
そう本気で悩んだこともあった。
見た目の良し悪しに興味がないだけだと、そう気付いたのは、サイラスがエイミーに何度も質問を投げかけてくれたからだ。
エイミーの趣味嗜好、興味関心について。
残念なことに、エイミーにはどれも答えられなかったけれど。
美を追求することだけを求められ、従ってきた自分には、己というものがなかったのだ。
情けないと思った。
何もない自分に。
同時に、サイラスがエイミーの外見ではなく中身を知りたいと思ってくれていることに、女性として初めての喜びを感じた。
この人なら、老いてその美しさを失ったとしても、変わらず自分を愛してくれると思った。
運命の人だと。
ーーああ、それなのに……。
彼は結婚してしまった。
好きでもない人と。
醜聞からリリーの名誉を守るという、何とも許しがたい理由で。
ヴェロニカなら、まだ理解できた。
エイミーとはまた違ったタイプの美人。
ライリーと名乗るサイラスの知人に唆されて、毒を盛ろうとしたこともあったけれど、それはヴェロニカがサイラスを愛していないと聞かされたからだ。
サイラスが利用されていると思うと、どうしても許せなかった。
だから、言われるがままに、お見舞いの品に毒の木の実を忍ばせた。
結局、エイミーには人殺しをする度胸などなく、未遂に終わったけれど。
今、目の前にいる男性がそのヴェロニカの夫で、エイミーに復讐しようとしているというのは、何とも因果応報な話だった。
ーーわたし、死ぬのね。
銃口を向けられた時、死を覚悟して。
同時に、サイラスのことを想った。
そして、夫であるハロルドの顔がよぎる。
「わたしは悪くない!」
そう叫んだのは、ヴェロニカを殺そうとしたことを知られて、サイラスに嫌われたくなかったからか。
それとも……。
「危ない!」
叫び声と共に、エイミーの身体に衝撃が走った。
リリーに突き飛ばされたと気付いたのは、倒れ込みざまで。
リリーの頬から赤い鮮血が散っている。
が、リリーは気にした素振りも見せずに、エイミーに向かって、再び叫んだ。
「逃げて!」と。
エイミーは反射的に立ち上がり、森の方へと駆け出した。
「公爵、どうか彼女を殺さないでください」
「うるさい!」
背後で、何発か銃声が響いた。
と、同時にヒビが入ったような軋む音も。
エイミーは思わず振り返った。
見れば、どうやら銃弾は逸れて、リリーの足元の氷に命中したらしい。
あの距離で目標を外したのは、公爵が銃を使い慣れていないからか、それとも人としての良心が残っていたからなのか、エイミーにはわからなかった。
ただ、彼女の足を止める理由にはなった。
その時。
「サム?!」
リリーが驚いたように叫んだ。
どこに潜んでいたのか、公爵に飛びかかる犬の姿が見える。
的確に腕に噛みつかれ、公爵は悲鳴をあげた。
が、決して銃は離さなかった。
どこにそんな力があるのか、犬に噛まれたまま反対の手で銃を持ち直す。
エイミーにもわかった。
公爵が犬を撃つつもりだと。
「やめて!」
叫ぶリリーをよそに、銃の引き金は引かれ、無情にも、犬はその場に崩れ落ちた。
「なんてことを……」
リリーは泣きながら、サムと呼ばれた犬に駆け寄ろうとして。
刹那、エイミーにははっきりと見えた。
その振動で氷の割り目が広がっていく様が。
危ないと忠告することはできなかった。
とどめとばかりに、公爵が氷上に向かって銃を撃ち、足蹴にして、ヒビ割れを広げたからだ。
あっという間に、氷はドミノのごとく割れていき、吸い込まれるようにリリーは池の中へと落ちていった。
エイミーは口元を覆った。
悲鳴に似た、このことばにならない感情を声と共に押し殺して。
エイミーは再び走り出した。
振り返ることはしない。
ただ夢中で走った。
誰でもいい。
誰でもいいから、助けを呼ばなければいけないと思った。
そうしなければ、リリーは死ぬ。
エイミーを庇ったせいで、リリーは死んでしまうのだ。
ずっと彼女のことが嫌いだった。
自分よりも遥かに劣った容姿のリリーが。
サイラスに無理強いをする性悪女だと思ったから。
でも、今ならわかる。
ハロルドの言う通りだった。
サイラスはリリーを愛している。
外見ではなく、内面から溢れるその美しさゆえに。
美しく在れというのは、きっとこういう心の優美さを言うのだと、初めて気付いた。
自分にはない、他者を思いやる眼差しも、困った人に差し伸べる手の温もりも。
リリーには全てある。
サイラスにはそのことがわかっていたのだ。
ーー彼女はわたしを助けてくれた。ずっと嫌な態度しか取っていなかったのに。命をかけて守ってくれようとしたわ。
振り返って考えてみると、リリーは最初からエイミーのことを気にかけてくれていた。
無遠慮に別れろと迫った時でさえ、彼女は精一杯の思いやりを示そうとしてくれていたではないか。
エイミーは綺麗な顔を歪めた。
涙が頬を伝うが、決して拭わない。
そんなことをしている暇があったら、少しでも進まなければならなかった。
ーーわたしはまだ"ありがとう"も"ごめんなさい"も伝えていないわ。
もつれる足を叱咤し、ただただ走り抜ける。
どれほど足を動かしても、全く進まないような虚無感をひしひしと感じながら。
どれほどの間、走っていたのかはわからない。
が、茂みを飛び出した時、その歩みは止まった。
少し遅れて、転倒してしまったことに気付く。
立ち上がりたくても、足を挫いてしまったのか全く叶わなかった。
エイミーはその場に突っ伏した。
ーーああ、お願い……お願いだから……。
助けてと、エイミーが消え入るように呟いた時。
大丈夫かと問われたような気がして、エイミーは視線をあげた。
涙でよく見えなかったが、そっと身を起こされて初めて、それが幻ではなく、誰か人の手によるものだと悟ったエイミーは、嗚咽混じりに懇願した。
「助けて……お願い。お願いだから、彼女を……リリーを助けてあげて」
ーーサムは大丈夫かしら。レディー・エイミーも無事に逃げられていたら、いいのだけれど……。
リリーは白みがかった冷たい青の中で、ぼんやりと考えていた。
水中に落ちたにしては、やけに冷静だった。
が、これも意識が朦朧とし始めているからだとすれば納得がいった。
足掻いても足掻いても、服が重石となって、リリーは水面に浮かび上がることができなかった。
手を伸ばすも、もちろん掴まれることなどない。
寒い、とにかく冷たい。
そして、息が続かない。
苦しい。怖い。
リリーが死を覚悟した瞬間だった。
よぎったのは、リリーの大切な人たちの顔で。
家族や友人との思い出が次々と現れては消えていく。
ーーああ、これが走馬灯というものなのかしら。
死にたくない。
諦めたくないのに、リリーは少しずつ意識が遠のいていくのを感じた。
最後に頭の中に浮かんだのは、とある人物の笑顔で。
消えゆく生命の灯火の中、リリーはそれに返すように微笑んだ。




