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リリーは何度か瞬きを繰り返した。
一面真っ白な空間の中に、独りポツンと立っている。
その理由を考え、ああ、いつもの夢かと納得した。
ーー変ね、いつの間に眠ってしまったのかしら。
何かあったような気もするが、いまいち思い出せない。
頭が混乱しているのだろうか。
「どうして、ここにいるの」
どこか責めるような口調に、リリーは急いで振り返った。
すぐ近くに、いつも夢の中で出会う男の子がリリーを見上げるように立っている。
リリーは、思わず破顔した。
「久しぶりね、リチャード」
見知った顔に安堵しつつ、リリーは屈んで目線を合わせた。
が、リチャードは眉を寄せていて、やはりどこか不機嫌顔のままだった。
「どうして、ここにいるの」
重ねて言われ、リリーは考え込んだ。
「実は、よくわからないのよ。わたし、いつの間にベッドに入ったのかしら」
「呑気なことを言わないでよ。あんなに言ったのに……気をつけてって」
「ご、ごめんなさい」
リリーは反射的に謝った。
リチャードが怒っているというより、不安そうだったからだ。
時折、背後を気にするような仕草に、リリーもつられて視線をやる。
一面真っ白だと思っていた風景に変化を感じ取ったのは、その時だ。
リリーたちがいるこの場所から遥か彼方、後方に暗闇が見える。
降雨の前に立ち込める黒い雲のような、そんな不吉な暗さだ。
しかし、なぜだろう。
妙に惹かれてしまうのは。
リリーは吸い寄せられるように立ち上がり、そちらに向かって一歩踏み出した。
「ダメだよ」
パッと手を握られ、遮られる。
リリーは驚いたように、リチャードを見つめた。
「な、何?どうしてダメなの?」
「いいから、もう行こう。ここにいちゃダメだ」
「でも……」
「さあ、早く」
グイグイと引っ張られ、リリーは仕方なく歩き出した。
後ろ髪を引かれる思いだが、本能的にリチャードの言う通りにしなければいけないような気がしたのだ。
「……何だか音が聞こえるわ」
ふと気付いたことを呟く。
が、リチャードは不思議そうにリリーを見上げているだけだった。
「聞こえない?何かが擦れるような音」
「ううん、僕には聞こえないよ」
「そう……じゃあ、気のせいね」
リリーはあまり頓着せず言った。
それよりも気になることがあったのだ。
「ところで、わたしたちはどこに向かっているのかしら」
「扉だよ、向こうにあるんだ。そこが出口になっている」
「へぇ」
じゃあ、リチャードの両親もそこにいるの?
そう聞こうとして、リリーは思わず声をあげた。
何かに足を引っ張られたような気がしたからだ。
見れば、足元に黒っぽい靄がかかっている。
「あっちにいけ!」
リチャードが叫ぶと、靄は霧散するように後退していった。
まるで生き物のような動きに、リリーは急に怖くなった。
「あれは何?」
「良くないものだよ。とっても良くないもの。だから、急ごう。時間がないんだ」
「わ、わかったわ」
二人で走り出す。
すると、どうだろう。
パラパラとページがめくれるような音と共に、少しずつ辺りが暗くなり始めた。
先ほどの靄が周囲を覆い始めているのかもしれない。
「大丈夫だよ。後ろで、僕のお父さんが抑えてくれているから」
「そんなことをして、あなたのお父さんは大丈夫なの?」
「うん、平気。でも、あなたはダメ。だから、早くここを抜けださなきゃ」
妙に断言する言い方が気になり、尋ねようとしたが、それはリチャードの「ほら、見て」と言うことばに遮られる。
リチャードの指差す先に、大きなドアが見えた。
どうやら、あれが目指していた扉らしい。
リチャードが手を振りかざすと、大きく開き、扉の向こうから一際明るい光が漏れた。
妙に安心する、温かな光だ。
「さあ、独りで行って」
「ダ、ダメよ。あなたはどうするの?それに、お父さんは?」
「……僕たちはあちらには行けないんだ。だから、気にしないで」
「そんな……」
見れば、パラパラと加速する音と共に、辺りはもう殆ど漆黒の闇に覆われている。
こんな怖い所に、幼い子どもを置いていくことなどできない。
リリーは頑なに首を横に振った。
「悲しいことを言わないで。一緒に行きましょう?」
「……どうして?どうして、そんなに必死なの?」
問われ、リリーは戸惑った。
子どもを見捨てられないというのは当たり前として、こんなにも切羽詰まっているのはなぜだろうと考え……。
「あなたのことが大好きだからよ」
自然と出たことばだった。
が、その気持ちに偽りはない。
そう。リリーはリチャードを愛しているのだ。
なぜ、今まで気付かなかったのだろう。
「本当?本当に僕のこと、好き?」
「ええ。理由はよくわからないけれど。わたし、あなたのことが愛おしくて堪らないの」
そう言った瞬間、リチャードがギュッと飛びついて来た。
リリーも応えるように抱きしめる。
「嬉しいな。僕も大好きだよ。ねえ、僕のこと、目が覚めても覚えていてくれる?これからもずっと好きでいてくれる?」
震える声音で訊かれ、リリーは安心させるように背を撫でてやった。
「もちろんよ。絶対に忘れない。ずっと、ずっと大好きよ」
リチャードは腕の中で「うん」と小さく頷いた。
震えているのは、泣いているからだろう。
リリーの瞳からも、涙がとめどなく溢れた。
彼を見ていると、なぜだろう。
愛おしくも、悲しくなるのは。
「愛しているわ、リチャード。わたし、あなたのことを、いつまでも愛してる」
「ありがとう。僕もずっと愛してるよ」
その刹那、空間が反転した。
リチャードと引き離されるように、開かれた扉の向こう側へと落ちて行くリリー。
手を伸ばしたが、リチャードはそれを掴んではくれなかった。
代わりに、手を振って応えてくれる。
「ああ……」
リリーは涙が止まらなかった。
ずっとあの小さな体を抱きしめていたかった。
その温もりを手離したくなかった。
その場に留まって、ずっと一緒に、居たかった。
ーーダメだよ、リリー。
リリーはハッとした。
いつの間にか、リチャードの隣で彼の肩に手をかけて微笑んでいる人がいる。
リチャードと同じ金髪の。
リリーが、ずっと会いたかった人。
初めて出会ったその時から、愛していた大切な人が。
ーー君は生きなきゃいけない。僕たちの分まで。わかるね?
ええ、わかるわ。
リリーは何度も頷いた。
ここにきて、ようやくわかった。
彼らの正体。この溢れる感情の意味を。
ーーずっと謝りたかった。大切にしたかったのに、上手くできなくて本当にごめん。でも、ずっと愛してた。ずっと、ずっと愛してたよ。だから、リリー。どうか……。
いつまでも幸せに。
最後のことばは、リリーの頬を撫でるように、優しく耳に届いて。
そして、本を閉じるように消えていった。
リリーは扉に向かって叫んだ。
リチャードの名、そしてジェイソンの名を。




