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フレデリック・スペンサーは相変わらず整った顔立ちをしていた。
が、リリーには若干やつれているように感じられた。
出会った頃は、まだあどけなささえ残っていた彼との付き合いも、もう長い。
だからこそ、フレデリックの目の下のクマを見ていると悲しくなった。
彼が未だにジェイソンの死を引きずっているとわかるからだ。
つい最近まで自分もそうだったのだと思うと何とも歯痒くなるが、リリーはその感情を押し隠してフレデリックを出迎えた。
「リリー、久しぶりだね。会えて本当に嬉しいよ」
「わたしもよ。さあ、立ち話も何だから入ってちょうだい」
室内に案内する間、リリーは相槌を打ちながらフレデリックが喋るままに任せていた。
フレデリックと会う時、基本的にリリーはこのように聞き手に回る。
特に、ジェイソンの死後はフレデリックが落ち込んでいることが多いので慰めるのがリリーの役目となっていた。
負い目があったからこそ、リリーは甘んじてその役回りを演じていた。
もちろん、フレデリックが大切な友人だったからというのもある。
もともとリリーが聞き上手であったことも手伝って、その関係はジェイソンが死んで七年経った今でも続いていたが、それはつまり友人として育んできた時間でもあった。
ただ、今日で彼とのその関係性は変わってしまうかもしれない。
そう思うと、リリーは思いのほか緊張してしまった。
それには気付かず、フレデリックは先ほどまでサイラスが座っていた椅子に腰をかけた。
リリーも倣って、正面に座る。
サイラスは今、別室で控えているので、室内にはリリーとフレデリックの二人きりだった。
いつものように、まず近況を報告し合う。
「最近は寒いね。ほんと嫌気がさすよ。雨が多いのは元々だけど、雪も降るようになってきたからかな」
「そうね。この間なんか、池の水が凍っていたそうよ。あなたの領地は比較的、晴れる日が多いから余計に堪えるでしょう」
「まあね。でも、この寒さと天気こそ社交界シーズンって感じもするよ。領地にこもっていると忘れがちになるけどさ。そういえば、ピーターは元気?今日はいないの?」
「ごめんなさい、出かけているわ。仕事が忙しいみたい。新しく商売を始めるのよ」
「へぇ、あのピーターがね。やるなぁ」
「サイラスが手伝ってくれているの」
「サイラス?ああ……君の旦那だね」
「今度、紹介するわ。面識はあったかしら」
「多分ないと思うよ。でも、僕はあんまり会いたくないなぁ。噂を聞く限り、苦手なタイプっぽいし」
実は、そのサイラスが今隣の部屋にいるとは言えず、リリーはことばを濁した。
それには構わず、フレデリックは「ところで」と話題を変えた。
「モリーのことなんだけどさ」
「ああ、事件のことを聞いたのね。本当に恐ろしいわ。モリーには、早く元気になって欲しいわね」
「元気だったよ」
「え、ちょっと待って。あなた、モリーに会ったの?」
「うん」
リリーは目を丸くした。
あの事件以降、リリーは一度もモリーに会えていない。
あまり迷惑をかけたくないので、頻繁にやり取りはしないが、月に何度かは手紙を送っていた。
それでも直接会うのは絶対に断られていたのに、なぜ?という気持ちでフレデリックを見つめる。
が、今一番気になるのはモリーの体調だったので、リリーは身を乗り出して尋ねた。
「モリーの怪我の具合はどう?」
「大分良くなっているみたいだよ。今は起き上がれるみたいだし」
「それは本当に良かったわ」
「でも、問題は心の方だと思う」
「そうよね、あんなに怖い目にあったんだもの。精神的にショックを受けて当然だわ。犯人が捕まるまでは、モリーだって安心できないだろうし」
「うーん、それはちょっと意味が違うというか」
「どういうこと?」
「僕が思うに、モリーは事件のこともそうだけれど、それ以上に恋人とのことで気落ちしているみたいだから」
「え」
リリーは思わず目を瞬かせた。
確かに、フレデリックはモリーとも親交が深い。
モリーが恋愛相談をしてもおかしくはなかったが。
「どうやら恋人と何かあったみたいだね。可哀想に。塞ぎ込んでいたよ」
リリーは何も言えなかった。
お互いに何かあった時、真っ先に相談し合う仲だと思っていたが、モリーはリリーではなくフレデリックに話をしたのだろうか。
モリーが何だか遠い存在になったような気がして切なかった。
「モリーの気持ちはわかるよ。僕もジェイソンと色々あったからさ」
「……そうね」
リリーが心ここにあらずといったように相槌を打つと、フレデリックは面白くなさそうに口を窄めた。
「最近、君は冷たいね。あんまり会ってくれないし。僕は君に聞いて欲しいことがたくさんあるのにさ。僕のことはもう嫌いになった?」
「そ、そんなことないわ。あなたのことは大切な友人だと思っているし大好きよ。ただ……わたしも色々あって」
「伯爵が帰ってきたって言うんだろう?君は結婚した時も同じことを言っていたよね。でも、新婚時代は変わらず会ってくれたじゃないか。それなのに、今は色々あるって変だよ。君らしくない」
「わたしらしいって何?」
リリーは思わず口を開いていた。
フレデリックにとってリリーは七年前と同じ、御し易い人間なんだと言われているようで、無性に反論したくなったのだ。
リリーは変わった。良くも悪くも。
しかし、少なくとも前を向いて進もうとしている。
それを肯定してくれる人がいて、支えてくれる人がいる。
これが、どれほど幸せなことか。
リリーはすでに知っていた。
だからこそ、「らしくない」というフレデリックのことばで、それら全てを否定されたような気がしてならなかった。
大切なものを踏みにじられたように感じて、リリーが思わず唇を噛みしめると、フレデリックは眉を上げた。
「リリー?急にどうしたの?何だか変だよ」
「わたしね、変わったのよ」
リリーがキッパリ言うと、フレデリックは怪訝そうに目を細めた。
それを真正面から受け止める。
想像していたとはいえ、彼の反応に傷ついている自分がいた。
しかし、言わなければならないと思った。
そうでないと始まらない。
リリーは意を決したように口を開いた。
「あなたに伝えたいことがあるの。聞いてくれる?」
「う、うん」
「わたし、色々な人と出会って変わりたいと思うようになったの。いつまでも過去に囚われていてはいけない。それでは、わたしだけじゃない、周りの人も不幸にしてしまうとわかったから。だからね、フレデリック。わたし、もうジェイソンのことを引きずるのは止めようと思うの」
フレデリックの瞳が大きく見開かれる。
当然だ。彼にとって、リリーの気持ちの変化は唐突過ぎた。
しかし、リリーは勢いのまま続けた。
この機会を逃したくない一心だった。
「もちろん、あなたのことは今でも大切な友人だと思っているわ。あなたが望むなら、今後も力になる。でも、こんな風にコソコソ会って昔の思い出に浸るのは、もう止めにしたいの」
リリーの真っ直ぐな瞳に、フレデリックはたじろいだようだった。
まるで不気味なものを見るように、リリーの顔色を伺っている。
「リリー、君は一体何を言っているんだ。そんなの……そんなの、おかしいよ。だって、君はジェイソンを愛しているだろう?」
「ええ、愛していたわ」
リリーは過去形で言った。
いや、あえて言ったのだ。
傷付いたような表情のフレデリックに心が痛むが、言わなければならない。
きっと、それが友人としての務めだから。
「あなたにジェイソンのことを忘れて欲しい訳じゃないの。もちろん、わたしも忘れない。でも、いつまでも彼を引きずるのは建設的じゃないと思うの。フレデリック、あなたはまだ若いわ。これからいくらだって幸せになれる。わたしは、あなたにその機会をみすみす手放して欲しくないのよ」
「何で、そんなことを言うんだよ」
あなたが大切だからよと、リリーは思った。
リリーでなければ、言えないことがある。
ジェイソンの元妻で、フレデリックの友人であるリリーだからこそ、言えることもあるのだ。
リリーは祈るような気持ちで、フレデリックを見つめた。
どうかフレデリックにこの気持ちが伝わりますようにと。
「君はなんて残酷なんだ。僕にジェイソンのことを忘れろなんて……そんなことできるわけない。酷い、酷過ぎるよ」
「フレデリック、わたしは……」
「止めてよ!僕がどうしたいかは自分で決める!僕の気持ちは、僕だけのものだ!君に指図されたくない!」
叫ぶフレデリックを、リリーは悲しげに見つめた。
フレデリックは気付いていない。
今、彼がどんな表情をしているのか。
「そうよね」
リリーは意識して声音を和らげた。
フレデリックの顔を、これ以上見ていられなかった。
「あなたのことはあなた自身が決めればいいわ。わたしがとやかく言うことじゃなかった、それはごめんなさい。でもね、フレデリック。愛って人を幸福にするものじゃないの?あなたは今、幸せ?」
フレデリックは何も答えなかった。
答えたくないのか、それとも答えられないのか、リリーにはわからなかったけれど、七年前、幸せそうに笑っていたフレデリックを知っているだけに、今の彼を見ていると酷く胸が締め付けられた。
きっと、これはリリーにも責任があるのだ。
もっと早くこうするべきだった。
本当にフレデリックのことを想うならば。
この七年間、傷を舐め合うような依存関係から脱却する機会はいくらでもあったというのに。
「ごめんなさい、フレデリック。酷なことを言っているのは十分承知しているわ。でも、あなたにはわかって欲しい。幸せになることを恐れず、前に進むべき時が必ずやって来るということを」
リリーは泣くまいと思った。
泣く権利がないことを知っていたから。
掌を握りしめながら、ただ繰り返した。
「ごめんなさい」と。
「……帰るよ」
リリーは反射的に顔を上げた。
が、フレデリックはすでに背を向けて帰ろうとしている。
「フレデリック、わたし……」
「もういい。君とはもう二度と会わない。それが君の望みだろ」
「違う!わたしが言いたいのは……」
「さようなら、リリー」
フレデリックは立ち止まらなかった。
こちらを振り返ることもない。
それは今生の別れを意味していた。
引き留めなければならないと思った。
ここで引き下がれば、今までの自分と何も変わらない。
諦めて受け身でいるだけの過去の自分と決別しなければ、また大切な人を失ってしまう。
それだけは、どうしても嫌だった。
だからこそ、リリーは急いで立ち上がった。
「待って」と乞うが、フレデリックは一向に意に介さない。
どうすれば彼を引き留められるのか、リリーが必死に考えを巡らせていると。
「ウィンターベル侯爵、待ってください」
フレデリックの足が止まる。
引き留めたのは、リリーではなくサイラスだった。




