69
リリーは室内をウロウロしていた。
珍しく落ち着きがない。
それは、これから来るであろう人物を思ってだった。
一週間前、フレデリックに連絡をした。
一度、リリーの町屋敷で会いたいと。
彼はすぐに了承した。
今日、リリーはフレデリックに会うことになっている。
緊張はそのためだ。
「リリー、平気か?」
サイラスが心配そうに声をかけてくれる。
リリーとは対照的に、サイラスは普段と変わらず泰然としている。
それに勇気付けられ、リリーはゆっくりと腰を下ろした。
サイラスが居てくれて良かったと思った。
でなければ、フレデリックと向き合えなかったかもしれない。
「ありがとう、大丈夫よ」
そう言って、カップに手を伸ばし口をつける。
いや、つけようとして止めた。
中身が空だったからだ。
新しく紅茶を入れようとしたリリーだったが、それを遮る声がした。
「失礼いたします」
声の主はわかっている。
タウンハウスの管理人であるハンクだ。
リリーは微笑みながら「どうぞ入ってちょうだい」と声をかけた。
「もしかして、新しいお茶を持って来てくれたの?」
ハンクが持つ茶器を見ながら尋ねると、彼は丁寧に頷いた。
「そろそろお茶が冷めている頃合いだと思いまして、入れ直してまいりました。いかがですか?」
「ありがとう、頂くわ」
ハンクは本当に気が利く。
もともと執事として経験を積んでいるので、仕事が丁寧だった。
タウンハウスの管理人にしておくのはもったいないほどに。
「そういえば、あなたが昔よく入れてくれたお茶があったでしょう?黄色い花のハーブで苦味があるお茶よ。覚えている?」
「はい」
「あの時はありがとう。ジェイソンを亡くしたばかりで落ち込んでいた時だったから、本当に嬉しかったわ」
「とんでもございません」
「実はね、またあれを飲みたいと思っているのよ。よかったら、何のハーブティーだったか教えてくれないかしら」
「コモンルーだと思います」
昔から、実家の花壇には沢山のハーブが植えてあった。
にも関わらず、ハンクは全て把握していて、七年経った今でも覚えている。
年齢を重ねても、彼の記憶力は衰えていなかった。
何だか誇らしい気持ちで、リリーは微笑んだ。
「さすがね、ハンク」
「ありがとうございます」
言いながら、紅茶に口をつけて、さらに笑みが溢れる。
渋めの味に、リリーの好みをよくわかっているなと思った。
彼は本当に変わらない。
「サイラスもいかが?」
「ああ、頂くよ」
ハンクが黙ってサイラスのカップに紅茶を注ぐ。
それを見つめながら、リリーはハンクに尋ねた。
「ところで、あなたに少し聞きたいことがあるの。構わないかしら」
「はい。何でございますか」
「あなたのその記憶力を見込んで尋ねるのだけれど、七年前のことを教えて欲しいの。ジェイソンが亡くなった日のことよ。わたしが知らないことで、何か変わったことや気になることはなかったかしら」
「それは……」
「わたしなら大丈夫よ」
ハンクは優しいので、七年前のことを今まで触れずにいてくれた。
リリーもあえて自分から話すことはなかった。
それを知りたいと言えるようになった今の自分は、果たしてハンクの目にどう映っているのだろうか。
リリーは祈るような気持ちで、ハンクを見つめた。
「お願い、あなたが覚えていることだけでいいの。何でもいいから教えてくれないかしら」
「……わかりました」
「ありがとう」
リリーは安堵の気持ちで微笑んだ。
記憶をさぐるように目を瞑るハンクを、じっと見守る。
「奥様がお出かけになった後のことから、お話しいたしましょうか」
「ええ、お願い」
「ジェイソン様は、数日間は普段と変わりなくお過ごしになられていました。夜遅くまで、ご友人たちとお出かけになることが多かったと記憶しております」
おそらく、その友人の中にはフレデリックもいたのだろうとリリーは思った。
「奥様もご存知のように、ジェイソン様は交友関係が広いお方でした。連日のパーティー続きで、わたくしは毎日忙しくしておりました。しかし、あの日……ジェイソン様が亡くなった日だけは違いました。ジェイソン様は急に使用人全員に休みを取るようにおっしゃったのです」
当時、使用人たちには毎月七日間の休みと週に一度だけ半日休を与えていた。
屋敷には沢山の使用人がいたので、交代で休みを取ることができたのだ。
もちろん、希望があれば長期休みも許可していた。
使用人が少ない屋敷ではこうはいかない。
しかし、さすがに全員一度にいきなりというのは珍しいことだった。
「そういえば、あの夜はあなたたち誰もいなかったわね」
リリーが予定を変更して屋敷に帰ってきた時、誰も出迎えてくれなかったのは、ジェイソンが使用人に暇を出していたからだったのか。
「しかし、それが仇となりました。誰かお側に居れば、ジェイソン様もあんなことには……」
「そうね……」
リリーが眉を下げると、今まで黙って耳を傾けていたサイラスが口を開いた。
「本当に誰もいなかったのだろうか」
「どういう意味?」
「わざわざ人払いをしたのだから、彼は誰かと会うつもりだったんじゃないかな」
それはフレデリックだろうと思ったが、声には出さない。
ジェイソンとフレデリックとの関係を、あまり人前で言うべきではないからだ。
それでも、サイラスはリリーが言わんとしていることを理解したように頷きながら言った。
「わかっている。でも、違う人物と会った可能性もあると思うんだ。リリー、君は何か覚えていない?」
「どうかしら」
あの夜のことを細部まで覚えているかと問われても、自信をもって頷けない自分がいる。
それでも思い出そうとして、リリーは過去を振り返るように瞳を閉じた。
そして、ふと顔を上げる。
「そういえば……」
「何?」
「倒れているジェイソンに近付こうとした時、視線を感じたような気がするわ」
あれは、ジェイソンの亡骸に縋るフレデリックを見下ろしている時だった。
誰かに見られているように感じて、外を眺めたのだ。
窓ガラスに映る醜い表情の自分を見てしまったのも、そもそもそれがきっかけだったように思う。
汚い本性を垣間見て打ちのめされていたリリーは、すっかりそのことを忘れていたのだが。
「外に誰かいたと?」
「わからないわ。あの時は、確認するどころじゃなかったし。ハンクはどう思う?」
「書斎にある窓は庭に面していましたので、外部の人間が入り込もうと思えばできたとは思いますが」
「そう……」
あの夜、知らないうちに誰かが敷地内にいたのだろうか。
そして、リリーを見ていたのだとすれば、かなり不気味だった。
リリーが無意識に腕を撫でると、サイラスが視線だけで「大丈夫か」と問うてきた。
もちろん怖かったけれど、リリーはこの場を離れるつもりはなかった。
知りたかった。いや、知らなければならないと思ったのだ。
サイラスは言わなかったが、もしリリーに対して悪意を抱く人物が本当に居たとしたら、今までリリーの身の回りで起こった不穏な事件の数々は全てリリーのせいということになる。
知らなかったではすまされない。
リリーはギュッと両手を握り締めた。
過去から逃げないと決意した時、まさかこんな形でジェイソンと向き合うことになろうとは思わなかったけれど、これはリリーが立ち向かうべき壁なのだ。
逃げられない。
リリーは決意したように、ハンクを見た。
「話を戻しましょう。ハンク、暇を出されたあなたは、その後どうしたの?」
「ジェイソン様の身の回りのことをある程度済ませてから、わたくしも出かける準備をしました。昼過ぎには、挨拶を済ませて屋敷を出たと思います」
「他の使用人たちも?」
「はい、同じように出かけていきました。使用人の中では、わたくしが最後だったと思います」
「その間、訪ねて来た人は?」
「誰もおりませんでした。ただ、夜にどなたかはいらっしゃっていたと思います。屋敷の廊下で後ろ姿を拝見しましたので」
「誰かしら」
「確かなことは、わかりかねます。急いでいたようでしたので、わたくしはチラリとしか見ておりません」
「ちょっと待ってくれ」と、サイラスは話を遮って言った。
「君は、昼過ぎには出かけたのだろう?なぜ、夜に屋敷の廊下にいた"誰か"を見ることができるんだ?」
ハンクは若干、片眉を上げた。
彼が不機嫌そうにするのは珍しいことだった。
サイラスがハンクによく思われていないと感じているのは、こういうふとした仕草からなのだろう。
「忘れ物をしたことに気が付き、わたくしは夜中に屋敷に戻りました。その時に拝見したのです。相手の方は外套をお召しになっていました。背格好から推測するに、おそらく男性の方だったと思います」
男性ということは、フレデリックだろうか。
それとも数多いるジェイソンの友人たちの内の誰かなのか。
リリーが帰って来た時は誰もいなかったので、その前の出来事なのだろうが、少し気になる。
「その時、あなたはジェイソンと会った?」
「はい、書斎から明かりが漏れておりましたので、挨拶をしに参りました。ところが、声をおかけしても、ジェイソン様はどこかぼんやりしたご様子で、本棚の本を手に取りパラパラとめくっておいででした」
「ジェイソンが本を?」
それは、珍しいなと思った。
当時、読書はもっぱらリリーだけがしていたのだ。
ジェイソンは推理小説好きだったが、その手の本は全て私室に置いていたので、書斎の本に手を出すことはなかった。
「何の本を読んでいたのかしら」
「わかりません。しかし、読書をしていたわけではないと思います。すぐに、ページをめくる手を止めましたので。その時、"リック"と呟いていたのを覚えております」
「リック?誰かしら?」
ジェイソンの友人は多い。
その中の一人だろうか。
「もしかして、その"リック"というのが、ハンクが見た人かしら」
「どうだろう」
サイラスは何かを考えるように、腕を組んだ。
が、ふと思い付いたように言った。
「彼はその時、何かしていなかったか?例えば、文字を書くとか」
ハンクは一瞬、怪訝そうにサイラスを見た。
しかし、すぐに肯首した。
「はい。ジェイソン様は何かを思いついたように、本に書き込んでおられました」
メモ魔だったジェイソンらしいと、リリーは思った。
彼は、思いついたことを、その辺りのものに書き記してしまう癖があったのだ。
しかし、なぜサイラスはそれがわかったのだろうか。
チラリとサイラスを伺っても、その答えはよくわからなかった。
「そういえば」
「何?」
「その時、おかしなことを頼まれました」
ジェイソンは突拍子がない言動を取ることがままあったが、付き合いの長いハンクがそう言うのだからよっぽどだろうと、リリーは思った。
「おかしなことって?」
「臓物のスープを用意してくれとおっしゃったのです」
「え?」
それは確かにおかしいわと、リリーは思った。
ジェイソンは肉料理が好きだった。
野菜でさえ嫌がってあまり食べないのに、臓物のスープなど絶対に口にしない。
「それは……変ね」
「わたくしも首を傾げました。しかし、ジェイソン様はどこか嬉しそうに微笑んでいらっしゃったので、ご用意いたしますとお答えしました」
「……そう」
結局、ジェイソンはその後、自殺を図ったので、スープを口にすることはなかったわけだが、リリーにはジェイソンの言動の真意がさっぱりわからなかった。
彼は何を思い、何をしようとしていたのだろうか。
そもそも、ハンクが語るあの夜のジェイソンは、自殺を図るような心理状態ではなかったように思う。
よほど、フレデリックに別れを切り出されたのがショックだったのだろうか。
それとも、サイラスが考えているように、本当にあれは自殺ではなかったのか。
リリーは混乱した。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
フレデリックはどうだろう。
彼なら、何かしらの答えをくれるのだろうか。
生きたジェイソンに会った最後の人物と目されているフレデリックならばあるいは……。
考え込んでいると、ハンクが申し訳なさそうに言った。
「あの、もしよろしければ、そろそろ仕事に戻りたいのですが」
「それもそうね。サイラス、構わないかしら」
「ああ」
「ハンク、忙しいところ本当にありがとう。とても参考になったわ」
「とんでもございません。それでは失礼いたします」
そう言ってハンクが丁寧に退出していくのを、リリーはサイラスと二人、見送った。
何となく、その後はほとんど喋らずに過ごしてしまったが、それはお互いに考えることが多かったからだろう。
ジェイソンの謎の言動の意味を自分なりに考えたかった。
全てのことの発端とも言える、ジェイソンが亡くなったあの日に思いを馳せること暫し。
使用人から客の到来を告げられたリリーは、考えるのを一旦中断して居住まいを正した。
ほどなくして、渦中のフレデリック・スペンサーが姿を現したのだった。




