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帰ってきた夫  作者: 西子
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舞踏会当日。

屋敷を出発する前から、今日のリリーはなんて綺麗なんだろうと、サイラスは思っていた。

リリー以上に張り切って支度をしてくれたメイドのレイチェルの手腕もあるだろうが、買ったばかりのバイオレットのドレスが、リリーの白い肌に映えて本当によく似合っている。

舞踏室に足を踏み入れた時、リリーは自分が噂のせいで注目されていると考えたようだが、サイラスの目には違って見えた。

ドレスアップしたリリーに、思わず目を奪われた。

正確に表現するなら、それが真実だろうと。

もちろん、リリーの過去やサイラスとの関係が気になって、コソコソと耳打ちしながら見つめる人たちもいたが、圧倒的に多かったのは前者だろう。

リリーが気付いていないのは残念だが、彼女らしいとも思う。

そんなリリーを、サイラスは思いきってダンスに誘った。

夫であるサイラスと踊ってしまえば、ダレンもリリーを誘いやすくなるだろうと思ったのだ。

サイラスとしてもダンスは久しぶりだったが、もともと得意なのであまり苦労はなかった。

反してリリーは、涼しい顔でステップを踏むサイラスとは対照的に、眉を少し寄せてステップを間違わないことだけに集中しているようだった。

サイラスは、夫に恥をかかせまいと必死にステップを踏むリリーを見つめた。

ダンスはあまり得意でないだろうに、それでも頑張ってくれる、彼女の優しさが嬉しかった。


ダンスは、あっという間に終わった。

その後は、ずっとリリーの傍に付き添う。

その間も、視線はずっと周囲を見渡していた。

リリーに何か仕掛けてくる人物がいないかどうかというのが一つ。

亡くなる前に、リリーの両親が開いた集まりに参加していた貴族がいないかというのが一つだ。

前者に関しては、まだ判断材料が足りないのでいまいちわからなかったが、後者に関しては見当を付けていた。

エルの情報にあった貴族の一人、ギブソン夫人を、先ほどテラス付近で見かけたからだ。


頭の中で、夫人に声をかける算段をつける。

ふと、隣のリリーが考え込んでいることに気が付いたのは、そんな時だ。

リリーの視線を追って、舞踏室の端を見つめる。

そこには、ポツンと一人で立ち尽くすジニーの姿があった。

あまりにリリーが心配そうな表情をして見つめているものだから、余計なことかもしれないと思ったが、知人の紹介を打診した。

ダレンの判断を仰ぐことになり、タイミングよく現れたダレンに直接尋ねると、彼はすぐに了承してくれたので、ダレンにリリーを託し、サイラスはその場を離れた。

彼なら、必ずリリーを守ってくれるという信頼があってこそだ。


リリーたちと別れて寸刻。

早く知人に声をかけて回りたかったサイラスは、しかし、その意思に反して、何度も足止めをくらっていた。

久しぶりに社交界に復帰したサイラスに、声をかけてくる人の、なんと多いことか。

興味本位ならば、適当に話を終わらせることもできたが、ほとんどが本当にサイラスに会えて嬉しいという風だったので無下にできなかったのだ。

昔だったら、間違いなく煩わしいと感じていた。

だが、今は面倒だとは思わない。

そんな自分に、正直驚いた。

この変化は、きっとリリーの影響だろう。

どんな時も、礼節を尽くす彼女を見ていて、サイラスも見習わなければならないと思ったのだ。

話しかけられ、にこやかに対応する。

それを何度か繰り返した頃だろうか。


「あれ?サイラス?」


友人の一人に声をかけられる。

彼とは寄宿学校時代からの付き合いだった。

懐かしい顔に、サイラスも思わず破顔する。


「ゲイリー、久しぶり」

「おお!やっぱりお前か、サイラス。本当に久しぶりだな。えーと、五年ぶりか?一体、今まで何してたんだよ?」

「……色々、な。まぁ、話せば長くなる。それよりも、聞いたよ。お前、結婚したんだってな。おめでとう」

「ありがとう。って、言っても去年のことだけどな」

「……祝うのが遅くなってすまない」

「まぁ、仕方ないさ。隣国にいたんだからな。それより、後でキャサリンに紹介するから会ってやってくれよ。僕の奥さんは、昔からお前のファンだったんだ」

「ファンって何だよ」

「昔、キャサリンはお前と結婚することを夢みてたんだよ。お前、顔だけはいいからなー。性格はアレだけど」

「おい!」


友人とのこういうやり取りも、本当に久しぶりだなと、サイラスは思った。

五年も疎遠だったのに、変わらず接してくれるゲイリーには感謝の気持ちしかない。


「そういえば、今日はジャックも来ているんだ。よかったら、声をかけてやってくれよ。あいつも昔から、お前のファンだったからな。って、言ってるそばから、ジャックがいたぞ。おーい!ジャック、こっちに来いよ!」


ゲイリーに呼ばれやって来た青年を、サイラスは見つめた。

ゲイリーの弟のジャックだ。

ジャックとは五年ぶりだが、大人しそうな雰囲気ですぐに彼とわかった。

反してジャックは、最初サイラスとはわからなかったようで、緊張気味にサイラスを見つめていた。


「ジャック、久しぶりだな。わたしを覚えているかな」

「もしかして……サイラス?」


頷くと、ようやくジャックの表情が和らいだ。

寄宿学校時代、絡んでくる上級生からジャックを助けて以来、彼はサイラスを慕っているのだ。


「少し雰囲気が変わったね。最初、誰だかわからなかったよ」


「よく言われるよ」と、サイラスは苦笑した。

ジャックは、そんなサイラスを不思議そうに見つめた。


「なんだか変わったのは、見た目だけじゃないみたいだね」

「どういう意味だ?」

「サイラスはあまりこういう場には顔を出さなかったのに、今日は来ているからさ。どういう風の吹き回し?」


妻の付き添いだと答えながら、サイラスはふとジャックを見つめた。

ジャックは大人しくて優しい性格だ。

彼ならジニーのダンス相手にピッタリなのではないかと思ったのだ。

試しに頼んでみると、ジャックは少し困った表情をした。


「僕はあまりダンスが得意じゃないんだ」


では、あまり無理強いするのは良くないな。

そう思ったが、ゲイリーはむしろ乗り気で、ジャックの肩を叩いた。


「いいじゃないか。誘ってみるくらい。お前はいつも消極的過ぎるよ」

「でも、相手の女性に迷惑をかけたくないし……」

「なあ、サイラス。子爵の娘さんは、ダンスが下手な相手を迷惑に思うような人か?」


サイラスは首を振った。

ジニーとはあまり接したことはないが、リリーから優しい性格だと聞いていたので、ダンスの得手不得手だけで人を判断しないだろうと思ったのだ。


「ほら、サイラスもこう言っているんだ。誘ってみるだけ誘ってみろよ」


半ばゲイリーに押し切られる形で、ジャックは頷いた。

ジニーを探しに、人垣の中を歩いていくジャックの後ろ姿を見つめる。

迷惑をかけたかなと思っていると「気にするな」とゲイリーに言われた。


「ジャックもそろそろ積極的にいかないといけないんだ。今日ジャックを連れて来たのだって、それが目的だしな。偶然とはいえ、お前がああ言ってくれて良かったと思っているんだ」

「そうだといいんだが……」

「それよりも、お前、さっき誰かを探していなかったか?」


「ああ」とサイラスは頷いた。

知人の名前を何人か挙げると、先ほどまで一緒にいたらしいゲイリーが、詳しい居所を教えてくれた。

ゲイリーにお礼を言い「また会おう」と約束してから別れる。

サイラスは、そのまま知人に声をかけて回った。

皆、快くジニーの件を引き受けてくれたので、ホッと息を吐き出す。


ーーよし、後はギブソン夫人だけだな。


リリーの両親が開いた集まりに参加していたという夫人。

今夜の舞踏会に参加しているとわかってから、何か有益な情報を得られないだろうかと考えていたのだ。

しかし、なかなか見当たらない。

もしかすると、もう舞踏室にはおらず、休憩がてら別室で何か軽食をつまんでいるのだろうか。

そう考えた時、運良くギブソン夫人を発見したサイラスは、見失う前に急いで声をかけた。

あまり面識がないにも関わらず、夫人は嬉しそうにサイラスの相手をしてくれた。

どうやら夫人はお喋り好きらしい。

しばらく世間話をした後、サイラスは思いきって尋ねた。


「夫人は、わたしの妻の実家と懇意にされていたそうですね」

「あなたの奥様というと……ああ、リリーね。彼女はお元気?しばらく会っていないけれど」

「おかげさまで元気にしています」

「それは良かったわ。ご両親が亡くなって、さぞ悲しかったでしょうけれど、リリーならきっと立ち直ると思っていたわ。アリシアたちが亡くなって、もう何年になるかしら」

「五年です」

「ああ、もうそんなに経つのね。そういえば、その頃にアリシアたちにお茶会に呼んでいただいたことがあったのよ。その後、すぐに二人は亡くなったから、話したのはそれが最後になってしまったけれど、本当に良い人たちだったわ」

「ええ、そうですね」


サイラスが相槌を打つと、夫人は懐かしそうに目をつぶった。


「地元の貴族の方と詩集や戯曲について話したのを今でも覚えているわ」

「楽しそうですね」

「もちろんよ。アリシアはもてなし上手だったから。ジョージはいつも通り、他の貴族の方と狩りについて話し込んでいたけれど、アリシアはホストとして、いろいろな方の相手をしていたわ。本当に話題豊富な方で、楽しい時間を……」

「どうかなさいましたか?」


ふと黙り込んだ夫人に、サイラスが尋ねると、夫人は何かを思い出すように口元に手をやった。


「そういえば、アリシアは最後の方、ちょっと様子がおかしかったわ」

「と言いますと?」

「あれは確か、地元の貴族の方と『王国の悲劇』について話している時だったと思うんだけれど」


王国の悲劇は、有名な戯曲の一つだ。

父を殺して王位を簒奪した弟に、兄が復讐する話だったと記憶している。


「最初はいつもと変わりなかったんだけれど、花を渡すシーンの話になった時、急に取り乱し始めたのよ。すぐにジョージが飛んできて話を聞いていたけれど、次第にジョージの表情も曇ってきて……変な雰囲気になったから、その後すぐにお茶会はお開きになったのよね」


「彼らにしては珍しかったわ」と語る夫人に耳を傾けながら、サイラスは考えていた。

おそらく夫人が言っているのは、弟の策略で婚約者や母親に裏切られた兄が、花の持つ象徴的な意味を述べながら復讐を誓う場面のことだろう。

花を渡す相手ごとに、意味の解釈が違っているのだ。


ーー復讐を果たした後、兄は度重なる悲しみのあまり狂って、自殺するんだったな。


アリシアにとって、それが一体どういう意味を持っていたのかはわからない。

しかし、何かが彼女の心の平静を奪ったのだ。

その何かがわかれば、もしかすると……。


「そういえば、ジョージはアリシアの話を聞いた後、おかしなことを呟いたのよね」

「何とおっしゃったんですか?」

「"まさに後悔だな"って」


サイラスは怪訝な顔をした。

ジョージには何か後悔するようなことがあったのだろうかと考え、首を振る。

ジョージやアリシアのことを、ほとんど何も知らないからだ。

彼らが故人となった今、サイラスには知る機会さえない。


「あのジョージに限って、後悔するようなことなんてないだろうから、すごく不思議に思ったのよね」

「そうなんですか?」

「ウォリンジャー家は代々、国境を守ってきた有力貴族だし、ジョージはとにかくやり手だったもの。領地を発展させたのは、彼の代なのよ?アリシアとは恋愛結婚だったし、後継にも恵まれた。周囲から尊敬されていたし、後悔とは程遠い人生だわ」


夫人によると、アリシアも似たようなものらしい。

いわゆる順風満帆な人生というやつだ。


ーーやはり、わからないな。その戯曲に鍵があることは間違いないだろうが……。


戯曲の内容を詳しく確認することから始めた方がいいのかもしれない。

そこに、何かヒントが隠れているのは明白だった。

サイラスは一つ頷き、気取られないよう笑顔で夫人に向き直った。


「夫人、あなたは記憶力がいいんですね」


サイラスに微笑まれて、夫人は少し頬を染めた。

パタパタと顔を仰ぎながら「そんなことないわ」と謙遜する夫人を見つめながら、サイラスはさらに質問を重ねていく。

主に、リリーや弟のピーターのことだ。

これは個人的に知りたいと思っていたことなので、夫人が喋るままに任せる。


「リリーもピーターも優しい子よ。寛容さを演出する貴族は多いけれど、あの子たちは違う。他人にどう思われるかじゃなく、自分たちの意思で人に親切にできる子たちだわ。それって、本当に素敵なことよね」

「全くです」

「ピーターは優等生でね、大学は首席で卒業したのよ?ご両親が亡くなった時は、さぞ悲しかっただろうけれど、リリーと二人で乗り越えた。まだ若いけれど、侯爵として立派に領地を治めているんだから、ピーターは凄いわ」

「ええ、彼は努力家ですよね」

「あなたの奥さんだって、そうよ。昔から、人一倍努力家だった。淑女としての嗜みは申し分ないし、慈善事業にも力を入れている立派なレディーよ。それなのに、周囲から誤解されているのが本当に残念でならないわ」


これには、サイラスも大きく同意した。

どうして、ここまでリリーの悪い噂が広まり消えないのか、ずっと解せないでいたからだ。


「あの子は控えめだから、あまり自分を主張しないのが原因かもしれないけれど。個人的には、リリーの良いところをもっといろんな人に知って欲しいわ。あんなに立派な女性はいないもの。前の旦那さんとお子さんを亡くした時だって…」

「ちょっと待ってください。リリーには子どもがいたんですか?」


初耳だった。

世間的にも、夫のジェイソンの死は知られているが、子どもの話は聞いたことがない。


「正確には、妊娠中に流産したのよ。旦那さんが亡くなって、しばらくしてからのことだったわ。不幸は重なるというけれど、あの頃はどうしてリリーにばかり不幸が訪れるのかしらと思ったものよ。リリーったら、塞ぎこんじゃってね。自分が悪いんだって、ずっと責めていたわ。旦那さんとお子さんの死の責任を感じていたみたい」

「リリーに非はない!」


サイラスは思わず声を大きくした。

ジェイソンの死の真相は今もって謎だが、あのリリーが関わっているとは思えないし、流産のことだってリリーが悪いわけではないのだ。

リリーに、それを自身の非だと思って欲しくない。

そんなサイラスの思いが伝わったのか、夫人は何度も頷いた。


「ええ、ええ。もちろん、その通りよ。リリーに責任はないわ。あんなに善良な子はいないんだから。それにしても……」

「どうかしましたか?」


クスクスと笑う夫人に、サイラスが尋ねると、彼女は破顔した。


「笑ってしまってごめんなさいね。嬉しかったからつい」

「嬉しい?」

「伯爵がリリーのことを庇ってくれたからよ。あなたはリリーの味方なのね。リリーはあなたと再婚できて幸せだわ」


それはどうだろうと、サイラスは思った。

リリーは優しいので決して言わないだろうが、彼女にとってサイラスとの結婚生活は辛いことの連続だったはずだ。

幸せとは程遠い。

それがわかるから、サイラスの表情は自然と曇った。


「まぁ、何て顔をしているのよ。そんな表情をしても、わたくしにはわかるわ。伯爵、あなたはリリーを愛しているのね」


しみじみと言われ、サイラスは戸惑った。

リリーのことはもちろん好きだ。

彼女ほど、善良な女性はいない。

リリーには今まで酷いことをしてきた分、償いたいし大切にしたいとは思っているが、それは愛とは違う感情だった。


「違うとは言わせないわ。リリーに非はないと言い切った時のあなたの表情を見れば一目瞭然だもの」


自分は一体どんな表情をしていたのだろうかと、サイラスは思った。

思わず自身の頬を触って、そこに何か答えがないかと探る。

その仕草は、さぞ滑稽だったろうに、夫人は微笑ましそうにサイラスを見つめるだけで何も言わなかった。

わかっているわとでも言いたげな表情だが、肝心のサイラスには何も理解できていない。


ーー自分のことさえわからないとは……。


それこそまさに滑稽じゃないかと、サイラスは自嘲するのだった。

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