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舞踏会も中盤にさしかかったが、フロアに立つ若い男女は疲れた様子も見せず、ダンスに興じていた。
もちろん、ジニーもその例に漏れず、何人かの男性と踊っていた。
みんなサイラスが紹介してくれた貴族たちだ。
物腰が柔らかい人ばかりだったので、ジニーも終始にこやかに踊ることができている。
最初に踊った金髪の青年のおかげで、緊張が解けたのもあるかもしれないが、楽しそうに踊るジニーを、リリーは微笑みながら、ダレンは感慨深気に見守っていた。
「こんばんは」
ふと、若い令嬢たちに声をかけられる。
ジニーとそう年齢が変わらない彼女たちは、最初ダレンに笑顔を向けた。
何となく色めき立っているように感じる。
もしかすると、ダレンと親しくなりたいのかもしれない。
リリーは気を利かせて、この場を離れようかと思ったのだが、令嬢二人に引き止められた。
彼女たちは、予想外にも笑顔だった。
「レディー・リリー、よかったら、少し話しませんか?」
リリーは驚きつつも、正直嬉しかった。
社交の場では、いつも悪評ゆえに、遠巻きにされるか、不躾なことを言われるかのどちらかで、リリーはあまり若い人たちと話す機会がない。
こんなに友好的な笑みを浮かべてくれる人は稀だった。
「わたしは、アリソンです」
物怖じしない性格なのか、アリソンと名乗った令嬢はハキハキと言った。
反して、もう一人の令嬢は少し申し訳なさそうだ。
しかし、最後には「シルビアです。よろしくお願いします」と微笑んだ。
「よかったら、皆さんに何か飲み物でも取って来ましょうか」
ダレンが気を利かせて申し出てくれた。
アリソンとシルビアはダレンともう少し居たかったのではないかと思ったが、特に残念がる風もなく二人が頷いたので、ダレンがこの場を去るのを一緒に見送る。
「レディー・リリー、今日のドレスは本当に素敵ですね」
「え?そうかしら。どうもありがとう」
「もしかして、外国から取り寄せたんじゃないですか?」
「そうよ。よくわかったわね。凄いわ」
リリーが素直に褒めると、シルビアははにかんだ。
「わたし、ファッションに興味があるんです」
「シルビアは、デザイナーになりたいのよね?」
「ア、アリソン!やめてよ」
「どうしてよ。本当のことでしょう?」
「ち、違うんです。レディー・リリー、これは、その……」
慌てて弁解するシルビアに、リリーは首を傾げた。
「わたしは、素敵だと思うけれど」
「え?」
「確か、オーダーメイドのお店を経営されているファッションデザイナーの方が他国にいらっしゃったわよね?」
「は、はい」
「でも、全員男性だわ。あなたがデザイナーになれば、きっとより女性の目線を活かしたドレスができるんじゃないかと思うの。それって素敵なことだわ」
まさか、リリーが肯定してくれるとは思わなかったらしく、シルビアは目を瞬かせた。
「……からかってますか?」
「まさか」
確かに、今の時代、貴族の令嬢は結婚して跡取りを産むことが唯一の幸せであり義務だと思われている。
貴族女性が働くことは、はしたない行為だった。
しかし、リリーも家庭教師として五年間働いていた経験がある。
その充実感たるや、筆舌に尽くしがたいものがあった。
「わたしは、デザイナーになりたいという夢が悪いことだとは思わないわ。女性だって、働いてもいいと思うの。それに、あなたはとてもセンスがいいわ。今、お召しになっているドレスも素敵だもの。センスがいいのは、あなたの強みなんだから、それを活かすことは決してはしたない行為ではない……って、どうかしたの?」
俯いてしまったシルビアに、リリーは慌てた。
何か余計なことを言ってしまっただろうか。
「レディー・リリー。違うんです。わたし、びっくりして……そんな風に言ってくれる人、わたしの周りにはいなかったから。だから、わたし、すごく嬉しくて」
顔をあげたシルビアは、微笑んでいた。
そのことに内心で安堵する。
「ねえ、シルビア。よかったら、今度レディー・リリーにあなたが作ったドレスをご覧いただいたら?」
「まあ、素敵。あなたさえよければ、ぜひ見せて欲しいわ」
「わかりました」
はにかみながらも、シルビアは頷いた。
詳しく聞けば、彼女はすでに何着も自前のドレスを手作りしたのだという。
どんなデザインで、どんな生地を使ったか、生き生きと語る姿に、シルビアがいかにファッションやドレス作りが好きなのかが伺えた。
それはきっと素晴らしいことだ。
今の時代、社会的に認められないとしても、女性が働く時代は今後、必ずやって来るのだから。
リリーが頑張ってと声をかけていると、傍らのアリソンが突然、声をあげた。
と同時に、リリーは誰かとぶつかる。
思わずよろけ、それをアリソンが支えてくれた。
「大丈夫ですか!?」
「ええ、ありがとう。あなたが支えてくれたおかげで……」
大丈夫よ。
そう言おうとしたら、シルビアが小さな悲鳴をあげた。
「レディー・リリー……あの、ド、ドレスが……」
指摘され、振り返る。
肩越しに見れば、背中辺りから腰にかけて、ドレスにワインの赤いシミが大きく付いていた。
せっかくレイチェルと一緒に選び、サイラスが買ってくれたドレスだったが、これでは台無しである。
「わたし、グラスを持った男性がぶつかるのを見ました!きっと、その人のせいです!バッチリ顔を見たので、追いかけて連れてきます!」
「アリソン、いいのよ。わざとじゃないだろうし、わたしも背後に気を配っていなかったのがいけなかったんだから」
「でも……」
納得いかない様子のアリソンが眉をひそめる。
と同時に、周囲の人々が何事かとリリーたちに視線を向けた。
「え、何あれ?背中が赤いわ。血?」
「ワインじゃない?きっとかかっちゃったのよ。って、笑っちゃ悪いじゃない」
「だって、見てよ、あの色。まるでビーツみたい」
「ちょっと、聞こえるわよ」
「平気よ」
もちろん、バッチリ聞こえていたリリーは思わず肩を落とした。
周囲から忍び笑いが起こって居たたまれないというより、ドレスを笑われたのが悲しかったのだ。
今着ているのは、結婚して初めてサイラスが買ってくれ、レイチェルがリリーのために一緒に選んでくれた大切なドレスだった。
社交辞令とはいえ、似合っていると褒められたのも嬉しかった。
リリーにとっては、思い入れがあるドレスだったのだ。
だからこそ、笑われて悲しい気持ちになる。
そこへ、飲み物を持ったダレンが帰ってきた。
リリーが何も言わずとも、彼は瞬時にこの状況を把握してくれたようだった。
ダレンは、そっとリリーに耳打ちする。
「何か、羽織るものはありますか?」
「え……羽織る?」
「あ、わたしのでよかったら!」
アリソンがショールを差し出してくれる。
リリーが遠慮すると「汚れても構いません」とアリソンは言ってくれた。
申し訳なく思いながらも、ショールを借りて肩から羽織る。
これで、ワインのシミが人目に触れることはないだろう。
「ありがとう。必ず、綺麗に洗って返すわね」
「本当に構いません。それ、母に無理やり持たされたんです。肩を出し過ぎだってうるさくって。寒くないし、わたしには似合わない色だから、あまり羽織りたくなかったんですよね」
それでも必ず返そうとリリーは思った。
何かお礼を添えて、改めてアリソンを訪ねなければならない。
そう考えていると、ダレンがそっとリリーの背に手を添えた。
「レディー・リリー、予備のドレスはありますか?」
「い、いえ……」
「では、とりあえず控え室に行きましょう。その後、わたしが伯爵を呼んで来ます」
「あ、じゃあ、伯爵の所には、わたしたちが行きます!」
「伯爵とお知り合いですか?」
「いえ。でも、先ほど少しお話ししたので大丈夫だと思います」
「わかりました。では、お願いしますね。さあ、レディー・リリー。わたしたちも行きましょう」
「え、ええ」
リリーは、アリソンたちに何度もお礼を言ってから、ダレンとその場を後にした。
ダレンは、さりげなくリリーを伴って歩いてくれたので、難なく舞踏室を抜け出し、そのまま近くにいた使用人に控え室までの案内を頼んでくれた。
案内されるまま、無事に控え室にたどり着くことができたリリーは、ホッと胸をなでおろす。
「ありがとう、助かったよ。ところで、申し訳ないんだが、彼女にタオルと何か飲み物を用意してくれないだろうか?」
「かしこまりました」
使用人が深々と頭を下げて退出するのを見送った後、リリーはすかさずダレンにお礼を述べた。
「ありがとうございました。いろいろと配慮してくださって」
「構いません。当然のことをしただけです。それよりも、あなたは椅子に座ってくつろいでいてください。わたしは伯爵が来るまでドアの外で待っていますから」
「本当に、何から何までありがとうございます」
リリーの恐縮気味な態度に、ダレンは微笑んだ。
柔らかい、彼の人となりを表すような笑みだった。
外にいるので、何かあれば声をかけて欲しいとだけ言って退出するダレンの背中を、リリーは最後まで見送った。
「子爵は本当にお優しい方だわ」
しみじみ言って、リリーはショールを脱いだ。
矯めつ眇めつし、ショールに汚れがないことを確認し、心底安堵する。
丁寧に畳んで、ショールを椅子に置いた後、リリーはもう一度首を回して、自身のドレスの汚れを確認した。
ビーツという表現が的を射たような赤紫色のシミが、背中から腰にかけて散在している。
リリーはどうにかしてシミ抜きできないものかと考えたが、下手に洗って、余計に汚れが酷くなったらと思うと、何もできなかった。
リリーは肩を落とし、大きなため息をついた。
その刹那、ドアをノックする音が響く。
先ほどの使用人が戻って来たのか、それともダレンが呼んでいるのか、リリーが「はい」とだけ返事をすると……。
「リリー、大丈夫か?」
「サイラス?」
まさか、こんなに早くサイラスが駆けつけてくれるとは思わなかったリリーは、目を瞬かせた。
驚きつつも、急いでドアを開ける。
「ご令嬢たちから、話は聞いたよ。大丈夫なのか?」
ドアを開けた瞬間、心配顔で尋ねるサイラス。
リリーが頷くと、サイラスは大げさなくらいホッと息をついた。
リリーの背後に回り、ドレスのシミを確認しながら外套をかけてくれる。
「彼女たちに呼び止められた時は驚いたが、君に怪我がないようで本当に良かったよ」
「ありがとう。子爵や彼女たちのおかげで、わたしは平気……って、そういえば、皆さんは?」
「ご令嬢二人は親御さんに連れて行かれたよ。どうやら、二人共、まだ誰とも踊っていなかったらしい。子爵は……」
そこで、サイラスは苦しそうに瞼を閉じた。
しかし、それも一瞬だけのことで、すぐに笑顔を浮かべる。
「子爵なら、先ほどドアの前で会ったよ。わたしが来たので、少しこの場を離れるとおっしゃっていたが」
そう言ったところで、タイミングよく、タオルと飲み物を持ったダレンが姿を見せた。
サイラスがすぐに礼を述べると、ダレンはにっこり微笑んだ。
「いいんですよ。気にしないでください。大したことはしていませんから。それよりも、レディー・リリー。飲み物とタオルをどうぞ。先ほどの使用人から預かりました」
「わざわざありがとうございます」
「シミは落ちそうですか?」
「いえ、多分これでは、もう……」
リリーが肩を落とすと、サイラスが何気ない様子で言った。
「そんなに落ち込まなくても、新しいのを買えばいいよ」
リリーは一瞬、押し黙った。
サイラスがあまりに頓着なく言うものだから、このドレスを大切に思っているのは自分だけなのだと強く感じた。
もちろん、サイラスは良かれと思って言っている。
悪気はないのだ。
それがわかるので、リリーはギュッと両手を握りしめた。
取り繕うように微笑む。
「……ありがとう、サイラス。でも、気持ちだけで充分よ」
自分は上手に笑えているだろうかと、リリーは思った。
サイラスに不審に思われていなければいいのに、とも。
幸か不幸か、それを推し量る前に、再びドアがノックされる。
入るように促すと、一人の使用人が顔を見せた。
「伯爵、馬車の用意ができました」
「ああ、ありがとう」
どうやらすでに帰る準備を整えてくれていたらしいサイラスは、リリーを見つめた。
その表情は、特にいつもと変わりないように見える。
「主催者に帰りの挨拶をしてくるよ。君は、先に馬車に乗っているといい。彼が案内してくれる」
「わかったわ」
使用人にリリーを託し、サイラスはダレンにもう一度お礼を言ってから、その場を後にした。
サイラスを見送ったリリーは、今度はダレンを仰ぎ見た。
「最後まで、ジニーに付き添いたかったのですが……本当に申し訳ありません」
「気にしないでください。わたしたちも、そろそろ帰ろうと思っていたんですよ。それよりも、これを」
そっと一枚の紙を手渡され、リリーは首を傾げた。
「これは?」
「わたしが贔屓にしている仕立て屋の名前が書いてあります。シミ抜きが得意なので、よかったら頼んでみてはどうですか?」
リリーはハッとして、ダレンを見上げた。
上手く隠していたつもりだが、ダレンには全てお見通しだったらしい。
微笑むダレンの表情には、リリーが本当は何を考えていたのか、きちんと察してくれていることが伺えた。
彼がどうして人望があるのか、よくわかるというものだ。
貴族の徳目の一つとして、よく寛大さが挙げられるが、ダレンの場合、哀れみや寛容さから何かしてあげるというわけではなく、単純に人助けをするのが好きなのだとわかる。
リリーも見習わなければならない重要な資質だった。
「本当にありがとうございます」
リリーは心から言った。
手渡された紙を大切に握りしめながら、もう一度「ありがとうございます」と呟く。
ダレンの優しさに、そして、大切なドレスを台無しにせずにすんだことに感謝しながら。




