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帰ってきた夫  作者: 西子
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今日は、マクファーレン家の屋敷へ訪問する日だった。

サイラスが姿を消してから、毎月欠かさず行っているのだが、いつものように、執事のエルバートがリリーを出迎えてくれる。


「奥様、お帰りなさいませ」


まだ自分を"奥様"と呼んでくれるエルバートに、リリーは苦笑しながらも「ただいま」と返した。

なんとも滑稽な返答だと、頭のどこかで自嘲する。

屋敷を追い出された身としては、帰ってきたというより、訪れたという表現の方が正しかった。

だから、エルバートに「お帰りなさいませ」と言われるたび、リリーはなんとも複雑な気持ちになるのだが、それを押し隠して、リリーは続けた。


「お久しぶりね、エルバート。元気そうでなによりだわ」

「ありがとうございます。奥様もお変わりなく」

「ええ。なんとかやっているわ。みんなは、どう?変わりない?」

「はい。使用人一同、元気にやっております。特に変わりありません」

「屋敷のほうも?」

「滞りなく」

「それはよかったわ」


リリーは、満足げに頷いた。

もちろん、後で自分の目で屋敷を見て回り、使用人たちの様子も伺うつもりではあったが、有能なエルバートが問題ないと請け合っているのだから、本当にその通りなのだろう。

もしかすると、リリーが毎月屋敷の様子を確認するために訪れる必要はないのかもしれない。

エルバートたちだけで、十分、屋敷を執り仕切っているのだから。


「奥様がいてくださってこそです」


まるで、リリーの思考を読んだかのようなタイミングで、エルバートが口を開いたものだから、リリーは一瞬、戸惑って口ごもってしまった。


「え、ええ。そんな風に言ってくれて嬉しいわ。ありがとう」

「事実でございます」


深く頭を下げるエルバートに、リリーは罪悪感を抱いた。

今、自分は伯爵夫人であるにも関わらず、安易にその務めを放棄しようとしてはいなかったか。

今後、サイラスに離婚申請される可能性は高いものの、それまでは立派に妻としての責務を全うしなければならない。

それが、淑女としての当然の行いだった。

リリーは、深く自省して言った。


「ごめんなさいね」

「何がでございますか?」

「ふがいなくて」

「そんなことはありません」


エルバートは、強く否定した。


「奥様は、ご立派な方です。使用人一同、敬愛いたしております」

「……どうもありがとう」


もちろん、これは社交辞令だろう。

だが、そう言ってくれるエルバートの優しさに応えたいと、リリーは思った。


「ところで、最近どんな様子なの?その、サイラスは」


"サイラス"の部分だけ、なんとなく小さく呟くような言い方になってしまったことに、リリーは内心で後悔したが、エルバートは特に気にした素振りを見せずに答えた。


「付き添っている従者によりますと、最低限の書類の決裁はされているようです。日中は気が向けば、体を動かしたり本を読んだりといったご様子でしょうか」

「そう……」


つまり、相変わらずということらしい。

サイラスがまだ立ち直っていないのは残念だが、それでもなんとかやっているのだからよしとしよう。

リリーは、そう思った。


「早く、元気になるといいわね」

「……はい」


きっと一番心配しているのは、エルバートなのだ。

彼は、サイラスのことを主人以上に、大切に思っているに違いないのだから。

リリーとしては、サイラス自身のためにも、そして彼を慕う人たちのためにも、一日も早く立ち直ってくれることを祈るばかりだった。


「そういえば、お義母様はどうなさっているのかしら?こちらには、よく顔を出されるの?」

「いえ。昔は、領地と隣国を行ったり来たりされる合間に、屋敷にも立ち寄られていたのですが、最近はもっぱら領地に滞在されて、旦那様の名代として忙しくなさっていらっしゃいます。なかなかの手腕みたいですよ。今のところ、領民から不満はあがっておりませんし、旦那様の不在も大事には至っていません。時折、隣国に足を運び、旦那様の様子を伺って説得を試みているようですが、そちらの方はあまり上手くいってはいませんね」

「そうなの」


どうやら義母のマリーは、彼女なりにサイラスのフォローをしているらしい。

やはり、マリーはサイラスのことを大切に思っているのだ。

でなければ、サイラスの仕事を肩代わりして、領主不在の不満を抑えたり、忙しい中、わざわざ隣国に行ったりはしない。


ーーーそういえば、お義母様とは隣国で別れて以来、一度も顔を合わせていないわ。


リリーとしては、なんとか誤解だけでも解いておきたかったが、このままではおそらく離婚を言い渡されるまで、マリーとは会う機会がない気がした。

いや、下手をすれば、二度と顔を見ることはないのかもしれない。

義理とはいえ、マリーはリリーにとって母親だった。

両親が亡くなった今、リリーが親と呼べるのは、もはやマリーだけである。

まあ、それも離婚されるまでの話ではあるが。


ーーー本当は、お義母様と仲良くしたかったけれど……仕方がないのかしらね。


サイラスとの関係が、もう少し良好であれば、話は違ったのかもしれない。

少なくとも、リリーはマリーのことが嫌いではなかったのだから。

やりようはあったと思いたい。

そう考えると、リリーはやはり気が重くなってしまう。

サイラスが言ったように、結婚そのものが間違いだったのだと突きつけられたような気がしてならなかった。

自分の存在は無意味なのだと、不要なものなのだと。

そう考えてしまうのを、リリー自身でさえ止められなかった。


それから、しばらくは邪魔にならないように屋敷を見て回ったり、使用人の様子を伺ったりすることに費やした。

エルバートが言ったように、特に問題はなさそうだったので、リリーは安堵の息を漏らした。


「よし、あとはこれだけだわ」


残っている仕事は、サイラスに手紙を書くことだけだ。

リリーは、この五年間、ずっとサイラスに手紙を送り続けている。

内容は、屋敷や使用人のことだ。

もちろん、手紙に返事なんてくれないし、未開封のまま送り返されるだけなのだが。

それでも、もしかしたら、サイラスが何の気なしに封をきって、文章に目を通すかもしれないと思うと、リリーは少しでも彼が興味をもつ内容を丁寧にしたためることに努めた。

最後に、ご自愛くださいと当たり障りのない文言で締めくくり、仕事関係の書類を添えて、封蝋で閉じる。

この作業にも慣れたものだ。

いつものように、使用人に直接届けてもらうよう手配し、リリーは席を立った。


「もう少し、ゆっくりされてはいかがですか?レイチェルも喜びますし」


リリーは、苦笑した。

先ほど、少しだけメイドのレイチェルに会ってきたのだが、彼女はリリーを見とめるや、仕事の手を止めて、一目散に駆けてきた。

背後で、メイド頭のアンが睨んでいるにも関わらず、だ。

さすがに、すぐに話はきりあげたので、レイチェルが怒られることはなかったが、これ以上リリーが長居することで、仕事に支障がでるようであれば、さすがにアンのかみなりが落ちるだろう。

もちろん、リリーにではなく、レイチェルにだ。

それは、あまりにしのびなかった。

というわけで、リリーは申し訳なさそうに、帰り支度を始めた。


「せっかくだけれど、今日はこれでお暇するわ。この後、用事もあるし」

「左様でございますか。残念ですが、致し方ありませんね」


無表情ながら、本当に残念そうな声音のエルバートに、玄関まで見送ってもらう。


「ありがとう。ここまでで、大丈夫よ」

「………」

「エルバート?」

「あの、奥様」

「なあに?」

「社交界シーズンが終わる八月頃ですが、その、ユリが……」

「ユリ?」

「いえ、なんでもございません」


リリーは不思議そうに首をかしげたが、エルバートはもういつもの無表情に戻っていた。

きっと、これ以上尋ねても答えてはくれないだろう。

それに、この後、用事があるのは本当だった。

モリーと久しぶりに会う約束をしているので、遅れたくない。

若干、引っかかりを感じつつも、リリーはエルバートに別れを告げて、屋敷を後にした。





エルバートは、リリーの後ろ姿を見えなくなるまで見送った後、ため息を漏らした。

結婚してから今日び、リリーの献身的な行いをサイラスは気づいておらず、そもそも知ろうとすらしていない。

あまつさえ、サイラスは隣国に渡ったきりで、一向に帰ってくる気配がなかった。

そのことが、ひどく悲しい。

人と人の繋がりのもどかしさを、感じずにはいられなかった。

そして、気がかりなことは、もうひとつあった。


「ユリか……」


八月になると、必ず真っ赤なユリが屋敷の敷地内で見つかる。

毎年、狩猟犬のサムが、どこからかくわえてくるのだが、あの毒々しい色あいのユリを見るたび、エルバートは嫌な予感に襲われた。

なんとなく、リリーにあてたもののような気がするのだが、そこに悪意を感じてならない。

怖がらせたくないので、リリーには言わないが、エルバートは本気で心配していた。

この五年間、特になにかあったわけではないので、エルバートの思い過ごしであればいいのだが。


「旦那様、早く戻ってきてください」


そして、奥様の傍にいてあげてください。

エルバートは、ただそのことだけを思った。

もちろん、その願いは、誰の耳にも届かなかった。

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