幕間
執事のエルバートは、眉をあげた。
主人夫妻が不在の今、彼は朝から忙しい。
やることが山積みだった。
八月に入り、蒸し暑い日々が続くが、休んでなどいられない。
そんな多忙の中、使用人の一人から手渡された"それ"を、エルバートは不思議そうに眺めていたのだが……。
「これは……ユリの花?」
真っ赤なユリが一本、彼の手の中にはあった。
この屋敷に、ユリの花は咲いていない。
今日は強風が吹いているので、どこからか風にのって紛れこんだのだろうか。
「サムがくわえていたそうです」
サムというのは、屋敷で飼っている狩猟犬だ。
サムの世話を任されている使用人が、朝の運動の一環として庭に放したところ、どこからかくわえて戻ってきたのだという。
「サムが他所様の花壇の花を引きちぎってきたわけではないと思います」
「だろうな」
エルバートも同感だった。
サムは臭気選別ができるほど優秀な狩猟犬で、躾も行き届いている。
他家の花壇を荒らすような粗相はしないだろう。
そもそも、この周辺でユリを栽培している家はない。
となれば、このユリはいったいどこから来たというのか。
エルバートには、皆目見当がつかなかった。
「それにしても……奥様とは、まったくイメージが違うな」
ユリを、じっと見つめながら、エルバートは呟いた。
怖いくらい赤く染まった花びらが、毒々しく不吉な印象を与えたのかもしれない。
エルバートが慕う女主人と同じ名前の花であるにも関わらず、そこから受けるイメージは真逆だった。
エルバートは、直感的に、このユリは捨ておこうと考えた。
この屋敷に不幸を運ぶ元凶そのものに思えて、エルバートは、知らず、眉を寄せるのだった。
遠く離れたモンゴメリーの領地で、リリーの母親であるアリシアは、エルバート同様、眉根のシワを深くしていた。
奇しくも、その手には真っ赤なユリの花が一本、握られている。
唯一の違いといえば、彼女の手の中の手紙だろうか。
「今年も来たわ……」
アリシアは、気味が悪そうに、ユリの花と手紙を見比べた。
二年ほど前から、八月のこの時期になると、必ず、玄関先に手紙が届き、その上に赤いユリの花が一本添えられているのだ。
しかも、手紙には、いつもただ一言、こう記されていた。
"人殺し"と。
明らかに、悪意がこもっている。
アリシアは、思わず身震いした。
「あの子は、大丈夫かしら」
アリシアは、愛する娘のリリーのことを想った。
この脅迫文は、おそらくリリーに宛てられたものだろう。
これには、夫のジョージも同意見だった。
だから、二人で相談して、毎年送られてくる花と脅迫文について、リリーにはあえて黙っていた。
優しいリリーのことだ。
己に向けられる悪意を知れば、きっと心を痛めるだろう。
愛娘のそんな姿を、アリシアは見たくなかった。
それからというもの、アリシアたちは常にリリーの周囲に気を配っていた。
娘を害そうとする人間はいないか。
不逞な輩が近づいてこないか、と。
もちろん、すべて徒労に終わったけれど。
リリーがあまり外に出かけたがらなかったこともあり、この二年間は、特に何事もなく過ぎていったのである。
ただ、脅迫文は相変わらず届くので、気味が悪いことに変わりはなかった。
毎年、誰が玄関先に花と脅迫文を置いていくのか。
その犯人が一向にわからないことに不安を抱き、アリシアは俯いた。
「アリシア?」
横から、優しく声をかけられ、アリシアは顔をあげた。
その表情は、非常に柔らかく、声の主に対する愛情の表れを感じられるものだった。
「ジョージ」
「どうしたんだい?浮かない顔をして」
「それが……また"あれ"が送られてきたのよ。わたし、なにか起こるんじゃないかと思って、怖くて」
「大丈夫だよ」
ジョージは、安心させるように、アリシアの背に腕を回した。
「まだ、良くないことが起こると決まったわけじゃない。今までだって、なにも起こらなかったじゃないか」
アリシアは、黙って頷いた。
だが、彼女の表情はまだ晴れない。
ジョージは、優しくアリシアの肩を引き寄せた。
「それに、あの子は、もう一人じゃない。伯爵が夫として隣にいてくれる。あの時のように、きっと彼が守ってくれるさ」
「ええ、そうね」
アリシアは、ようやく安心したように微笑んだ。
そうだ、遠く離れていても、リリーの傍にはサイラスがいてくれる。
首都を離れる際、わざわざリリーのことを託してきたのだ。
きっと彼なら、なにがあっても、リリーを守り抜いてくれるだろう。
アリシアは、そっと瞳を閉じた。
隣に寄り添うジョージが、優しくおでこにキスを落としてくれるのを、ただ感じながら。




