25
リリーの旅は、約三ヶ月にも及んだ。
実家が遠方にあり、馬車での旅に慣れているはずのリリーでさえ、体に堪える長旅となった。
移動距離もさることながら、早く到着することを優先したため、快適さとは無縁だったのだ。
そのスピードゆえに、馬車内の振動は大きく、体の芯まで響くような不快な揺れが三ヶ月も続くとなると、さすがのリリーも弱音を吐きそうになった。
実際、メイド頭のアンは、途中で脱落している。
それほどまでの強行軍だった。
並みの女性では、耐えられないほどの過酷な旅である。
それをおしてなお、リリーは隣国へと渡った。
大事な人を喪う悲しみの重さを、リリーは誰よりも理解していたからだ。
サイラスに、してあげられることはないかもしれない。
けれど、故郷から遠く離れた土地で、ひとり悲しみにくれるのは、あまりに可哀想でならなかった。
サイラスに、嫌われていることはわかっていたが、傍にいてあげたい。
もし、まだ母親のマリーが傍にいて、彼を責めているのであれば、その盾になってあげたかった。
リリーは、そう思っていた。
リリーだけが、そう思っていたのだ。
それは一方通行で、押しつけの善意でしかなかったけれど。
リリーは、そうするのが妻としての務めだと思っていた。
その日は、ひどく寒い日だった。
腕をさすりながら、リリーは、ようやくサイラスが滞在する屋敷に到着したことに、安堵していた。
あの船酔いのような不快な揺れとも、これで袂をわかつことができる。
リリーは、そっと玄関の扉を開けた。
やけに立派な屋敷だなと思いながら。
最初、サイラスは宿屋の一室を間借りしていたのだが、予想に反して、長期滞在となったので、とある屋敷を借り受けたらしい。
それを聞いた時は驚いたが、今のサイラスには、ちょうどいいかもしれないと思った。
傷心を癒すには、間借りの宿では落ち着かないだろう。
そう思いながら、リリーは屋敷の中へと足を踏み入れた。
その途端、ひんやりとした空気が、体に絡みつく。
室内にも関わらず、戸外のような冷気を感じた。
ブルリと震えがはしる。
リリーは外套を脱がずに、そのまま階段をあがっていった。
すると、どうだろう。
サイラスの従者が廊下で、所在なさげに立っているのが見えるではないか。
そこは、廊下奥の一室の扉の前だった。
ーーーここだわ。ここにサイラスがいる。
そう直感し、リリーは従者が止める間もなく、その扉を開けた。
室内は昼間にしては薄暗く、やけに寒々としていた。
「サイラス?」
恐る恐る、声をかける。
かすかに人の動く気配を感じたリリーは、目を凝らして、室内を見やった。
その時、目にしたサイラスの様子に、衝撃を受ける。
サイラスは、ひどい有様だった。
げっそり落ち窪んだ頬。
不健康に青ざめた肌。
その瞳は翳り、もう何日も食事をとっていないくらい彼の体躯は痩せ細っていた。
そのすべてに、リリーは悲しくなった。
リリーは、大きく息を吐き出すと、気を取り直すように、もう一度、呼びかけた。
今度は、意識してはっきりと声を出す。
「サイラス」
次の瞬間、サイラスは弾かれたように反応した。
あっという間に、間合いを詰めると、いきなりリリーの肩を掴んだ。
「ヴェロニカ!?」
「……違うわ、わたしよ。リリーよ」
「………」
一瞬、サイラスは意味がわからないようだった。
「リリー……」
サイラスはことばを咀嚼するように呟き、リリーの顔をしばし見つめた。
ややあって、サイラスは、視線を外す。
明らかに、失望の色が伺えた。
「……君か。どうして来たんだ」
「それは……」
「君には会いたくなかった。今はまだ……」
「サイラス……」
「どうか帰ってくれ」
力ない声音に、リリーはグッと胸をつまらせた。
あのサイラスが、ここまで弱りきっている。
死んでいないのが不思議なくらいだ。
それほどまで、ヴェロニカへの愛は真剣だったのだ。
それが痛いほどわかるから、リリーはいたたまれなくなって俯いた。
「サイラス、可哀想に……」
「……君に、なにがわかる」
「わかるわ。だって……」
「うるさい!」
急に声を荒げたサイラスに、リリーは肩を揺らした。
「ご、ごめんなさい。わたしは、ただ……」
「うるさいと言っているだろう!君に、わたしの気持ちのなにがわかるんだ!知った風な顔をしないでくれ!」
「サイラス……」
「君の顔は見たくない!わたしの前から、さっさと消えてくれ!」
そのことばとともに、パリンとガラスが割れる音が響いた。
サイラスが窓ガラスを手で叩き割ったのだ。
彼の手から滴る鮮血が、絨毯を染め上げる。
その光景に、ジェイソンが死んだ時のことが重なって、リリーは身震いした。
「サイラス、せめて手の治療だけでもさせて」
「うるさい!わたしに触れるな!」
サイラスは遠慮しなかった。
激情のまま、リリーに罵詈雑言をまくしたてる。
育ちのいい彼にしては、驚くくらい、汚いことばの羅列だった。
時には、その辺りにある家具を壊すこともあったが、リリーは辛抱強く耐えた。
ーーー大丈夫。大丈夫よ、リリー。サイラスは今、悲しみのあまり平常心を失っているだけ。こんな時こそ、彼を支えてあげないと……。
言い聞かせるように、そう内心で呟く。
サイラスのあの猛々しい感情を、リリーは知っていた。
絶望と怒り。
悲しみと虚無。
それは、リリーにも覚えのある感情だった。
サイラスの心中を思って、リリーはただ泣きたくなった。




