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帰ってきた夫  作者: 西子
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「はあ……」


サイラスは大きなため息をついた。

今、サイラスはマリーに連れられて、とある宿屋の一室に滞在している。

マリーは、そのままサイラスを馬車で連れ帰ろうとしたのだが、さすがに彼が抵抗したのだ。

というわけで、折衷案として、マリーが近くの宿屋を借り、そこにサイラス共々、留まることになったのだが……。


早く、ヴェロニカの元へ帰りたいというのが、嘘偽りざるサイラスの本音だった。

従者をヴェロニカのところに付き添わせているとはいえ、いつ彼女の体調が悪くなるかわからない。

その不安感は否めなかった。

もちろん、あの時、マリーの横やりがあったとはいえ、武力をもって対抗すれば、サイラスはヴェロニカの元に留まることができた。

しかし、サイラスはそうしなかった。

母親であるマリーに、手荒なマネをしたくなかったのだ。

基本的にサイラスは紳士なので、弱者に対する乱暴な行為一切をよしとしなかった。

有無を言わせぬマリーの勢いに、戸惑ったということもある。

それに、突然マリーの態度が変わったのも、サイラスとしては解せなかった。

その真意を知りたい思いはあった。


というわけで、サイラスは、仕方なく、マリーに従う形で馬車に乗り、そのまま近くの宿屋までついて行くほかなかった。

とにかく、マリーと話し合わなければならないと思ったのである。

だが……。

サイラスは、その後、己のその判断をひどく後悔することになる。

マリーがサイラスを宿屋に軟禁したからだ。

まさか、マリーがそこまで強硬な手段にうってでるとは思わなかった。

やはり、なにかがおかしい。

そう思いはしたが、今はとにかく、この場を脱することが先決であった。


サイラスは、マリーに激しく抗議した。


「母上、どうして、こんなところに閉じ込めるのですか!ヴェロニカの元へ行かせてください!」

「ダメです」


だが、何度サイラスが懇願しても、マリーの答えは否だった。

取りつく島もない。

しかも、マリーはサイラスをひどく責めるのだ。

曰く、既婚者に手を出すのは、非道徳的で、外道の極みである。

恥を知れと。

それが、マリーの言い分だった。

もちろん、彼女の言っていることは、もっともだし、正論極まりない。

サイラスだって、それはわかっている。

己の行動を弁護する気は、さらさらなかった。

しかし……。


ーーーわたしは、それでもヴェロニカの傍にいたい。


周囲の評価は、どうでもよかった。

ヴェロニカを一人寂しく逝かせるくらいなら、サイラス自身の評判など些末事である。

もちろん、二人の関係が周知のこととなった場合、サイラスは社交界から締め出されるだろうが、それで仕事に支障が出るわけではない。

政治に携わりにくくなるものの、領地経営そのものには、なんら影響しないからだ。

社交の場に呼ばれないので、煩わしい人間関係から解放され、むしろ、清々しいとさえ言える。

マリーも、そこはわかっているだろうに、なぜか頑なな態度を変えなかった。

サイラスとしては、首をひねるしかない。


「これでは、らちがあかないな」


軟禁から三日目にして、ようやく、そのことに思い至ったサイラスは、実力行使にうってでた。

二階の窓から、木伝いに、地面へと降りたのだ。

案外、簡単に脱走できたので、拍子抜けしたことは否めない。

サイラスは、その足で、ヴェロニカの元へと急いだ。

早く、ヴェロニカに会いたい。

時間は有限で、二人に残された時は、彼女の病の進行のことも相まり、さらに短かった。

一秒たりとて、無駄にしたくない。

サイラスは、必死だった。

必死で、ヴェロニカへの想いを貫く面持ちだったのである。

しかし、あと一歩遅かった。

サイラスが戻った時、すでにヴェロニカはこの世の人ではなかった。

彼女は逝ってしまった。

サイラスを置いて。




従者は言った。

ヴェロニカは二日前の夜、静かに息を引きとったと。

安らかな最期だったという。

ただ、一人寂しく、ベッドの上で逝った以外は。

誰も傍にはいなかった。

従者が気付いた時には、すでに眠るような死に顔で、そこに横たわっていたのだ。

最期の瞬間は、必ず傍にいて、彼女の手を握っていてあげたかったのに、それは叶わなかった。

そんな侘しい最期など、ヴェロニカには相応しくなかったというのに。

サイラスは、己を責めた。

どうして、マリーに抵抗せず、のこのことついていったのか。

どうして、もっと早く逃げ出さなかったのか、と。

そうしていれば、ヴェロニカを看取ることができたというのに。

彼女が一人寂しく逝くこともなかったのだと思うと、サイラスは悔やんでも悔やみきれなかった。

しかも、ヴェロニカの亡骸にさえ、サイラスは対面することができなかった。

今朝方早く、シドニー公爵が本国へと連れ帰ってしまったからだ。

サイラスには、彼女の最期に立ち会えなかったばかりか、きちんとお別れを言う機会さえありはしなかった。

そのことが、サイラスをひどく苛む。

覚悟を決めて、ヴェロニカの最期を看取ろうと思った。

どんなに悲しく、苦しい思いをしようが、構わなかった。

地位も名誉もかなぐり捨てて、彼女に全てを捧げた。

にも関わらず……。

なに一つ、ヴェロニカのために満足にできなかった。

すべて中途半端なまま終わったのである。


「ああ……ヴェロニカ、どうして……どうして」


初恋の人を想って、サイラスは項垂れた。

「すまない」と、声にならない呟きが漏れる。

主人を失った寝室には、ひどく物悲しく、冷たい空気が流れていて、サイラスのその呟きをあっさりと飲み込んだ。

それは、彼の胸中を体現しているかのような闇そのものだった。




それから、約三ヶ月後。

リリーは、ようやくサイラスの元に到着したのだった。

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