24
「はあ……」
サイラスは大きなため息をついた。
今、サイラスはマリーに連れられて、とある宿屋の一室に滞在している。
マリーは、そのままサイラスを馬車で連れ帰ろうとしたのだが、さすがに彼が抵抗したのだ。
というわけで、折衷案として、マリーが近くの宿屋を借り、そこにサイラス共々、留まることになったのだが……。
早く、ヴェロニカの元へ帰りたいというのが、嘘偽りざるサイラスの本音だった。
従者をヴェロニカのところに付き添わせているとはいえ、いつ彼女の体調が悪くなるかわからない。
その不安感は否めなかった。
もちろん、あの時、マリーの横やりがあったとはいえ、武力をもって対抗すれば、サイラスはヴェロニカの元に留まることができた。
しかし、サイラスはそうしなかった。
母親であるマリーに、手荒なマネをしたくなかったのだ。
基本的にサイラスは紳士なので、弱者に対する乱暴な行為一切をよしとしなかった。
有無を言わせぬマリーの勢いに、戸惑ったということもある。
それに、突然マリーの態度が変わったのも、サイラスとしては解せなかった。
その真意を知りたい思いはあった。
というわけで、サイラスは、仕方なく、マリーに従う形で馬車に乗り、そのまま近くの宿屋までついて行くほかなかった。
とにかく、マリーと話し合わなければならないと思ったのである。
だが……。
サイラスは、その後、己のその判断をひどく後悔することになる。
マリーがサイラスを宿屋に軟禁したからだ。
まさか、マリーがそこまで強硬な手段にうってでるとは思わなかった。
やはり、なにかがおかしい。
そう思いはしたが、今はとにかく、この場を脱することが先決であった。
サイラスは、マリーに激しく抗議した。
「母上、どうして、こんなところに閉じ込めるのですか!ヴェロニカの元へ行かせてください!」
「ダメです」
だが、何度サイラスが懇願しても、マリーの答えは否だった。
取りつく島もない。
しかも、マリーはサイラスをひどく責めるのだ。
曰く、既婚者に手を出すのは、非道徳的で、外道の極みである。
恥を知れと。
それが、マリーの言い分だった。
もちろん、彼女の言っていることは、もっともだし、正論極まりない。
サイラスだって、それはわかっている。
己の行動を弁護する気は、さらさらなかった。
しかし……。
ーーーわたしは、それでもヴェロニカの傍にいたい。
周囲の評価は、どうでもよかった。
ヴェロニカを一人寂しく逝かせるくらいなら、サイラス自身の評判など些末事である。
もちろん、二人の関係が周知のこととなった場合、サイラスは社交界から締め出されるだろうが、それで仕事に支障が出るわけではない。
政治に携わりにくくなるものの、領地経営そのものには、なんら影響しないからだ。
社交の場に呼ばれないので、煩わしい人間関係から解放され、むしろ、清々しいとさえ言える。
マリーも、そこはわかっているだろうに、なぜか頑なな態度を変えなかった。
サイラスとしては、首をひねるしかない。
「これでは、らちがあかないな」
軟禁から三日目にして、ようやく、そのことに思い至ったサイラスは、実力行使にうってでた。
二階の窓から、木伝いに、地面へと降りたのだ。
案外、簡単に脱走できたので、拍子抜けしたことは否めない。
サイラスは、その足で、ヴェロニカの元へと急いだ。
早く、ヴェロニカに会いたい。
時間は有限で、二人に残された時は、彼女の病の進行のことも相まり、さらに短かった。
一秒たりとて、無駄にしたくない。
サイラスは、必死だった。
必死で、ヴェロニカへの想いを貫く面持ちだったのである。
しかし、あと一歩遅かった。
サイラスが戻った時、すでにヴェロニカはこの世の人ではなかった。
彼女は逝ってしまった。
サイラスを置いて。
従者は言った。
ヴェロニカは二日前の夜、静かに息を引きとったと。
安らかな最期だったという。
ただ、一人寂しく、ベッドの上で逝った以外は。
誰も傍にはいなかった。
従者が気付いた時には、すでに眠るような死に顔で、そこに横たわっていたのだ。
最期の瞬間は、必ず傍にいて、彼女の手を握っていてあげたかったのに、それは叶わなかった。
そんな侘しい最期など、ヴェロニカには相応しくなかったというのに。
サイラスは、己を責めた。
どうして、マリーに抵抗せず、のこのことついていったのか。
どうして、もっと早く逃げ出さなかったのか、と。
そうしていれば、ヴェロニカを看取ることができたというのに。
彼女が一人寂しく逝くこともなかったのだと思うと、サイラスは悔やんでも悔やみきれなかった。
しかも、ヴェロニカの亡骸にさえ、サイラスは対面することができなかった。
今朝方早く、シドニー公爵が本国へと連れ帰ってしまったからだ。
サイラスには、彼女の最期に立ち会えなかったばかりか、きちんとお別れを言う機会さえありはしなかった。
そのことが、サイラスをひどく苛む。
覚悟を決めて、ヴェロニカの最期を看取ろうと思った。
どんなに悲しく、苦しい思いをしようが、構わなかった。
地位も名誉もかなぐり捨てて、彼女に全てを捧げた。
にも関わらず……。
なに一つ、ヴェロニカのために満足にできなかった。
すべて中途半端なまま終わったのである。
「ああ……ヴェロニカ、どうして……どうして」
初恋の人を想って、サイラスは項垂れた。
「すまない」と、声にならない呟きが漏れる。
主人を失った寝室には、ひどく物悲しく、冷たい空気が流れていて、サイラスのその呟きをあっさりと飲み込んだ。
それは、彼の胸中を体現しているかのような闇そのものだった。
それから、約三ヶ月後。
リリーは、ようやくサイラスの元に到着したのだった。




