8. 十六歳の終わり
リーリーリーリー……
チチチチチチチチ……
秋の夜に、正体不明の虫の音が通る。
ぎいゅっ……ずぐぅっ……
しめった草、腐葉土を踏みしめる感触が妙に靴裏に残る。
右手に湖を望みながら少し森に入った所を二人、歩く。
「……あの」
「な! 何だよ……」
「ちょっと……近くないですか?」
くじで決まった肝試しの相手はキイちゃん。最初は強がっていたものの、段々距離を詰め始め、湖の周りを半周した辺りからはあたしの左腕に取りすがってる有様。
「怖いのは分かるけど……」
「は、はあ!? 怖い訳ねえだろ!? ちょっと足挫いただけだし!」
「……さいですか」
「ああ!」
その後はもう問答もすることも無く、ただ歩みを進める。
(しっかし、あたしも他人のこと言えないけどさ。昼間あれだけ歩いたのに、みんなも物好きだよねえ)
ただ、肝試しと言っても仕掛けも何もなく、湖の周りをぐるっと回るだけ。月明かりが反射して、辺りは意外な程明るいので怖いも何もない。懐中電灯は一応持ってるけど使う必要もないくらいだ。
(ま、それでも怖い人もいるみたいだけど)
息遣いが聞こえてきそうなほど近距離にあるキイちゃんの顔をチラリと見た。
と、その時。
「……え?」
進行方向左手、つまり森の奥の方から何か――
「ど、どうした!」
「いや、あっちから――」
「ややややめろよ!? アタシを脅かそうったってそうは行かねえからな!? ……あ、おい!」
キイちゃんの声を振り切って、誘われるように進んでいく。
藪を払い、太い木の根を乗り越え……。
きゅむっ……
足裏から伝わってくる感触も変わる。
いつしか光も届かず、辺りは夜の帳に隠される。それでも虚無から伸びる無数の手があたしを引っ張るかのように、足取りに迷いが生じない。
「あ……」
祠。
祠だ。
少し開けた空間には、一見しただけではそこに植物以外の何かがあるようには思えない程に緑に覆われた祠があった。
(でも、何であたしは……?)
小さく浮かんだ疑問は何かに散らされる。
あたしはその祠に近付く。何だか、実家の裏手で見つけた……ろっちーと出会ったあの寂れた神社……あれに共通するものを感じた。
何がとは言えない。感覚に訴えてくるのだ。
その祠は、人が一人入れるくらいの大きさだった。あたしはその扉に手をかけると――
キィ・・・
――躊躇いなく開いた。
とろり、と濃密な闇。夜よりも尚昏いそれが、辺りに溶け出した。
それは無明の恐怖を引き起こすものではなく、母の胎内のあたたかさを孕んでいて――
「…………?」
中は、空。長年の時を経て積もり積もった塵の他には何も無かった。
そこから受ける印象は、何だか……もう終わってしまったような……。
「おい! お前、悪ふざけも大概にしろよ!」
懐中電灯の灯りに照らされて、意識がはっきりする。
一瞬か一刻か。どれだけの時をそこで立ち尽くしていたのだろう。
あたしを追いかけてきたキイちゃんに肩を強く揺すられる。
「森の中に入るとか洒落になんねえぞ! 危険だろうが!」
「ご、ごめん……」
彼女に手を引かれるようにして元の道を目指す。
「一体どうしたんだよ?」
「……それが、あたしにも……何だか夢を見ていたような……」
「夢? ったく勘弁してくれよな。こんな所でぼーっとされちゃあ遭難必至だぞ」
彼女からは既に怖気は抜けきっているようだった。いざという時は頼りになるなあ。ちゃんと目印を付けながら追いかけてきてくれたみたいだし。
(それにしても……何だったんだろう?)
家主の残留思念があたしを呼んだ……いや、何らかの意志によるものじゃなく、ただ引き寄せられたような……。
何だ、あたし? 霊感とかそういうの、全く無いはずだけど。
「肝試しの雰囲気に流されすぎだぞ」
「……そっか」
そう言えば、辿り着いた時に疲労の余りに幻覚とか見てたし。それが温泉に浸かってもまだ残ってて、さらに夜の雰囲気……それと怖がるキイちゃんに当てられて……そんな所だろう。
ああいう祠ってどこにでもあるもんなんだろう、多分。偶然偶然! そんな超自然的な何かとか……そんなのないって……。
「……おい」
「な、何?」
「……近い」
気が付けば、あたしはキイちゃんの腕にしがみついていた。
最後の男子三人組が帰ってきて、肝試しが終わった。ソウジはもちろんくじにイカサマを仕込んでたけど、もちろんみんなに看破されてた。
「ああ……何て無駄な時を過ごしたんだ……」
「そう? 夜に湖の畔を散歩するなんて普段ないから、ボクは結構楽しかったけど」
「相手が女の子ならな……」
くじはイカサマなしで改めて行った。だから女の子と一緒になる可能性もあったんだけど……運が無かったと諦めるんだね。
ちなみにえーちゃんが参加しなかったから一組が三人に。
「えーちゃんはもう起きてるかな……」
あたしはテントに向かう。いつもの女子五人組で一つのテントだ。ちなみに男子のテントは湖を挟んで向こう側だ。無慈悲な配置。
「あれ?」
テントを開けると、中に誰もいなかった。
えーちゃんの寝袋へ向かう。
「……ふむ。まだ温かい。寝袋を抜けてからまだ時が浅いな。推察するに温泉へ向かったな?」
名探偵ハユミの推理が冴え渡る。
「……ふむ。えーちゃんの匂いがする」
その寝袋に入ってみた。
「……何やってんの?」
「ほあぁっ!?」
声の方向に目を向ける。
テントの入口にえーちゃんが立っていた。
「お、温泉行ってたんじゃなかったの?」
「行ってたよ? そう言ったじゃん」
はい、あたしたちが肝試ししてる間に温泉に入るって聞いてました。だからしばらく戻ってこないと思ってたんだけど……。
「早くない?」
「オレの入浴はカラスの行水だから。あんまり風呂好きじゃないし」
「ええ!? お風呂好きじゃないの!?」
そういえば、寮の入浴がえーちゃんとかぶったこと無いんだよね。いつ入ってるか分からなかったから、風呂嫌いで入浴時間が短いって初めて知った。
「うん。ゆゆゆんみたいにお風呂好きな人の方が多いとは思うけどね……」
彼女はそう言いながらあたしの寝袋に入っていく。
「何であたしの寝袋に!?」
「それは今自分がどこにいるのか分かった上での発言?」
「あ、ごめん」
……まあいいか。
その日はそのまま寝袋を交換して眠った。
「んん~……ふぁ」
いつもと違う部屋の様子……ああ、ここテントだった。
時計を見る。まだ起床時間には随分と早い。昨日あれだけ体を虐め抜いたんだから泥のように眠りこけるかと思ったけど。
寝袋から抜け出す。
(他のみんなは……)
みんなが起きてるかどうか確かめようと周りに視線を巡らせると、寝袋が一つ空になっているのに気がついた。
あれ? えーちゃんがいない。どこに行ったのかな。
他の三人は眠ってる。起こさないようにゆっくりとテントを抜け出した。
「さて……朝風呂といきますか」
既に入浴料は支払われてるけどそれは決められた時間分のみ。時間外ならポケットマネーから出さなきゃいけないけど、格安だから気にならない。
意気揚々と温泉まで向かう。
「ありゃ、先客がいらっしゃる」
脱衣所にまで来ると、浴場に誰かが一人いることに気づく。
こんな早朝なら贅沢に温泉を一人占めできるかと思ったんだけど、そう上手くは行かないか。
服を脱いで浴場に向かう。
ガラッ
ぺたぺたと湯船に向かえば、先客は宿の泊り客ではなく――
「あれ? えーちゃん?」
「ゆゆゆゆゆゆゆんちゃん!?」
……そんなに「ゆ」を繰り返したらユミじゃなくてユナになっちゃう。
「えーちゃ~ん。お風呂嫌いとか言っちゃって~。朝風呂楽しむくらい好きなんじゃ~ん」
しっかりとかけ湯をしてから湯船に入り、彼女に近づいていく。
「い、いや、汗とかかいたから……!」
「ふーん」
彼女は顔を真っ赤にしてこちらに背を向ける。
「えいっ」
ぴと。
「ひゃわ!?」
「……ちょっと恥ずかしがり過ぎじゃない?」
あたしが背後から彼女に抱きつくと、奇声が上がった。
「施設にいた頃は一緒に入ってたじゃん」
「そりゃあ子どもの時とは違うよ……」
「そうかな?」
「そうだよ……」
彼女は顔を隠すように沈ませながらブクブクやり始める。
何だか子どもの頃を思い出すなあ。
子どもの頃はいつもあたしの後ろに隠れるような大人しい子で……そう言えば、その時からお風呂の時に恥ずかしがってたっけ。というかいつも何かしら恥ずかしがってた気がする。
子どもの時とは違うっていうより、お風呂の時は子どもの頃に戻る……いや――
「人間そうそう根っこの部分は変わらないってことか」
あたしの呟きを聞いたかどうか、えーちゃんがぽつりと言葉をこぼす。
「……ねえ、ゆんちゃん」
「何?」
「来年の誕生日、何が欲しい?」
「へ?」
誕生日? 何で?
「どうしたの、突然?」
「まあ何でもいいじゃん! 教えてよ!」
「ええ? 別にいつも通りでいいよ」
「……そっか。分かった」
「???」
ざばぁっ
彼女が湯船から出て行く。
「もう行くの?」
「もうというか……結構前から行こうと思ってたんだけどね」
「じゃあ何で今までいたの?」
「うーん。ゆんちゃんを待ってたのかも」
彼女はどことなく寂しげな――今まで見たことがないような笑みを浮かべて去って行った。
「……何だったんだろ」
ぶくぶく
何となく彼女の真似をしながら考えてみても、思い当たることはない。その後は何だか胸がモヤモヤして折角の一人風呂も満足に楽しめなかった。
あたしが温泉から上がってテントに戻ると、えーちゃんはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
それから時が経ち――
色々な騒動もあったけど、友人たちと共に楽しく過ごした。
冬が過ぎ、新しい春が来た。
二年生になって後輩もできて……でも、みんな部活には入ってなかったから実感はできなかったけど……。
そして――
『明日のハユミの誕生日に届くように妾特製の漬物を送ったからの!』
「ありがと~それじゃあね~」
『うむ』
カチャ
寮の電話を切って部屋に戻る。幸いなことに、二年生になってもえーちゃんと一緒の部屋だった。
「お父さんに電話?」
「うん」
そう言えば、彼女にはろっちーのこと言ってなかったな……。こんなに長い付き合いになるとは思ってなかったし。
「……なあ、ゆゆゆん」
「何?」
あたしがベッドに潜り込むと、上から声を掛けられた。
「いや、やっぱいいや」
「ええ? 気になるじゃん。言ってよ」
その後言って言わないの問答をしばらく繰り返してから、彼女がぽつりと呟いた。
「……オレたち、これからもずっと友達でいような」
「何それ! えーちゃんらしくないなあ」
「だから言うの止めたんだよ……」
その後はとりとめのない話を続け……忍び寄ってきた睡魔に従って眠りにつく。
――そうして初めての十六歳が終わりを告げた。