9. 始まり
長い、永い、夢から醒めたような――
目の前には、きょとんとした表情で私を見つめるろっちーの顔。
「「え?」」
彼女が驚愕の表情であたしを見つめる。その瞳には、驚愕の表情で彼女を見つめるあたしが映る。
「夢?」
知らず、声が出る。戸惑い、疑問、混乱――
夢。
胡蝶の夢を思い出す。蝶になった夢を見ていた男。男になった夢を見ていた蝶――
これは夢?
あれが夢?
崩れていく。地面が。あたしが信じていた世界が――
あたしを守っていたのは志操堅固の牙城なんかじゃなく、曖昧な虹色の夢――
「ちょ、ちょっと待って確認させて」
「……あい分かった。ほんの幾分ではあるが、妾の方が混乱は少なそうじゃからのう」
すー……はー……
まずは深呼吸。よし、落ち着いた。全然落ち着いてないけど。
「あたしは落ち着いた……」
言葉に出して、無理矢理そういうことにする。じゃないと、惑乱に正気を喰い尽くされる。
まず、考える。ここはどこ?
辺りを見渡す。
森の中。昼下がりの少し落ち着いた日の光が差し込んでいる。
足元には幾片かの木屑と、あの大鈴。蔦に覆われた拝殿。背後を振り返ると、苔むした鳥居。
そして、目の前にはろっちー。
「間違いなく、ろっちーと出会ったあの場所」
次に考える。何故ここに?
分からない。
最後の記憶。えーちゃんと話しながら眠りについた。その場面から今の場面が繋がらない。
どっちも夢じゃない。現実感がそれを知らせる。その知らせを無視するなら、あたしが生まれてから経験した全てが夢になる。
だから、夢じゃない。
どっちも現実。高校の寮で眠ったあたしから、実家の裏手の森でろっちーと見つめ合うあたしは、同じ現実という名の世界で繋がってる。
ということは、答えは一つ。
「ろっちー……あたしが眠ってる間に、ここまで拉致したね!」
びしい!
音がしそうな勢いでろっちーに指を突きつける。
「……何故妾がその様な真似を?」
「誕生日のサプライズ!」
ドヤ~ン(ドヤ顔をキメた時の効果音)
「まあ、そうじゃの」
「え!? まじで拉致!?」
思わずあたしは身構える。
「そう警戒するな。妾も被害者なのじゃから」
被害者?
「ということは、ろっちーも何者かに拉致されたってこと?」
「その様に考えた方が分かりやすいじゃろうな。妾も昨夜ハユミと電話で話したことを憶えておる。その後眠りについて気が付けばここじゃ」
どういうことだろう?
実家と高校の寮とはかなりの距離がある。誰があたしを、ろっちーをここに?
そもそも、ろっちーの存在やあたしとの出会いの場所なんかを知ってるのは――
「あ、お父さん」
「……まずは、家に向かおうではないか。判断のためにもな」
彼女と連れ立って家に向かう。一年前のように。ただ、その時とは違って彼女に案内は必要ないけど。
この事態を引き起こすことができるのは、お父さんだけ。……ではないね、お父さんが誰かに喋ってるかもしれないし。ろっちーの存在は特に秘密でも無かったし。
だとしても、なんの為に?
誕生日のサプライズ? ……確かに、すっごくびっくりした。でも、喜びを伴う驚きじゃあない。ろっちーと会えた、そしてこれからお父さんと会えるのは……嬉しい。でも、今日は学校もあるし……困る。ああ、もう昼ってことは学校始まってるじゃん。さぼっちゃった。
この事態を招いた“誰か”がいたとして、その目的が分からない。意図が見えてこない。だから混乱する。
ということは……誰か、というよりも何か、と考えた方が良い気がする。
誰かの意志に従ってなされた計画ではなく、何かが原因で起こった偶発的な事故。
(いやいや、何考えてんだあたし。事故で空間転移をしたとでも?)
自分の考えに自分でツッコミを入れた時、ろっちーに話しかけられる。
「……のう、ハユミ」
「何?」
彼女は次の言葉を発するまでに、かなりの時間をかける。あたしはそれを急かすことなく待った。
「父君は……妾のことを憶えておるじゃろうか」
え?
「何言ってるの? そんなの当たり前――」
「ハユミも真っ先に思ったじゃろう? 『時間が巻き戻った』と」
「…………」
そうだ。でも……。
夢はあたしの世界を壊す。それはみんなの世界を壊す。
いきなり時間が数年飛んだ人の話を聞いたことがある。
いつものように女子高生としての日々を過ごしていたら、何の前触れも無く突然、自分が子どもを抱いていることに気がつく。その子どもは自分を母と呼び、鏡を見れば自分の記憶よりも数歳年上の人間がいる。そして、馴染みのない家にやって来た見知らぬ男性が、自分の様子に気づくと心配そうに話しかけてくる。愛しい人にするように。
その人は過去、事故で頭に怪我を負っていた。つまりその後遺症で、男性と恋に落ち、結婚して、子どもを産んだ記憶が消えてしまったのだ。
それも恐ろしい話だけど、有り得ない話じゃない。その人の頭の中、一人の世界の異常で説明がつく。
けどあたしのこれは? もしも時間が巻き戻ったのなら……一人どころじゃない、みんなの世界に異常が起きたということになる。
現実世界が簡単に例外を起こすほどに脆弱なものであるなら、人はどうして正気を保てるだろう。空が落ちてくる可能性があるのなら、人は空の下を歩けない。
でも――
「……あたしはあなたを憶えてる」
「……そして、妾はお主を憶えておる」
だから、大丈夫。
きゅ
どちらからともなく手を繋ぎ、どちらからともなく握り締め、先へと進む力とした。
目の前には、見慣れた玄関の扉。
「一年ぶりだ……」
「妾は一日ぶりかの」
あたし達はあえてそう言った。
「……開けるよ」
ろっちーの無言の肯定を確認してから、扉を開ける。
「ただいまー!!」
ぱたぱたぱた……
と音を立ててお父さんがやって来た。
こくり。喉が鳴る。
「お帰りなさい、リフレッシュできた?」
「……うん」
まだ。
まだだ。
お父さんはまずあたしにそう声をかけると、ろっちーを見て――
「そちらはどなた? お友達?」
――――
「ふう……」
「これは……思っていたよりも、厳しいの」
あたしはとりあえず「お友達」ということにして、自室まで連れ立ち、中へと入った。
あらゆる媒体で、今日の日付を確認済み。64年4月の終わりではなく、63年3月の始め。
「この一年で父君とも仲良くなったのじゃが……」
一年間が失われた。
それは、あたしの他の友人にも言えるかもしれないことで。
思わずため息が出た。
ろっちーがいてくれて良かった。一人、世界に取り残されていたらと思うと――
「ああ!」
と、その時突然ろっちーが叫び声を上げる。
「妾の漬物が!」
「漬物て」
思いもかけない言葉にツッコミを入れてしまう。
「だって! せっかく今日……ハユミの誕生日に合わせて、食べるのを楽しみにしてたんじゃもん!」
「ふっ……あはは」
「笑うでない!」
いつの間にか、あたしの心を覆っていた不安の靄はすっかり晴れていた。
というか。
「何かさっきまでのあたし、キャラじゃなかったなあ。普段のあたしなら、自分の頭がおかしくなったのか世界がおかしくなったのか、なんて考えたりしないし」
あたしの認識するあたし像が間違ってたのかな。
「ふむ……妾の強い不安が伝播したのやもしれぬ。平静を装ってはいても、心は眩惑されておったからの」
「え? そんなことある? 何か心当たりでも?」
「うむ……」
彼女はその言葉を口に出すのを迷っている風だった。
しばしの時を経て、口を開く。
「まず、ハユミに言っておかねばならぬことがある。そして謝らねば。妾は記憶を少し取り戻しての……」
そこまで言ってから、彼女は一つ息を入れて続ける。
「妾は人ではないのじゃ」
「ふ~ん」
「軽い!」
彼女は目を丸くした。
「いや、だって……人じゃなかろうがろっちーはろっちーでしょ?」
「そ、それはそうじゃが……もっと葛藤やら何やらがあるものではないのか?」
あたしはその問いに笑って答える。
「ふっ、ないない。本来あたしって悩んだりするキャラじゃないし。あのね、例えばだけどさ、家の外に出れば事故に遭う可能性がある。でも、誰も外出の度に事故に遭うんじゃないかって悩んだりしない。だって、ただ悩むだけで不幸の遭遇率が下がったりしないし。むしろ上がりそう。対策を考えるのは良いけどさ。事故を恐れて外出しないなんてのは論外。確かにそれなら悪い目には遭わないけど、良い出会いもないからね。あたしは悩んでる暇があったら積極的に出かけて未知のエリアの開拓に使うよ」
あたしがそう言うのを、ろっちーは黙って聞いていた。
「ハユミの言いたいことは伝わった。……ありがとう。妾との出会いを良いものと思ってもらえるように努めようぞ」
どういたしまして。
「では早速、悩むのではなく“事故”の対策を考えるとしよう」




