表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/14

2 (二)

「な……!」

 一瞬、見えた。チロリと彼等二人を取り巻く朱色の炎。

 もう一つ、駿河は目を疑い動きを止めた。

 長い前髪があおられて、一対の澄んだ青い光が露になった。火炎とは対照的に清浄な輝き。外してはならないはずの眼鏡は、はじき飛ばされている。

 騎道は半眼で碧眼を滑らせる。突風が眼威に従った。

 吹き払われた木の葉が、円陣で二人を取り巻いて燃え上がる。焼けた枯れ葉の臭いが立ち昇り、炎はすぐに消えた。

 それを最後に、辺りは静けさを取り戻した。

 騎道の肩に顔を伏せる彩子が、力を無くして崩れてゆく。抱き留める騎道の腕にも、力強さはない。辛うじて、彩子を支えて膝をついてゆく。

 駿河は気後れした。あまりにも信じられない光景だ。

「……彩子っ! ……炎を見たのか……」

 彩子の状態は、炎への錯乱直後の虚脱感と同じものだ。

 駿河は、騎道から彩子を奪い取った。闇雲に吼える。

「騎道! 眼を覚ませ!

 何があった? オイっ!」

 瞼を堅く閉じて、騎道は地面に爪を立てる。

「……駿河さん……? 炎……だ」

「バカ野郎! そんなものがどこにある?! 説明しろ!」

 怒鳴り声も騎道の意識を引きとめられなかった。

「火だって……。ふざけるな……!?」

 片腕で彩子を支えて、騎道を引き起こす。血の気の失せた頬。額の髪を払って、閉じた瞼に指を触れる。

 何が起きたんだ? 騎道に……。

 震える手を伸ばして、転がった黒縁の眼鏡を拾い上げた。

 なんの変哲もない素通しのガラスに見える。

 中庭の入り口に隠岐を置いてきた。自分だけのぞきにきた後悔はもうない。後をつけて来て良かったのだ。

 胸ポケットに眼鏡を滑り込ませ、息を一つ吐いた。



 まぶしいのは天井の照明か。ぼんやりと、視界がはっきりするのを待つと、ふいに遮られる。

「よっくも、てめー、俺の彩子ちゃんを襲ったなー」

「……三橋……?」

 オソッタ……? ?

 襟首を締め上げられて、騎道はのけ反った。

 見覚えのある顔がぐっと迫る。

「アタシというものがアリながら、他の女にうつつを抜かすなんてばっ」

 ハイトーンに裏返った声に、困惑が拡大する。

「はぁ?」

「ひどいわっ! あんまりよ!

 他の女に渡すくらいなら、アタシがこの手で!」

 次の瞬間。声も出せないほど、手に力が込められる。

 ナンナンダ!?

「み、三橋さん! やりすぎですよっっ」

 割って入ったのは隠岐だ。なんだかわからんが、助かった。騎道はぐったりして、三橋を押し返す隠岐の後ろ頭を眺めた。

 ソファの背もたれの向こうで、皮肉な笑い声が上がる。

「ほっとけ、隠岐。

 関わりあいになって、お前も襲われたかないだろ?」

「……センパイまでそんなこと言うんですか?」

 あくまでも三橋に同調して、駿河はとぼける。

「何が楽しくて、彩子なんかを襲ったのかねぇ」

「……僕が、ですか?」

 ピクリと、意地になり背中を向けていた三橋が反応する。

 振り返り、身の軽い隠岐を突き飛ばして、がっしりと騎道を押し倒した。表情を殺した顔が再接近する。

「……そーだよ。てめーがヤッたんだよ……」

「落ち着け、三橋。何かの誤解だ……」

「頭打って、記憶が切れたんだな。同情はしないぜ。

 ヤッたことは事実だ」

 切れているのは三橋の目付きの方だ。

 冗談とは取れない冷淡さに、騎道は頭を起こした。

「三橋、彩子さんに何かあったのか?」

「彩子は運が悪かったよな。入院と自宅療養で禁欲生活が長かった、最悪に見境のない野郎と鉢合わせてさ。

 これであいつの一生は滅茶苦茶だぜ。……ま、俺が居るから不自由はさせないがな」

「あの後、何かあったのか? 説明してくれ、三橋!」

 動揺する騎道に、三橋はさらに低い声を吐きかけた。

「……あの後、何があったか、だって? その前に何があったんだ? 説明してみろよ」

 何が……? 騎道は記憶を辿った。

「駿河さん、何が起きたんですか。教えて……!」

 体を起こそうとする騎道を、三橋は肘で遮った。

「駿河クンも居たわけか。説明して貰おうか?」

 三橋は大いに不満顔でねめつけた。

「知らないね。俺が駆けつけた時には二人とも倒れてた。

 ……しっかり、抱き合ってね」

 最後の台詞は三橋への当て付けだ。

「嘘はやめて下さい!」

「だったら、本当のことを言っていいのか!」

 怒鳴り返す駿河。

 騎道は、見下ろす三橋の視線を頬に受けながら、目を逸らした。

「何があった、三橋。僕には彩子さんを襲った心当たりはない。

 炎に……。火を見たと、彩子さんが錯乱状態に陥った。

 だから止めようとした。そこまでは覚えている。夢中でもみあった気もするが、記憶がはっきりしない」

 ドアが乱暴に閉じられた。出ていったのは駿河だ。

 三橋は依然、騎道を見据えている。

 二人の間に、冷えた険悪な空気が流れる。

「なんにもありませんよ、騎道さん。

 彩子さんは気を失っただけで。僕らが保健室に運んで水野先生に診てもらいましたから、大丈夫なんですよ」

 二人の気迫にうろたえた隠岐は、一気に口走った。

「こいつや駿河クンみたいに、お前も彩子ちゃんのこととなると、えらく血相が変わるんだな」

 声が柔らかさを取り戻した。二の腕を掴んで、三橋は騎道の体を起こすと、ふわりと口元を緩める。

「やだねー、いい男が凄むと決まっちゃってさ。

 翔くん、タジタジっ」

 三橋の豹変に、隠岐は口をあけて呆然となった。

 まいったね、と口では殊勝を装いながら、上目使いでうかがう騎道をツンツンと肘で小突いている。

 このくらいでも、三橋には愛情表現がまだ物足りない。生憎、右手首にギブスをはめたままなので、手が滑ったと殴るわけにもいかない。

 さらなる反撃を企む三橋と、友の怒りが静まったようなのでヨカッタと安堵する騎道の目が、ガチンとあった。

 見下ろす高さなのをいいことに、三橋はフンと胸を張って腕を組んだ。

「だがな、悪党! 『抱き締めた』だの『襲った』事実には変わりがないんだからなっ。

 一切、彩子ちゃんには近付くな。以上だ」

 捨て台詞を決めて、三橋は足音を立てて出ていった。

「悪党って……、僕?」

「さ、さあ……?」

 残された二人は、顔を合わせて脱力した。



「用は済んだのか?」

 学園長室を出た三橋は、廊下で窓辺にもたれる凄雀に出くわした。

「手間のかかるお子さんで、後見人様もご苦労ですよね」

 にこにこと、三橋は凄雀に言った。

「君こそ、いろいろと面倒をみてくれているらしいな」

 いえいえと、今度は謙遜する。でも、と付け加えた。

「親の顔が見たいっていうのは、あいつの為にある文句ですよ。よっぽど放任主義で非常識で支離滅裂で、自己意識をあいつに押し付けまくって、最後に放り出したとしか思えませんね。

 どうやら本質的におきらく~な奴みたいだから、へろへろしていられるんでしょうけど。回りの一般人には『大迷惑』なんですよね」

 意に介さず、凄雀は諭すような半眼で三橋を見下ろした。しばし考えて口を開いた。

「お人好しなのは騎道と張り合えそうだが、それ以外では勝ち目はないな。飛鷹某を取り上げられんように、十分予防線を張っておくことだな」

「! 代行には関係ない話しっす!」

「……いつまでそんな口が利いていられるのか。忠告は最後だぞ」

「俺には、そこまで言われる筋合いはありませんよ!」

 声がマジになった。それは凄雀も同じだ。

「本気でないなら目障りだ。騎道にも飛鷹にも関わるな。大怪我をするぞ」

 まなざしで怒りを返して、三橋は立ち去った。

 凄雀が警戒するのは、近くなりすぎる三人の距離だ。

 両刃の剣である騎道に、深入りするのは危険なのだ。



「あんな顔初めてだから、怖かったなぁ。三橋さんって、マジなのかジョークなのか、よくわからないし」

 隠岐は騎道の隣に座って、肩で息をついた。

「彩子さんのことが心配なんだよ。冗談に本気を隠してるだけで、いつだってあいつは真剣だ。

 でも、今度ばかりは僕ものせられたな……」

 三橋と本気で睨み合った。あんな瞬間が来ることを、一度でも考えたことのない相手と。

 恨めしいのは、やすやすと挑発に乗ってしまった自分だ。

「彩子さん絡みだと、弱いんですね。騎道さんてば」

「……そんなことないって……」

 否定は弱々しいものだった。



 三橋と入れ違いに、凄雀が部屋に戻ってきた。

 学園長代行に緊張する隠岐を、騎道は先に帰るように促して、執務卓についた凄雀の前に直立した。

「飛鷹彩子を襲ったそうだが、事実か?」

「……。ジョークです。勿論」

 叱責を覚悟して身構えていた騎道は、赤面した。

 学園長室に運び込まれた理由は『彩子とは一緒にはできない為』らしいので、凄雀にも三橋は吹聴したのだろう。

「何が起きたのか掴めているのか」

「いえ。残念ながら、まるで」

「まさかとは思うが、次はどんな騒動を起こすか楽しみだといった言葉を、鵜呑みにしているのか?」

 騎道の否定を、凄雀は聞き流している。

「あれもジョークだ。いくら私が退屈していても、お前に好き勝手はさせんよ」

 沈黙を騎道は答えにするしかなかった。

 一礼をして、部屋を借りた礼を言い、騎道は退出した。

 ドアを閉じて、ほっと息を吐き出した。あれ以上の言葉を言われずに済んだことは、やや意外だった。

 せくように、騎道はその場を離れた。



 コツリコツリと、内履きのシューズを引き摺る音。不貞腐れて、隠岐が頑丈な階段を降りてくる。

「……ほんっとに。いっつも僕ばっかり除け者なんだから。

『だったら、本当のこと言ってもいいのか!』なんて、何か掴んでるよな、騎道さんの弱み。

 騎道さん、珍しく顔が引きつってたし」

 途中で、立ち止まった。

「あ……。騎道さんのカバン、持ってきちゃった」

 しばらく考えて、ひしと抱え込む。

「ま、いっか。これさえ持っていれば、かならずまた会えるよな。そしたら、僕にも何か力にならせて下さいって、頼めばいいや」

 思い付きが嬉しくて、にこにこしてしまう。

「……駿河先輩に『余計なこと』って、また怒られるかなぁ。でも先輩だって抜け駆けしてるし……。

 彩子さんとだっていつの間にか仲直りして『秀一』って呼ばれて幼友達やってるんだもの。……僕なんか先輩のせいで、彩子さんに避けられてたのに……、ズルイ」

 わはははっ。一人でけたたましい笑い声を上げた。

 落差の激しい真顔に戻る。

「……こんな愚痴が先輩に知れたら、絶交されるかいじめられるか。……両方、だよな……」

 もうしませーん。すみませーん。

 謝りながら、駿河を探しに駆け出してゆく。

 しんと静まり返った廊下に、吐き出されたつぶやき。

「ばーか……。聞こえてるんだよ」

 階段から死角になる壁際に、駿河は背中を貼り付けていた。別に隠岐の愚痴を聞くつもりではない。

「んっとに、口は災いの元ってあれほど教えてるのに、わからないのかよ」

 規則正しい足音が降りてくる。駿河は壁に頭を逸らした。

 予測に反して、騎道は降りて真っ直ぐの廊下を選んだ。

「ズルして悪いな、隠岐。お前、口が軽いんだよ。

 それに、あんな得体の知れない奴に肩入れできる、だまされやすい性格してるからな」

 十分に間合いをとって、駿河は騎道を追いかけた。

 一瞬、彼には似合わない執念を瞳に光らせた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ