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十話

 それから幾日か、菊之介は登楼しなかった。

 入れ替わりやってくる他の客をさばきながら、なよ竹は暇をみて『竹取物語』を読みはじめた。子どものころ絵草子でざっと読んだきりなので、こうしてじっくりと読み進めていくと思っていた以上に奥深くて、紙面をめくる手にも力がはいる。奇しくもかぐや姫の名と自分の源氏名が縁あり、他人事とは思えなかった。

 五人の求婚者を退けるくだりまでは、なよ竹も胸がすいて楽しく読めたのだが、物語が帝の求愛をも拒否する場面から終盤にいたったとき、帝だけでなくかぐや姫もまた心を寄せていたことに初めて気がついた。子ども向けの本では、そのあたりの微妙な心情は省略されていたのだろう。

 以前のなよ竹なら、月の使者など蹴散らして想う相手のもとへ行けばいいのにと感じ、ただ泣き伏せるばかりのかぐや姫に憤ったに違いない。

 しかし、今は違う。

 かぐや姫は月へ帰らねばならない。

 帝とて、身分や立場ゆえあまり勝手な振る舞いはできない。

 いくらお互いの心が通い合っていても、どうにもならないこともある。

 自分のためだけではなく、相手のことを慮って己の想いを押し殺さなければならないことだってあるのだ。

 なよ竹は物語と我が身とを重ね合わせ、やるせない気持ちになった。

 しばし読み進めていくと、龍次が書いた例の句が出てきた。

 いよいよ月へ帰ろうとするかぐや姫が、最後に帝へ宛てた手紙の一文である。


 ──今はとて 天の羽衣着るをりぞ 君をあはれと 思ひいでける


『今はお別れと天の羽衣を着るときになってはじめて、あなたさまをしみじみ思い出します』


 なよ竹は首をひねった。

 なぜ龍次は、こんな句をしたためたのだろう。

 思えば先の句も、よくわからない。

 あの句は、寄るべない中途半端なおのれの身の上を嘆く歌である。なよ竹と菊之介との板ばさみになっている現在の状況を憂いて、というならばまだしも、墨の色からしてあの字はもっと前に書かれたはず。奉公人とはいえお店の重役の息子で、ご隠居に書の手ほどきをいただくほど覚えのめでたい彼が、なぜあのような厭世的な歌を書く必要があるのだろう。

 なよ竹は紙面に落としていた視線を上げ、窓の外を見た。

 筋のように細い月が、白い裂け目のごとく黄昏の空をいろどっていた。

 かぐや姫が月へ帰ったという中秋の名月まで、あと半月を残すばかりである。 




 菊之介が登楼したと茶屋から報せが来たときにはすでに葉月(現在の九月)に入り、吉原中がにわか(芸者などによる即席演芸)で賑わっていた。

 妓楼の者に急かされ道中に出たものの、なよ竹の心は複雑だった。

 どんな顔をして、ふたりに会えばいいのだろう。

 菊之介に会うのも、龍次の顔を見るのも、どちらも心穏やかではいられない。

 なよ竹は紅を引いた唇を、ぎゅっと噛んだ。

 駿河屋で待っていた菊之介は、龍次とともに仲の町を行き交う俄狂言を眺めていた。なよ竹が到着するのをみとめると、いつものように優しい笑顔を向けてくれた。

 のどの奥がひりつく。

 こんなお優しい方をたばかっているのだ。

 そして彼が心を許している従者と、通じているのだ。

 遊女の手練手管てれんてくだなんていう、格好いいものではない。こんなのは、だましているだけ。

 龍次は茶屋の者と話している。こちらを見る気配すらない。

 ──今のあたしは意気も張りもない、ただの小娘だ

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