十一話
この時期、通常の遊客以外にも俄目当ての一般客が押し寄せ、吉原はお祭りさわぎになる。花魁道中も演し物状態で、それこそ仲の町の両脇には人垣ができるほどだ。
その間を、なよ竹一行はゆっくりと進む。先頭は見世の若い者、禿に付き添われた菊之介、卯花、なよ竹、長柄傘を持った若い者、番新と続き、少し離れたところから龍次がついて来ていた。
周りの見物客から、賞賛の声が絶え間なく上がる。ふだん吉原に来ない者にとっては、花魁道中は芝居や絵草子でしか見られない光景だから、ひときわ声は高かった。
もうすぐ讃岐屋に着こうというとき、ふいに人垣が割れ、誰かが飛び出してきた。人数は三人でいずれも風体が悪く、ごろつきのようだ。彼らは先頭に立っていた若い者を突き飛ばすと、一行のゆくてをさえぎった。
「おう、九重屋の若旦那だな。最近そこの女郎にのぼせ上がってるそうじゃねえか」
「よそもんのくせに派手に遊びやがって気にくわねえな、ちっと痛い目見てもらおうか」
彼らはドスの効いた声で言い募り、尻をまくった姿で菊之介を囲んだ。彼らの難癖は、まったく根拠のない不自然な言いがかりである。まるで、襲うための口実をわざわざ取ってつけたような印象すら受けた。
男たちの手に匕首が握られているのを見た群衆の中から叫び声が上がり、それを聞きつけた讃岐屋の楼主や若い者がなにごとかと飛び出してきた。刃を向けられた菊之介の姿に、楼主が腰を抜かす。
最後尾にいた龍次が駆けつけ割って入ろうとするが、菊之介は正面を向いたまま右手で制した。広い羽織の背中には、おびえは見て取れない。しかし、相手は刃物を持っているのだ。まして、三人も。
なよ竹は胸の前で両手を組んだ。合わせた手のひらに、汗がにじむ。
「命までとは言わねえ。そのきれいなお面にちょいと傷でも入れりゃあ、それで許してやるさ」
「今にも増して色男になるだろうよ。そこな女郎もさぞ喜ぶぜ」
男たちは下卑た笑いを浮かべ、あごでなよ竹を指した。
卯花が震えながら寄り添い、おびえきった禿ふたりが、なよ竹の袖の下に隠れる。気丈ななよ竹は皆をかばい負けじと男たちを睨み返すが、本当は立っているのがやっとである。
龍次は近づくに近づけず、なよ竹のすぐ横で歯噛みしている。人垣がいよいよどよめいた。
そんな中、ひとり冷静な菊之介が口を開いた。
「黒幕は誰だ?」
静かな声に、男たちの切っ先が揺れる。
「わたしはおまえたちに会ったこともないし、恨みを買う覚えもない。恐喝して金をせびるでもないし、もしそうだとすれば人気のない場所を選ぶだろう。ならば、誰かわたしを快く思わん者の差し金と考えたほうが得心がいく。雇われたな?」
「……口の減らねえ野郎だ!」
男たちはいっせいに匕首を突き出した。それが、答えだった。
「ふざけんな、てめえら! さっさとどきゃアがれ!」
無理やり男たちと菊之介の間に割って入った龍次の二の腕を、先陣を切った男の刃がかすった。あちこちから悲鳴が上がり、幾人かが大門そばの番所へ走っていく。
なよ竹が思わず寄ろうとするが、それより早く菊之介がこちらを向き膝を折った。うずくまる龍次をかばうように肩を抱き、耳許に何ごとか吹き込んだ。あまりに小声で、ほとんど聞こえない。
「……、怪我は……」
「心配……、かすっただけ、……」
ささやき返す龍次の言葉もまた、雑踏や叫びでかき消されそうなほど小さく、なよ竹の耳には断片的にしか届かなかった。
──今のは、なに? なんて言ったの?
だが、混乱でそれ以上頭がうまく回らなかった。
今や仲の町は悲鳴や怒号で上を下への大騒ぎだった。あまりに人出が多すぎて、番所の役人もすぐには駆けつけられないのだろう。血の気の多い讃岐屋の男たちが、いっせいに腕まくりをして臨戦態勢に入る。
龍次を斬った男が地面につばを吐き捨てた。
「へッ、おとなしくすっこんでねえからだ。三下のくせにいきがんなってんだ」
すると、それまで静かだった菊之介の目の色が変わった。すぐ後ろにいたなよ竹は、別人のような厳しい顔つきをはっきりと見た。
無言で立ち上がり、おろおろしている若い者からたたんだ長柄傘を奪い取ると、ごろつきに対峙する。
「なんでえ、棒突きの真似事かい。笑わせるぜ、お坊ちゃんよう」
へらへらと笑っていた男のひとりが、とつぜん後ろへすっ飛んだ。なにごとが起こったのか誰もわからず、みなが目を点にした。
菊之介はたたんだ傘を、中段に構えなおしている。
彼が男を突いたのだと気づいたとき、残るふたりは獣のようにうなり、突進してきた。あたりからひときわ高い悲鳴が上がる。
ひとり目が匕首を繰り出して来たのを、菊之介はすかさず傘を開いて防御した。匕首が傘の紙に突き刺さる。得物を奪われ、眼前を傘でさえぎられた男が躊躇している隙に、菊之介は勢いよく傘を閉じた。跳ね上がった匕首は妓楼の入り口近くに飛んでいき、楼主のすぐ脇に突き立った。楼主の引きつった悲鳴が上がる。
そのまま横なぎに一閃すると、胴を打たれた男は群集の中に転がり込んだ。ざあっと人垣が割れ、その中でも勇気ある者が男を取り押さえる。
残された男は得物を両手でつかみ、せわしなくあたりを見回した。傘を上段に構えた菊之介が、ゆっくりと間合いを詰める。
ごろつきはたまりかねたように叫んだ。
「優男って話なのに、約束が違うじゃねえか! こんな腕が立つなんて聞いてねえぞ!」
その声に、野次馬に紛れていた男が人並みを割って逃げ出した。周りの人間が、なんだ怪しいぞ、こいつが仕組んだのか、などと叫びいっせいに捕まえにかかる。
やがてなよ竹たちの前に、頭巾で顔をおおった男が引き出された。
見世の若い者が被り物を取る。
「あんたは……石上亭の若旦那じゃないか!」
男はあの料亭の放蕩息子、燕之助だった。ここ数ヶ月、ずっと姿を見せていなかった。後ろ手にひねり上げられ、痛みにわめく。
若い者のひとりがたずねた。
「なんだってこんな真似をしたんだい。あんたは二階を止められたんじゃなかったのか」
二階を止める、とは文字通り登楼を禁止することだ。なよ竹は、三月ほど前に燕之助の登楼を断る話を聞いていたのを思い出した。
わずかな隙を突き、燕之助は身体をひねって若い者の手から逃れ、地面に刺さっていた匕首を引き抜いた。
ぶるぶると震える手に匕首を構え、なよ竹をにらみつける。見世の男たちは色めき立ち、いったん収まったどよめきがまたもや起こった。
小突かれ泥だらけの燕之助の姿は、かつて五人衆と呼ばれ伊達男の名をほしいままにしていたとは思えないほど哀れだ。
「こんな……こんな女にたぶらかされた俺が馬鹿だったんだ。なにが意気だ、張りだ。けっきょくは金がすべてなんじゃねえか。俺からしぼれるだけしぼり取ったあげく、用がなくなりゃ見向きもしねえ。ちゃっかり次の金持ちを見つけてやがる。この女ア、小判に目がくらんだ売女だ。その男だってな、どんな小ずるい手を使ったやら……」
燕之助が最後まで言い終わる前に、なよ竹は右脚を振り上げた。
爪先に引っかかっていた高下駄が、燕之助のすねに命中する。もう一方の下駄も蹴ってなよ竹は素足で地面に降り、すねを抱えて悶絶する燕之助の前に立った。
「ゴチャゴチャうるせえな、べらぼうめ!」
あれほど騒がしかった辺りが、しんと静まりかえる。
なよ竹はかまわず大声を張り上げた。
「先ほどよりの暴言、よもや黙って聞いておりゃアせん。わっちゃあ、この人の心意気に惚れたまで。ぬしゃあ腹いせすらてめえでやれねえ臆病者ときた。そんな男は金があろうとまっぴらごめんだね」
自分でもなにを言ってるのか、よく分からない。
ただ、こんな卑怯な男に悪し様に侮辱され、こともあろうに惚れた男を傷つけられたという事実が、許せなかった。
なよ竹は燕之助が放り出した匕首を拾うと、彼の足許へ放った。
「慮外ながらなよ竹でござんす。小判で頬を張る客になびくほど、堕ちてはおらぬわいな。斬りたきゃ斬んな、したがわっちゃあ永劫ぬしのものにはなりんせん」
仕掛を脱ぎ捨て襲ね小袖になると、ぐっとあごを上げる。
「さァさァどうした、斬らしゃんせ!」
咽もとに刃が刺さる姿が脳裏をよぎるが、ここは意地でも引けない。往来で虚仮にされたとあらば、花魁の名折れであり、客の名誉にもかかわる。なよ竹はぎゅっと目をつぶった。
すると、まわりの野次馬からやんやの歓声が上がった。
「いいぞおいらん、日本一!」
「ひっこめ、ボンクラ息子が! ケツまくって帰りやがれってんだ!」
目を開けると、菊之介が燕之助の手首をひねって匕首を取り上げていた。そうしてようやく到着した番所の役人に引き渡す。
取り囲んだ群衆は、割れんばかりの拍手とともに口々に快哉を叫んだ。
妓楼の若い者が龍次に肩を貸し、連れて行くのを見届けた菊之介は、突っ立っていたなよ竹のもとへ歩み寄った。
「大丈夫か、なよ竹」
「菊さま……」
なよ竹は菊之介が差し出した手を取った。ぐっと握られてはじめて、全身の力が抜けるのを感じた。へたり込みそうになるのを、菊之介がさりげなく引き上げてくれた。
「行こう、よくやった」
鳴り止まない拍手を背に、なよ竹と菊之介は讃岐屋の暖簾をくぐった。




