第六十ニ話:側にいた人
幼い頃から、私の側にいたのは開闢だった。
「ひより。これをこうするんだ。分かるかい?」
まだ物心もつかない頃から、創造神様の思し召しのために人を殺す姿を見せられ続け、そのノウハウまで教え込まれた。
殺すための知識、魔法を使う知識、情勢や歴史…。
覚えれば覚えるほど、開闢は私を褒めてくれた。
その笑顔が嬉しくて、もっと褒められたくて、私は必死に努力した。
しかし――幼い体に無理をさせすぎた。
それが祟り、私はついに寝込んでしまった。
「離せ!!まだ病院に患者がいるんだ!!離せって!!」
開闢が、ガタイのいい男たちに拘束された一人の男性を連れてきた。
その時、私は初めて塩屋直哉に出会った。
「関係ないさ。この子は叡智の魔女の器だよ。創造神様に選ばれたんだ」
そう告げる開闢に、心底絶望したように膝から崩れ落ちる。
男たちはそそくさと部屋を後にし、残ったのは私と開闢、そして直哉さんの三人だけだった。
「ただの風邪。薬を飲んで寝ればすぐ治る」
直哉さんは不満げに眉を寄せながらも、私を診察した。
聴診器を当てる手が荒いのに、どこか優しさが滲む。
だが、開闢はその対応に満足しなかった。
「君は他者を治癒することができるだろう?」
その問いに、直哉さんは深い溜息をついた。
視線を開闢に向け、呆れを隠さない。
「あのな、オバサン。たかが風邪で魔法使うわけないだろ!!阿呆か!!」
「おや、残念」と口にする開闢。
しかし、その顔はちっとも残念そうじゃなかった。
ガタイのいい男たちがいなくなり、二人の会話はやけに親しげだ。
私は、ボーッとする頭でただそれを眺めていた。
「辛いかもしれないけど、頑張ってね。薬は後でこのババアに取りに来させるから」
直哉さんが私の頭を撫でてくれた。
その大きな手が、熱で火照った額を少し冷ましてくれる。
「しかし君、髪の毛がずいぶんチャラチャラしたな。仮にも研修医が金髪か。私は以前の坊主頭のほうが良かったんだがね。ねえ、坊くん」
「うるせえ!!白髪ババアは相変わらず立派な白髪だこと!!さっさと死ね!!」
さっきまでの優しさはどこへやら。
両手の中指を立てて開闢を威嚇する姿は、まるで野生動物みたいだった。
この時、“坊くん”と呼ばれているのを聞き、私も“坊さん”と呼ぶようになった。
結局その日は、坊さんに連れ帰られることになった。
「っ!!その子は?」
私は大人しく坊さんに抱かれていたが、病院に着くと別の女性――看護師に預けられた。
そのまま歩いていく途中、私は振り返り、坊さんの驚いた顔を目にする。
「火傷を負ってしまって!!お願いです!どうか、治療を!!」
泣きながら懇願する母親らしき女性。
その腕には、痛い痛いと泣く小さな子供が抱かれていた。
「早くしろ!急患だ!!」
他の医師の怒号。それでも坊さんは迷わず子供に手を伸ばす。
「もう大丈夫。我慢できて偉かったな。君はきっと、将来すごい人になるよ!」
「出世払いでいいからね!ビッグな男になったらおいで!」
満面の笑みを浮かべ、手を振る坊さん。
ひとさし指で子供に軽く触れただけで、火傷が嘘みたいに治った。
そしてすぐに別の急患のもとへ駆けていった。
何時間が経っただろう。
私は病院のベッドで薬を飲まされ、食事を取らされ、無理やり寝かしつけられていた。
坊さんが戻るまでの時間が、ひどく退屈で長かった。
「ごめ〜ん!急患入って遅くなっちゃった!」
「ご飯食べた?」「いい子してた?」
坊さんは白衣の袖をまくりながら駆け寄り、私の頬をつついた。
開闢といた時とはまた違う、温かい笑顔に困惑する。
「お家帰ろっか。今日の晩飯なにかなー」
白衣をぐしゃぐしゃに脱ぎ、カバンに詰め込むと、カバンを持っていない方の手で私を抱き上げる。
その腕は不思議と安心できて、私は何も言わず身を任せた。
「直哉!!あんた仕事道具グッシャグシャにして何やってんのよ!!24にもなって!!いい加減にしなさい!」
「痛い痛い!ごめんって!」
病人がいる事などお構いなし。帰宅すれば、母親と思しき人物と坊さんとの激闘が始まった。
「そういえば直哉...和哉は?」
坊さんが母親に叩きのめされて終わった戦いの後、母親は心配そうに問いかけた。
「叡智の魔女様にお仕えするって、言う事聞かなかったみたいだよ。今日、開闢の魔女に会って聞いてきたから間違いない。よりにもよって...開闢が糸引くフクロウに入るとはね。まだ10歳だよ」
その言葉に私はビクリと肩を揺らした。
「あら、ごめんなさいね。叡智の魔女...様よね?直哉から話は聞いてるわ。大変な生活を強いられてるみたいだし...暫くはうちにいなさい」
大変な生活が何を指すのかは分からなかった。
でも、なんだか楽しそうなこの家庭に少しの間でもいられるのが嬉しかった。
「熱下がって良かったね〜。お風呂気持ちいいし。ね、ひより」
風呂が出来上がる頃には熱も下がっていた。
もう一人で風呂に入れるというのに、坊さんと一緒に入る事になり不満を漏らす。
「直哉様。お嬢様はもう6歳でしょう。私めが湯浴みをお手伝いします」
この家にたまにお手伝いさんとして来ているお婆さんがそう申し出るが、「いや、大丈夫〜」と坊さんは適当に返す。
結局その日は、坊さんがずっと私にベッタリだった。




